ダグラス・ハーディングの翻訳を読んでいると、いろんな聖者の言葉が引用されていますが、単に聖ヨハネとされているものが、十字架の聖ヨハネ(16世紀のスペインの神秘家)の言葉であることが多いようです。
今回気になったのは『今ここに、死と不死を見る』(The Little Book of Life and Death)の15ページ。
「私は絶えず死ぬというやり方によって
自分の中に私自身を住まわせないで生きているが、
だからこそ、私は死なないのである。(聖ヨハネ)」
同書のスペイン語版(ネットで見つけたPDF)を見るとこうなっています。
Vivo sin vivir en mí
Y de tal manera espero,
Que muero porque no muero.
San Juan de la Cruz ⇒ 十字架の聖ヨハネ
どうやら詩の一節のようです。彼の全集を見てみると確かにこの詩がありました。詩の一節で検索するとアビラの聖テレサの詩もヒットします。神秘家の詩でもあり一目では意味がつかめません。
彼女の詩では2行目に二つの版があって、 一つは十字架の聖ヨハネと同じで、もう一つは“y tan alta vida espero,”(私はかくも高き生を望みます)となっています。
意味がよく分からないので『十字架の聖ヨハネ詩集』西宮カルメル会訳注で確認すると、このような訳になっていました。
私は生きないで 生きていて
死ぬ程に 待ち焦がれている
死んでいない故に 死ぬ程に。
最初の行に訳注がついていて、「en mí(私のなかに)との言葉は、生きることにも[Vivo]生きないことにも[sin vivir]かかっているようである。つまり、『私は私の中に生きないで生きていて』、あるいは『私は生きないで私の中に生きていて』。」とあります。
この詩の冒頭の3行は当時流行していたもので、もともと十字架の聖ヨハネやアビラの聖テレサの作ったものではないそうです。
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