2022年11月21日月曜日

かげした真由子『はじめてのタロットBOOK』

 かげした真由子「はじめてのタロットbook」を手に入れました。

タロットカードは若いときエジプト風の絵のカードを手に入れてよく占ったものですが、特に当たるという感触はありませんでした。

何度も引いているうちに、なんとなく自分のその時の気持ちが反映されたカードが出てくるような気がしてきました。

いい結果を出したいと思うときは、いいようなカードが出るし、不安に負けそうなときは、何故か悪いカードが出てくるようで、占いとしてあまり意味ないと思い辞めてしまいました。

かげした真由子さんの本は未来予測だけでなく、思いもかけない方向に人生を導く方法が提唱されています。望まない未来が出たときに、見なかったことにしたり、何度も占い直したりするのではなく、未来を再設定し、選び直すワークなのですが、これが自分に有効か試してみようと思います。

一般的なタロット入門書としては悪魔や塔などネガティブなカードの読み取り方が参考になりました。


#はじめてのタロットBOOK #まゆちんタロット本 #予想外の未来

2014年8月30日土曜日

芹澤光治良と道院


mixiで書いた日記の転載です。炁楽仙女さんの『鎭心経』について鬼雷さんというかたのコメントが興味深くて、自分なりに探索しているうちに、芹澤光治良さんの記事に出会って思い出したことなど書いています。以下転載です。
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鬼雷さんの鎮心経情報に触発されてWeb探索しましたが、さすがに何の情報も出てきません。 
その途中で笹目秀和さんのことについて書いてあるブログに行き当たり、見ていると作家の芹沢光治良さんに会った話があるのに気付きました。 

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http://blog.livedoor.jp/lrf6662/archives/39540002.html 
「気マガジン」という気功雑誌編集長と副編。 
小生と井上球二先生の四人で芹沢光治良翁と対談いたしました。 
その時、突然、芹沢翁がせき込んだ。 
そして翁は私に「あなたのセキをうけました」と申されました。 
そして、「神様があなたのノドを治したよ」とおっしゃいました。 
私は何を先生がおっしゃっているのか、一瞬判断に躊躇しました。 
私はその頃、郭良気功大師の元に外気治療を受けに、静岡より東京に通っていた。 
私は芹沢翁も少しボケたのかなと思った。 
手の平療治にしろ、気功治療にしろ、手の平より気を発して治療をするのに、手も使わず、 
ただひとこと「神様があなたのノドを治しましたよ」のひとことであった。 
そのひとことで、積年の私のへんとうせんは治っていたのである!! 
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芹沢光治良は『神の微笑』で知り、これに続く神シリーズが発刊されるたびに夢中になって読んだものでした。高齢になって今まで批判的に小説に書いてきた天理教の教祖と対話したり、庭木と会話する小説を出したので、昔からのファンの人は大変驚いたことであろうと思います。 

神と話した作家「芹沢光治良」 3 うそと言う名の小鳥 
http://ameblo.jp/yippee-happy/entry-11486485958.html 
ここに泰山木との対話の始まりの件がありますが、いま読み返しても涙が零れそうになります。 

芹沢光治良の名前を見て、彼が道院と繋がっていたことを思い出しました。自伝的小説『人間の運命』に道名を授かった経緯が記されていたのです。どこにあったか調べてみると第十二巻「暗い日々」でした。芹沢光治良は森次郎の名前で登場します。以下引用して見ます。 

