ヴェーダのテキストにアクセント記号がついているものがありますが、
無料のいい教材が見つかったので紹介します。
サイババ関連ですが Vedam Tutorials です。
ヤジュル・ヴェーダのルドラム(ルドラ讃歌って感じでしょうか?)です。
Maha Mrityunjaya Mantra も Namah Shivaya もルドラムの一節だそうです。
PDFにmp3、音声埋め込みPDFなど充実しています。
あとサーマ・ヴェーダのメロディーの記号が読めるようになる教材があればいいのですが…
2011年12月17日土曜日
Unni Krishnan の CD 購入しました。
Unni Krishnan “Gayatri Mantra & Mrutyunjaya Mantra” を購入しました。
実はCD購入前にAmazonのmp3ダウンロードで2曲300円で買ったのですが、
Mrutyunjaya Mantra の後半ノイズがひどくてがっかりしました。
Amazon に問い合わせたら返金してくれたので助かりましたが…。
いかにもCDに傷が入っているようなノイズなので、傷入りCDからmp3化したのだろうと思い
もとのCDを買うことにし、安くすませるためインドの通信販売を利用しました。
梱包は日本でも見たことないくらい丁寧で、CD一枚なのにタッパーみたいな
入れ物の中に発泡スチロールを緩衝剤にしてCDが入っていました。
ところが肝心のCDを聞いてみると、やはり同じようにノイズが載っていますw
CDの原版にノイズが入っていたのでした。仕方がないのでSoundEngineFreeという
ソフトでノイズの入っていないところを編集して聴けるものを作ってしまいました。
マントラなので同じメロディーの繰り返しですから、聞いてて継ぎ目が分からないくらいに
うまく編集できました。
ジャケットの裏を見ると前にここに書いたのとは違う説明がしてありました。
Om Jun Sah の OmがBija種字で、シャクティ(Parashakti)がJun、
Sah はlynchpin(要?サンスクリットでkīlaka[pin, pillar])、
このマントラを伝えたのは Maha Chama Pada と書いてあるのですが、
マントラのシャクティとか kīlaka って何なのでしょう。
調べてみるとここを見ると少し説明してありました。
Mantra in japa yoga plays an important part, as mantra is an absolute science. In Hinduism, mantra has six parts. It has got a Rishi (a man of Self realization) who revealed the Mantra to the world for the first time. He is the Drashtra or the Seer for this Mantra. For instance, Sage Viswamitra is the Rishi for the Gayatri. Secondly, the Mantra has a metre (Chhandas), which governs the modulation of the voice. Thirdly, the Mantra refers to a particular Devata or super natural being. This Devata or God is the essence of the Mantra. Fourthly, the Mantra has got a Bija or seed. The seed is the keyword or a series of words, which gives strength to the mantra. Fifthly, every mantra has got power or Shakti. The Shakti is the energy of the Mantra that is the reverberation forms set by the sound of the mantra. This sound aids in the communion of human beings with the Almighty, which is worshipped. Lastly, the Mantra has a Kilaka- pillar or pin. This plugs the consciousness or the Mantra Chaitanya that is hidden in the Mantra. As soon as the plug is removed by constantly repeating the name of the Supreme Divinity, the Chaitanya or the consciousness that is hidden is revealed. The devotee gets to see the Ishta Devata.
