“On Having No Head”からの引用で、頭を持たない事実を発見した瞬間の描写になっています。
It was eighteen years ago, when I was thirty-three, that I made the discovery. Though it certainly came out of the blue, it did so in response to an urgent enquiry; I had for several months been absorbed in the question: what am I? The fact that I happened to be walking in the Himalayas at the time probably had little to do with it; though in that country unusual states of mind are said to come more easily. However that may be, a very still clear day, and a view from the ridge where I stood, over misty blue valleys to the highest mountain range in the world, with Kangchenjunga and Everest unprominent among its snow-peaks, made a setting worthy of the grandest vision.
ここの out of the blue というのが理解できなかったのですね。the blue って憂鬱な気持ちのことなのかと想像していました。それで邦訳をみたら、これ「突然に」という熟語だったのでした。
辞書で確認してみると確かにそう書いてありますが、どうしてそういう意味になるのかまでは説明してありません。こんな簡単なことばでできているイディオムがわからなかったことにショックを受けて、子供向けの熟語集の“Sholastic Dictionary of Idioms”を購入しました。早速探してみると“Out of the clear blue sky”の項目の中にありました。blue は沈んだ気持ちでなくて青空だったのですね。同じようなイディオムに“Bolt from the blue”があって遅くとも1800年代初めには使われていたとあります。「青天の霹靂」そのままです。
なお「青天の霹靂」の故事を語源由来辞典で調べると
青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない澄んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ること。
青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、
「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。
「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、
筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い表した言葉であった。
発想がまったく同じで、使われだした時期が1800年代と遅いので、 ひょっとして中国起源かと想像してしまいます。
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