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 次郎がこの紅卍字会の運動を知ったのは、一郎と北京へ行った時だった。 
 或る日、日本大使館の林一等書記官が一郎と次郎に会いたいという、同盟の記者に言伝があって、一等書記官を大使館に訪ねると、北京の紅卍字会が一週間も前から二人を探していたとのことであった。道院のフウチに「森一郎こと真一と森次郎こと映光が、北京に到着するが、この日本の兄弟は、天帝から真一、映光という道名を授けられたとおり、道士であるばかりでなく、平和の使者であるから、歓待し、あらゆる便宜をはかるように」というようなことが出たが、北京の紅卍字会のなかには、森兄弟を知る人がないからとて、林書記官に連絡があったとのことだった。 
(中略 翌日道院訪問の場面に移ります) 
 これがフウチかと、次郎は好奇心で全身をこわばらせながら、注意を集中した。しばらくして、二人の道士の持った棒が突然そのリズミカルな動揺をとめた。すると、卓子の漢字を書きとどめていた道士の横にかけた道士が、それまで書かれた漢字を文章にして、これまた朗々と読み上げた。しかし、次郎は意味がわからなかった。林書記官が低い声で通訳した。 
「天帝老祖はみなが真一、映光をここに歓迎したことを嘉する。真一、映光の道友は天帝老祖が地上に送った平和の使者にして、この二道友が東方日本国より来たるは、この地に和平の来たる証として、みなも喜び祝すべし――と、まあこんな意味です」 
「天帝老祖というのは、天帝と老祖ということですか」 
「いいえ、機嫌のいい時は天帝老祖と自ら名のるらしいですよ」 
 そう話しているうちに、砂の上に赤い毛氈がしかれて、その上に白紙がのべられた。そして、二人の道士が両方から持った棒の中央に、棒の代りに太い毛筆をつないで、たっぷり墨汁をふくませてから、二人の道士はフウチの場合のとおりに、棒の両方のはしを持って、目を閉じた。壁にそって立った数人の道士が、再び音楽的な斉唱をはじめたが、二分もたたないで、棒はするすると左右に動き出して、棒の中央にさがった毛筆が、白紙の上に一気に黒々と達筆に書きあげた。とたんに斉唱はたえたが、全道士が等しく歓声をあげた。 
「天帝の書です。めったに天帝の書は授からないので、みな歓喜しているのですよ」 
 そう林書記官が次郎たちに話した。道士たちが三人の日本人に感謝の言葉を浴びせている間に、天帝の書が壁にはられた。余りにみごとで、達筆の余り、次郎は読めなかった。 
「遥かなる東方より陽光そそぎ、雪霜徐々にとけて、春光地にみつれば、万邦善隣の喜びを寿ぐべし――とでも読むのでしょうか」と林書記官が代って読んで聞かせた。 
 次郎はその意味よりも、その書が、壁にはられた他の書と、その筆蹟、運筆の妙等、すべて同一で同一人によって書かれたようなのに注意を惹かれたが、林書記官は、他の道院で書かれた天帝の書もみな同一筆蹟であるから、天帝が唯一の創造神であることが信じられると、話した。 
 次郎たちは院長や道士たちに送られて講堂を出たが、広い庭で、道士たちは幾度も次郎たちに握手して、再会を約束させては、別れをおしんだ。今日のフウチと書は、直ちに本部に通知するから、次郎たちが支那旅行中、何れの都市の道院も道士も、兄弟として迎えるので、遠慮なくわが家のように訪ねるようにと、最後に念を押して、門まで送って来た。 
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そういえば私も昔炁胞牌(漢字が合っているか分かりません)というのを求めて、そのとき申し込んだ人は笹目仙人が天帝に報告の祈祷?をしてくれるということだったのですが、ひょっとして本当に通じていたのかしらと思う今日この頃です。 


    2012年7月11日水曜日

    サイ・マー動画まとめ 2

    去年の11月にサイ・マー動画まとめを書きましたが、
    その後また動画が増えてきたので再びまとめてみました。

    インドの聖者サイマー これから地球に起こること 3/10
    http://www.ustream.tv/recorded/21002948

    インドの聖者サイマー 紫の炎 3/23
    http://www.ustream.tv/recorded/21297585

    スピリチュアル対談 聖者サイマー・中丸薫 4/12
    http://www.ustream.tv/recorded/21782535

    フロリダより 聖者サイマー生中継 4/18
    http://www.ustream.tv/recorded/21938684

    聖者サイマー来日インタビュー
    http://www.ustream.tv/recorded/22505895

    聖者サイマー 東京講演 来日ダルシャン映像
    http://www.ustream.tv/recorded/22999355

    聖者サイマー 未公開映像集  東京公演の第2部
    http://www.ustream.tv/recorded/23166169



    私はサイマー来日時に東京の第二部のダルシャンに参加しました。
    「ブレイン イルミネーション」のDVDにシャクティを入れながら
    「Very important」と一言声をかけていただきました。

    2012年2月11日土曜日

    Vijñāna Bhairava Tantra の翻訳書

    Amazon.com の書評を読んでいて、 “Vijñāna Bhairava” がOshoの“The Book of Secrets”で解説されていたヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラの原典だと気づきました。

    Jaideva Singh の英訳が Scribd に在ったので、ちょっとOsho の邦訳と比べてみたら、瞑想法についての記述に入る前段のシヴァとパールヴァティーとの対話からして抜粋訳になっていて、112の瞑想法の順番も原典とは異なっていました。