実はCD購入前にAmazonのmp3ダウンロードで2曲300円で買ったのですが、
Mrutyunjaya Mantra の後半ノイズがひどくてがっかりしました。
Amazon に問い合わせたら返金してくれたので助かりましたが…。
いかにもCDに傷が入っているようなノイズなので、傷入りCDからmp3化したのだろうと思い
もとのCDを買うことにし、安くすませるためインドの通信販売を利用しました。
梱包は日本でも見たことないくらい丁寧で、CD一枚なのにタッパーみたいな
入れ物の中に発泡スチロールを緩衝剤にしてCDが入っていました。
ところが肝心のCDを聞いてみると、やはり同じようにノイズが載っていますw
CDの原版にノイズが入っていたのでした。仕方がないのでSoundEngineFreeという
ソフトでノイズの入っていないところを編集して聴けるものを作ってしまいました。
マントラなので同じメロディーの繰り返しですから、聞いてて継ぎ目が分からないくらいに
うまく編集できました。
ジャケットの裏を見ると前にここに書いたのとは違う説明がしてありました。
Om Jun Sah の OmがBija種字で、シャクティ(Parashakti)がJun、
Sah はlynchpin(要?サンスクリットでkīlaka[pin, pillar])、
このマントラを伝えたのは Maha Chama Pada と書いてあるのですが、
マントラのシャクティとか kīlaka って何なのでしょう。
調べてみるとここを見ると少し説明してありました。
Mantra in japa yoga plays an important part, as mantra is an absolute science. In Hinduism, mantra has six parts. It has got a Rishi (a man of Self realization) who revealed the Mantra to the world for the first time. He is the Drashtra or the Seer for this Mantra. For instance, Sage Viswamitra is the Rishi for the Gayatri. Secondly, the Mantra has a metre (Chhandas), which governs the modulation of the voice. Thirdly, the Mantra refers to a particular Devata or super natural being. This Devata or God is the essence of the Mantra. Fourthly, the Mantra has got a Bija or seed. The seed is the keyword or a series of words, which gives strength to the mantra. Fifthly, every mantra has got power or Shakti. The Shakti is the energy of the Mantra that is the reverberation forms set by the sound of the mantra. This sound aids in the communion of human beings with the Almighty, which is worshipped. Lastly, the Mantra has a Kilaka- pillar or pin. This plugs the consciousness or the Mantra Chaitanya that is hidden in the Mantra. As soon as the plug is removed by constantly repeating the name of the Supreme Divinity, the Chaitanya or the consciousness that is hidden is revealed. The devotee gets to see the Ishta Devata.
2011年12月4日日曜日
Maha Mrityunjaya mantra
Maha Mrityunjaya mantra を毎日唱えることにしました。
これです。
oṃ tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam
urvārukam iva bandhanān mṛtyor mukṣīya māmṛtāt
urvārukam iva bandhanān mṛtyor mukṣīya māmṛtāt
もともとこのマントラを知ったのはナンディさんのCD“SivaSivaa!!!”でした。
南インドの訛りなのか発音が少し違うようで、ムクシーヤのところがムルゲイヤに聞こえます。CDを聞きながら同じように発音しようとしても難しいので他の人のチャンティングを探すことにしました。
