2009年5月31日日曜日

ヘレンのACIM解釈について 9/14

Christian Psychology (つづき)

この Christian Psychology への序文の中で、彼はもはやキリスト教とコースとの断絶を橋渡しする試みを信じていないことを弁明する。 むしろ、彼の著作が今強調するのは、「相矛盾する思惟体系の間にある真実の相違」である。19 彼がForgiveness and Jesus の序文で言っているように、「これらの[コースと聖書との]間にある違いが、これら二つの精神的アプローチを並べてみせる如何なる試みも不可能にすると、私は学習者にたいして、ますます強調するようになった。20 彼はもはやその断絶の橋渡しを信じていないのは明らかである。(そしてそれを試みることさえもはや信じていない。)その代わりに、その断絶は橋渡しできないと断言する。これは彼をヘレンの見解と衝突する立場に置く。というのも彼自身の言葉によれば、彼女は「橋渡しが…不可欠であることに同意した」からである21

彼はまた聖霊とイエスが世界の中で現実に行為することを示唆する小冊子の表現からも遠ざかっている。

「私はその本で聖霊の計画、聖霊あるいはイエスが私たちを人々の元に向かわせること彼ら[聖霊やイエス]に私たちが助けを求めることについて言及したけれども、実際には聖霊(もしくはイエス)が錯覚に基づく世界に干渉することはない。それは彼らを私たちと同様正気でない者にしてしまうのだから。」22

彼はこの違いを解決しようとして、こう言っている。彼はただ聖霊があたかも世界の中で働くかのように話しただけで、彼がそうしたのは、この小冊子がユダヤ・キリスト教徒の聴衆に調子を合わせているからで、 彼らの言い回しで話そうとしたためだ。23 それが本当であるとしても、それは聖霊が世界の中で活動することに関して、彼とヘレンは決して合意していないことを意味するだろう。しかしながら私はこう信じるのだが、彼の著作全体を概観して強く心に浮かぶことは、どの思想家にも普通のこととして、彼の見解は単に時間を経て代わってしまったということだ。彼の初期の教えでは概して、聖霊を世界の中で活動する者として語っていて、あたかも言葉通りのことを意味しているように見えた。後には全く違う風に語った。以下その例を見てみよう。

ここでの問題はヘレンが先に見た二つの論点について両方とも初期のケンと一致していたことだ。彼女は聖霊とイエスが世界の中で活動することを信じていた。キリスト教とコースとの断絶を橋渡しすることの目的についても同意している。それでは、このことから彼女は後期ケンに関連してどのような位置にあるだろうか?

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19. Christian Psychology, p. x.

20. Forgiveness and Jesus: The Meeting Place of 'A Course in Miracles' and Christianity, 6th ed. (1st ed. 1978; 6th ed. 1998), p. xv.

21. Christian Psychology, p. ix.

22. Christian Psychology, p. xi.

23. Christian Psychology, p. x.

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