    Osho のテキストはPaul Repsの英訳に基づいていています。それを瞑想のテーマごとに分類して注解しているのでスートラの順番が変わっていたのです。
    Paul Reps はSwami Lakshmanjoo から Vijñāna Bhairava Tantrra の手ほどきを受け、Swami Lakshmanjoo の英訳を11回以上書き換えてこの英訳になったと言っています。 最初1955年春 "Gentry magazine" に掲載され、1957年に“Zen Flesh, Zen Bones. A Collection of Zen and Pre-Zen Writings”の中に収録されました。彼は俳句や禅の影響を受けた詩人でもあるので、その訳文は簡潔で自由訳・超訳になっています。

    オリジナルのテキストを見るのにはJaideva Singh の注解でで十分だと思いましたが、Swami Lakshmanjoo の解説の評価が高く、また Jaideva Singh の師に当たるようなので、 “Vijñāna Bhairava, The Manual for Self-Realization” を購入してみました。もとは Lakshmanjoo の講話CD7枚とその Transcript の本一冊のセットでしたが、私が手に入れたのは第三版のmp3CD1枚(AudioCD7枚分の講話が入っています)が付録になっているものです。
    おなじ録音からテキスト起こしされた “Vijñāna Bhairava,The Practice of Centring Awareness” という本もありますが、こちらの方はSwami Lakshmanjoo の確認を得ずに出版されたもので間違いも多いようです。

    Osho の注解ので用いられているテキストとポール・レップスの英訳ではtheがaになっているとか脱落しているとか、一部微妙な違いがあります。少し例をあげてみましょう。上がポール・レップス下がOshoになります。

    Verse 58
    33. Gracious one, play the universe is an empty shell wherein your mind frolics infinitely.
    110. Gracious one, play. The universe is an empty shell wherein your mind frolics infinitely.

    Verse 93
    68. Pierce some part of your nectar-filled form with a pin, and gently enter the piercing.
    21. Pierce some part of your nectar-filled form with a pin, and gently enter the piercing and attain to the inner purity.
    Osho は原典をほとんど見てないようですが、下の例は微妙ですね。Paul Reps に別の版があったのか、原典を見たのかもしれません。

    他の訳についても紹介しておきましょう。
    Swami Saraswati Satyasangananda – Sri Vijnana Bhairava Tantra: The Ascent.
    著者はカシミール・シヴァ派の流れに属していないので、呼吸の時意識するポイントなど解釈がLakshmanjooやJaideva Singhと違う部分があります。
     

    Bettina Baeumer - Vijnana Bhairava - Das goettliche Bewusstsein
    独訳です。原典に忠実な訳に見えます。

    Vijnana Bhairava Tantra (Vigyan Bhairav Tantra) のリソース

    Osho の注解をオリジナルのテキストと比較しようとしたら、対応するはずのテキストが見つけられず、困りました。そうしているうちに見つけたリソースのまとめです。

    後で分かったことですが、Osho の注解のテキストはポール・レップスの英訳に基づいており、しかも順番を瞑想のテーマごとに並べ替えていたので Osho のテキストのナンバリングに基づいてサンスクリット・テキストを見ると全く別のところを参照していることになるのです。

    しかもポール・レップスは禅の影響を受けたこともあって、その訳は今はやりの言葉でいうと自由訳・超訳になっているので、それに基づいたOshoの注解はまったく原典の意図を離れたものになっていることがあり要注意です。

    Vijnana Bhairava Tantra の理解には、カシミール・シヴァ派の伝統を受け継ぐ Lakshmanjoo の注解書と彼に手ほどきを受けた Jaideva Singh の注解書を基本にするのが良いと思います。

    最初にこの書を英訳したポール・レップスについて書いてあります。
    http://www.geocities.jp/oshotara/vbt_introduction.htm
    http://www.paulreps.com/Biography.aspx

    Zen Flesh, Zen Bones
    ポール・レップスの著書、この中の“Centering”の章が Vijnana Bhairava Tantra でした。
    Lakshmanjoo から教えを受けたことが書かれています。
    http://books.google.co.jp/books?id=m9CCTo258n8C

    Centering
    http://lukestorms.com/2010/10/19/centering-practices/
    http://www.spiritual-learning.com/centering-reps.html
    上のリンクは Centering のポール・レップス自身による紹介部分も含まれているので先に挙げたのですが、すこし誤植が多いようです。次のリンクのほうが誤植が少ないです。
    http://www.friakademi.se/downloads/FreeAK/paul%20reps%206.htm
    http://o-meditation.com/2010/12/02/shivas-112-meditation-techniques/