意外に多いのがオームに続く tryambakaṃ の冒頭を「トラヤン」と発音しているもの。綴り通りだと「トリャン」となると思うのですが、なかなかありません。ウェブ上でこのマントラを紹介してあるところを見ると、発音だけでなく実際に trayambakaṃ と転写していたり、デーヴァナーガリ文字で書いてあっても、त्र्यम्बकं でなく त्रयम्बकं になっているところがあります。
YouTube でいろいろ聞いてみて、発音の観点からのおすすめはここらあたり。
http://www.youtube.com/watch?v=PVd4_KTJG6g たぶん Anuradha Paudwal だと思います。http://www.youtube.com/watch?v=pEz9nKIQjiI
最初が「トラヤン」になっていますが、マントラの最初と最後におまけ(samput と言うらしい)がついているヴァージョン。歌手はSuresh Wadkar
http://www.youtube.com/watch?v=SV1cVDhKZ6ghttp://www.youtube.com/watch?v=mY_9W0wstZE
マントラの最初についているのはこれ、
oṁ hauṁ juṁ saḥ oṁ bhūr bhuvaḥ svaḥマントラの終わりについているのはこれです。
oṁ svaḥ bhuvaḥ bhūḥ oṁ saḥ juṁ hauṁ oṁ
oṁ bhūr bhuvaḥ svaḥ の方はガヤトリ・マントラの最初と同じですね。
oṁ hauṁ juṁ saḥ は種字マントラで、Vāmadeva Rishi 伝の oṁ hauṁ saḥ と Kahola Rishi (アシュターヴァクラの父?)伝のoṁ juṁ saḥ を融合したもの。hauṁ [ha+oṁ haはアーカーシャ・タットヴァ] はSadashiva、juṁ は Mrityunjaya[死を克服したもの=Shiva]、saḥ はShakti を象徴するようです。
種字マントラのチャンティングも神秘的です。
Maha Mrityunjaya Bija Mantra 歌手はUnni Krishnan です。
2011年12月3日土曜日
ダグラス・ハーディングとvijñāna bhairava tantram
最近カシュミール・シャイヴィズム[カシミール・シヴァ派]に興味を持って調べています。すると昔買ったOshoの『タントラ秘法の書』で解説しているヴィギャン・バイラヴ・タントラ[vijñāna bhairava tantram]がまさにカシュミール・シャイヴィズムの重要な文献であることに気付きました。
なにかいい解説書がないか調べていると、Swami Shankarananda, “Consciousness is Everything”の抜粋が目に入りました。 見てみるとダグラス・ハーディングについて何か書いています。
「もしダグラス・ハーディングがシヴァ派のテキストのVijnanabhairavaを覗いていたなら、瞑想法62を見つけたことだろう」と書いてあります。スートラ85にそれはありました。
लीनं
मूर्ध्नि वियत्सर्वं भैरवत्वेन भावयेत्।
तत्सर्वं
भैरवाकारतेजस्तत्त्वं समाविशेत्॥ ८५॥
līnaṁ
mūrdhni viyat sarvaṁ bhairavatvena bhāvayet |
tat sarvaṁ bhairavākāratejastattvaṁ samāviśet || 85 ||
英訳はJaideva Singh の訳文が引用されていました。
The yogi should contemplate the entire open space (or sky) under the form of the essence of Bhairava and as dissolved in his head. Then the entire universe will be absorbed in the light of Bhairava.
「開けた空間(または空[ソラ])は純粋意識の本質の顕現である。それを自らの頭の中に溶け込ませて観照しなさい。全宇宙は純粋意識の光の中に吸収されるだろう」
これはまさにダグラス・ハーディングの方法そのものですね。
2011年11月29日火曜日
2011年11月21日月曜日
パーニニの天才性
平岡昇修著『初心者のためのサンスクリット文法I』を手に入れて、正誤表を見ながら本に書き込んでいたら意味不明のところがありました。どういう意味か調べているうちにそれがパーニニの用語であることがわかり、彼の驚くべき天才性を目の当たりにしました。といっても私が理解したのは記述のスタイルだけなのですが、それだけでパーニニの巨大さの片鱗をうかがうことができました。
その正誤表の分からなかったところというのは、名詞の造語法・接尾辞に関するものでした。