    Vigyan Bhairav TantraOshoの注解書のPDF
    最初講話を16づつまとめて一巻とし”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” として出版されましたが、のちに40づつ全二巻の“Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”として出版されたものに基づいたものです。.
    Osho の注解に用いられているテキストはポール・レップスの英訳に基づいています。
    ただし瞑想のテーマごとにまとめて並べ替えているので、オリジナルのサンスクリットテキストと対照しようとするとかなり手間取ります。
    http://www.messagefrommasters.com/Beloved_Osho_Books/Tantra/Vigyan_Bhairav_Tantra_Volume_1.pdf
    http://www.messagefrommasters.com/Beloved_Osho_Books/Tantra/Vigyan_Bhairav_Tantra_Volume_2.pdf

    Oshoの解説部分の抜粋
    http://www.oshoworld.com/tantra_medi/index.asp

    Jaideva Singh の英訳・注解
    Swami Lakshmanjoo の弟子による注解です。
    http://www.scribd.com/doc/72481270/Vijnana-Bhairava

    Vijnana Bhairava Tantra - Sanskrit Text with English Translation
    Swami Satyasangananda Saraswati の“Sri Vijnana Bhairava Tantra - The Ascent” からサンスクリット・テキストと英訳部分を抽出してPDFにしたもの。
    http://www.scribd.com/doc/24802550/vijnana-bhairava-tantra-rajendra
    http://cleaves.zapto.org/news/attachments/oct2011/vijnana_bhairava_tantra.pdf

    L. SILBURN の仏訳
    http://www.tantra.fr/texte/VBT.htm

    Daniel Odier の仏訳
    http://www.danielodier.com/FRENCH/textes/vijnana_f.html
    仏訳からの英訳
    http://www.danielodier.com/ENGLISH/Texts/vijnana_e.html
    http://www.scribd.com/Soham%20Hamsah/d/10050600-Vijnana-Bhairava-English-Translation

    Lorin Roche - THE RADIANCE SUTRAS
    ここに公開してあるのは32詩節まで、訳文に解釈を入れた自由訳のようです。
    http://www.lorinroche.com/radiancesutras/radiance/sutras1992.html
    http://www.lotustantra.com/Vijanabhairava%20Tantra2.pdf

    ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ 全文対訳
    Osho の注解書の順序でポール・レップスの訳を対訳してあります。一部誤植があり訳文も誤植を反映しているところがあります。
    http://www.geocities.jp/oshotara/vbt.htm


    2012年2月5日日曜日

    ガヤトリ・マントラのアクセントについて

    ガヤトリ・マントラはリグ・ヴェーダの 3-62-10 に入っています。
    それならヴェーダ・アクセントの付いたテキストがあるはずだと思い、調べてみたらいくつかありました。
    初めのオーン・ブール・ブヴァッ・スワハの部分はリグ・ヴェーダに含まれていないので、そのあとの部分をアクセント記号付きで表示すると次のようになります。

    ヴェーダ期のアクセントは音の高低のピッチ・アクセントで、上についている縦棒は高音(swarita)、下についている横棒は低音(anudatta)、何もついていないのは中音(udatta)です。

    興味深い書き込みを見つけたので紹介します。
    http://www.hindudharmaforums.com/showthread.php?t=7605&page=2
    ここの Saidevo さんの書き込みが面白いです。
    Anuradha Paudwal の発音のおすすめでない点や、svah は間違いで suvah でなければならないなど、いろいろ書いてあります。
    彼のアクセント付デーヴァナーガリー表記はこうなっています。

     http://www.scribd.com/doc/31402821/gAyatrI-acc
















    これを見ると、 最初の行のヴィサルガの発音は実際の発音通りにつづられています。
    ワレーニャンのレーとプラチョーダヤートのヤーのアクセントは縦棒2本の dīrga swarita (前半は中音で後半高音になる)になっています。
    http://www.scribd.com/doc/31402821/gAyatrI-acc

    では聞き比べてみましょう。
    ラヴィ・シャンカールの Chants of India のガヤトリ・マントラではプラチョーダヤートのヤーは確かに dīrga swarita になっているように聞こえます。
    http://www.youtube.com/watch?v=C7IrmkV3mPM

    Rattan Mohan Sharma は両方とも dīrga swaritaですね。Unni Krishnan も同様でした。
    http://www.youtube.com/watch?v=1MzIPU6qHsU

    下のページにヴェーダの学習風景の動画がありますが、ちょうどガヤトリ・マントラの詠唱の練習をしているところがあります。2分ぐらいから「タッサヴィ、タッサヴィ、タッス、タッ、タッサヴィトゥール、サヴィトゥル、ワレーニャン、ワレーニャン…」と、すさまじいですね。
    http://ancientindians.wordpress.com/tag/swarita/

     
     これを聞くとワレーニャン のレーとプラチョーダヤートのヤーは両方とも dīrga swarita になっていますね。

    2012年1月16日月曜日

    ガヤトリ・マントラの発音について


    ガヤトリ・マントラの発音で疑問に思っていた点が少しわかってきたので、まとめてみました。ちなみにガーヤットリーが正しい発音らしいです。どうして促音が入るのかはよくわかりません。ルドラもルッドラと発音するので何か法則があるんでしょうけど、ご存知の方があればご教示くださいませ。
    先ずガヤトリ・マントラをデーヴァナーガリーとiastで表記してみます。

    ॐ भूर्भुवः स्वः
    o bhūr bhuvaḥ svaḥ
    तत्सवितुर्वरेण्यं
    tat savitur vareṇya
    भर्गो देवस्य धीमहि
    bhargo devasya dhīmahi
    धियो यो नः प्रचोदयात्
    dhiyo yo naḥ pracodayāt

    サイババの音源を勧める人が多いのでこれを基準にしてみて、初めに躓いたのはヴィサルガの発音です。hの下に点のあるやつですね。
    最初のところそのまま読めば「オーン、ブール、ブワハ、スワハ」ですが、「ブワハ」でなく「ブワッ」と聞こえます。
    これはじつは実際の発音は外連声の法則に従ってヴィサルガがスワハのsに同化してsに変化しているのですが、表記はヴィサルガのままになっていたのでした。 
    涌井和著『サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる』のヴィサルガの発音の説明で「後に歯擦音が続くとき、その音に同化することがある(まれではあるが実際にそう綴られることもある)」とありました。
    なるほど確かに「シャンティ、シャンティ、シャンティヒ」もそうなってますね。
    bhūr のrもヴィサルガが外連声の法則に従って変化したのもですが、こちらはそのまま表記されています。
    ヴィサルガの発音でもう一つ分からなかったのが naḥ がナでなくナッとしか聞こえないことでした。
    ガヤトリ・マントラをいろいろ聞いているうちに実際にナと発音しているものも見つけました。
    Anuradha Paudwal です。

    次にナと発音しているものを見つけました。Unni Krishnan です。(ちなみにこのCDの2曲目には音源にノイズが入っているのでお勧めできません)
    http://itunes.apple.com/jp/album/gayatri-mantra-mrutyunjara/id188849687
    どうやらサイババやその他多くの人のガヤトリ・マントラでナッとしか聞こえないのは次のプラチョーダヤートのpの音に引きずられて f に近い発音になっているためではないかと思います。サンスクリット自体にfを表記する文字はないので、ヴィサルガのヴァリエーションの一つと考えることができるのではないでしょうか。
    文法書ではありませんが、下のPDFにこのような説明がしてあります。
    http://www.shanty.org.ve/files/boletines/saivedasn6.pdf
    スペイン語でしょうか?こう書いてあります。
    Cuando nos encontramos con una palabra terminada en “visarga” (un puntito debajo de la “h”), seguida de una palabra que comienza con “p” (pracodayāt), hace que el sonido de la “visarga” se transforme en una suave “f” (la razón de esto obedece a ciertas reglas del sánscrito de cierta complejidad para abordar en este análisis, solo basta decir que si no pronunciamos la “f” y sólo pronunciamos “na”, equivale a hacer una negación de todo el pedido que se está realizando en esta línea).
    機械翻訳で英語にして読み解くとだいたいこんなかんじでしょうか。
    「ヴィサルガで終わる単語がpで始まる単語に続くとき、ヴィサルガは滑らかなfになります。(その理由はサンスクリットのある連声の法則に従うためですが、こう言えば十分でしょう。もしfを発音せずにnaだけ発音するなら、この行の祈り全体を否定してしまうのと同じことになるからです。)」

    naは英語で言うとnot、noですから、naと発音すると「プラチョーダヤートしないで下さい」という意味になるということですね。

    ガーヤトリー・マントラの逐語訳はここが詳しいです。
    http://blog.sitarama.jp/?eid=654899