動作主名詞をつくる接尾辞に -aka がありますが、正誤表に णक 【(ṇ)aka】 と記されているところを、ण्वुल् 【ṇvul】 に修正するように指示されています。 -aka は動詞語根に直接付く第一次接尾辞で-aka の前についている (ṇ) は指示文字と呼ばれ、この場合動詞語根の母音変化の振る舞いを指示する記号です。それでは何故 णक 【(ṇ)aka】 を ण्वुल् 【ṇvul】 に修正しなければならないのか分かりませんでした。 णक 【(ṇ)aka】 の方はちゃんと接尾辞の-aka が見えますが、ण्वुल् 【ṇvul】の方にはさっぱり接尾辞らしいものが見当たりません。
ṇvul を辞書で引いてみると、なんと辞書に載っていません。仕方ないのでネットで検索すると、どうやらパーニニに関連するらしいことがわかりかけてきました。Aṣṭādhyāyī(パーニニ文典)に書いてあるらしいですw もともと指示文字(ṇ)とか考えたのがパーニニで、ṇvul もパーニニの用語なのでした。そうすると最初の ṇ が怪しいですね。これも指示文字なのでしょう。調べているうちに最後の l も指示文字らしいようです。分かりやすく指示文字は大文字で表記する流儀があるようなので、それに従うとṄvuLと表記できます。(指示文字Lの意味は分かりませんでした。)それで vu=aka になるらしいのですが、どこに説明したあるのか分からずお手上げです。 ṇvul を辞書で引いても出てこないのは、もともとそれは単語ではなくて、パーニニの考案した記号だからでした。
第一、ṇ で始まる単語自体、モニエルに4単語しかなく、そのうち2単語は単なる音としての子音に関するものです。このあたりに普段めったに語頭に現れない音を記号に採用して、記号と単語の混同が起きないようにしたパーニニの工夫がすでに表れていたのでした。
それでとりあえず ण्वुल् 【ṇvul】の追及はあきらめて、Aṣṭādhyāyī の始まりのところを見てみることにしました。(思えばこの時何も理解していませんでした。)Google books で次の2冊を参考にしました。
Pāṇini's Grammatik, Otto von Böhtlingk
初めにシヴァ・スートラという音の分類表のようなものがあります。パーニニ自身その分類表の見かたとか何も書いていません。(後で訳者の解説を読んでどうにか理解しました。)音を分類してあること以外意味不明なのでスルーしました。それで最初のスートラがこれです。
वृद्धिरादैच् vṛddhirādaic
独訳を見るとこれで「ā、ai、au をヴリッディという」となっています。
vṛddhirādaic は vṛddhir ādaic に分けられますから、前半にヴリッディは判別することができます。語末の r は-iḥ ā- ⇒ -irā- の外連声です。
それではどうして ādaic が ā、ai、au になるのでしょうか? 例によって辞書を調べても出てきません。第一サンスクリットでは語末に現れる子音は限られていて(絶対語末)、c は語末に存在することができないのです。Sumitra Mangesh Katre の英訳を見ると、āT=aiC と分解されています。ādaic の d は外連声で t が有声化したものだと分かります。T も C も指示文字(IT marker)です。āT の T の意味合いはまだよく理解できないので、とりあえず āT で意味されているのは ā としておきます。
(Wikipediaによると「Tの文字もあらわれるがこれもITマーカーと呼ばれ、1.1.70で定義されている。このTはそれに先立つ音素が音素リストにあらわれず、アクセントと鼻音化をしめすメタ文節的特徴を含む単一の音素である。例えばāTとaTはそれぞれ{ā}、{a}をあらわしている。」)
次に aiC ですが、どうしてこれでヴリッディの ai、au を示すことができるのかというと、これは先にスルーしたシヴァ・スートラの音の一覧表を用いた表記方法になっているのです。シヴァ・スートラの4行目を見ると ai au C となっています。aiC で ai で始まり C で終わるまでの音を示しています。最後の C は IT marker なので、実質示されているのは、ai au の二つになります。
次のスートラを見ると…
अदेङ् गुणः adeṅ guṇaḥ
グナは一目でわかるので、残りの adeṅ ですが Sumitra Mangesh Katre に従って分解し、連声前の形に戻して IT marker を大文字にして分かりやすくすると、aT eṄ になります。aT は短母音の a を示し、 eṄ は先ほどのシヴァ・スートラの3行目を見ると e o Ṅ になっているので e で始まり Ṅ で終わる e o を示しています。したがって「グナは a、e、o である」となります。
ここまで来て最初からこの調子で、最後まで変わらず方程式のような記述が続いているのではと気がつきました。心の叫びとしては「最初からこれかよ!」です。古典語は格変化があるのでbe動詞がなくても文が成立するのですが、パーニニのスートラはbe動詞だけでなくほとんど動詞自体がないスタイルでコンパクトに記述しているようです。しかしこれが紀元前4世紀の人間の考えることでしょうか?!
その正誤表の分からなかったところというのは、名詞の造語法・接尾辞に関するものでした。
動作主名詞をつくる接尾辞に -aka がありますが、正誤表に णक 【(ṇ)aka】 と記されているところを、ण्वुल् 【ṇvul】 に修正するように指示されています。 -aka は動詞語根に直接付く第一次接尾辞で-aka の前についている (ṇ) は指示文字と呼ばれ、この場合動詞語根の母音変化の振る舞いを指示する記号です。それでは何故 णक 【(ṇ)aka】 を ण्वुल् 【ṇvul】 に修正しなければならないのか分かりませんでした。 णक 【(ṇ)aka】 の方はちゃんと接尾辞の-aka が見えますが、ण्वुल् 【ṇvul】の方にはさっぱり接尾辞らしいものが見当たりません。
ṇvul を辞書で引いてみると、なんと辞書に載っていません。仕方ないのでネットで検索すると、どうやらパーニニに関連するらしいことがわかりかけてきました。Aṣṭādhyāyī(パーニニ文典)に書いてあるらしいですw もともと指示文字(ṇ)とか考えたのがパーニニで、ṇvul もパーニニの用語なのでした。そうすると最初の ṇ が怪しいですね。これも指示文字なのでしょう。調べているうちに最後の l も指示文字らしいようです。分かりやすく指示文字は大文字で表記する流儀があるようなので、それに従うとṄvuLと表記できます。(指示文字Lの意味は分かりませんでした。)それで vu=aka になるらしいのですが、どこに説明したあるのか分からずお手上げです。 ṇvul を辞書で引いても出てこないのは、もともとそれは単語ではなくて、パーニニの考案した記号だからでした。
第一、ṇ で始まる単語自体、モニエルに4単語しかなく、そのうち2単語は単なる音としての子音に関するものです。このあたりに普段めったに語頭に現れない音を記号に採用して、記号と単語の混同が起きないようにしたパーニニの工夫がすでに表れていたのでした。
それでとりあえず ण्वुल् 【ṇvul】の追及はあきらめて、Aṣṭādhyāyī の始まりのところを見てみることにしました。(思えばこの時何も理解していませんでした。)Google books で次の2冊を参考にしました。
Pāṇini's Grammatik, Otto von Böhtlingk
Aṣṭādhyāyī of Pāṇini, Sumitra Mangesh Katre
初めにシヴァ・スートラという音の分類表のようなものがあります。パーニニ自身その分類表の見かたとか何も書いていません。(後で訳者の解説を読んでどうにか理解しました。)音を分類してあること以外意味不明なのでスルーしました。それで最初のスートラがこれです。
वृद्धिरादैच् vṛddhirādaic
独訳を見るとこれで「ā、ai、au をヴリッディという」となっています。
vṛddhirādaic は vṛddhir ādaic に分けられますから、前半にヴリッディは判別することができます。語末の r は-iḥ ā- ⇒ -irā- の外連声です。
それではどうして ādaic が ā、ai、au になるのでしょうか? 例によって辞書を調べても出てきません。第一サンスクリットでは語末に現れる子音は限られていて(絶対語末)、c は語末に存在することができないのです。Sumitra Mangesh Katre の英訳を見ると、āT=aiC と分解されています。ādaic の d は外連声で t が有声化したものだと分かります。T も C も指示文字(IT marker)です。āT の T の意味合いはまだよく理解できないので、とりあえず āT で意味されているのは ā としておきます。
(Wikipediaによると「Tの文字もあらわれるがこれもITマーカーと呼ばれ、1.1.70で定義されている。このTはそれに先立つ音素が音素リストにあらわれず、アクセントと鼻音化をしめすメタ文節的特徴を含む単一の音素である。例えばāTとaTはそれぞれ{ā}、{a}をあらわしている。」)
次に aiC ですが、どうしてこれでヴリッディの ai、au を示すことができるのかというと、これは先にスルーしたシヴァ・スートラの音の一覧表を用いた表記方法になっているのです。シヴァ・スートラの4行目を見ると ai au C となっています。aiC で ai で始まり C で終わるまでの音を示しています。最後の C は IT marker なので、実質示されているのは、ai au の二つになります。
次のスートラを見ると…
अदेङ् गुणः adeṅ guṇaḥ
グナは一目でわかるので、残りの adeṅ ですが Sumitra Mangesh Katre に従って分解し、連声前の形に戻して IT marker を大文字にして分かりやすくすると、aT eṄ になります。aT は短母音の a を示し、 eṄ は先ほどのシヴァ・スートラの3行目を見ると e o Ṅ になっているので e で始まり Ṅ で終わる e o を示しています。したがって「グナは a、e、o である」となります。
ここまで来て最初からこの調子で、最後まで変わらず方程式のような記述が続いているのではと気がつきました。心の叫びとしては「最初からこれかよ!」です。古典語は格変化があるのでbe動詞がなくても文が成立するのですが、パーニニのスートラはbe動詞だけでなくほとんど動詞自体がないスタイルでコンパクトに記述しているようです。しかしこれが紀元前4世紀の人間の考えることでしょうか?!
2011年11月17日木曜日
サイ・マー 動画まとめ
光と豊穣の聖者 サイマー
録画日時 : 2011/02/22 13:02 JST
http://www.ustream.tv/recorded/12859819
礼子デューイさんのインタビュー
Sai Maa Lakshmi Devi 光の聖者サイマー
録画日時 : 2011/04/24 22:05 JST
http://www.ustream.tv/recorded/14247244
サイ・マーがライブ出演したときの録画
サイマー ディクシャ トレーニング
録画日時 : 2011/04/02 13:19 JST
http://www.ustream.tv/recorded/13716643
見るだけでディクシャを受け、伝授もされるビデオ
礼子デューイさんインタビュー【改訂版】
録画日時 : 2011/10/13 15:59 JST
http://www.ustream.tv/recorded/17845445
パワーアップしたサイマー・ディクシャ伝授あり
上の編集前のビデオ
録画日時 : 2011/10/11 20:27 JST
http://www.ustream.tv/recorded/17812944
この時点では自分自身にディクシャはできないので、他の人にディクシャを与えたら、その時自分自身を通してディクシャのエネルギーが流れるから、ディクシャが欲しいときにはほかの人にディクシャを与えましょうという話でした。
その後公式のホームページを見ると10月18日の記事で自分自身にディクシャできるようになったと告知されています。
その手順は1.光に感謝をささげる。 2.両手を合わせる。(合掌でなくて両手で水を掬うような感じでしょうか) 3.手のひらの中心を前頭葉(髪の生え際のところ)に置く。
http://www.humanityinunity.org/utility/showArticle/?objectID=10074
Give Sai Maa Diksha to Yourself!
Sai Maa has just announced that those trained in Sai Maa Diksha can now offer Diksha to themselves.
Traditionally, Sai Maa Diksha is a hands-on technique that is offered from one person to another. Now, those who are trained may place their hands on their own heads to offer themselves the blessing. When offering to ourselves, we follow all the same steps:
1. Offer our gratitude to the Light;
2. Bring the hands together;
3. Rest the center of the palms above the frontal lobe (at the hairline).
Sai Maa Diksha is a powerful technique to initiate and support the process of Enlightenment by pouring Light into the seeds of fear in the brain. The word Diksha means "initiation" and has existed for eons. Every Diksha is unique to the Master who offers it. Sai Maa Diksha carries the energy of Sai Maa's lineage and is a transmission of Light that we can all be trained to offer.
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