2009年6月11日木曜日

ACIM mind - spirit における HLC と Clarification の一致

某掲示板にて Clarification における mind - spirit の用語解説が混乱しているのではないかという書き込みを見ました。spirit が mind の一部として書かれているのが腑に落ちない。コースの他のところでそういうことが書かれているのを見たことがないということでした。問題の箇所は以下のところ。

C-1.2. In this world, because the mind is split, the Sons of God appear to be separate. Nor do their minds seem to be joined. In this illusory state, the concept of an "individual mind" seems to be meaningful. It is therefore described in the course as if it has two parts; spirit and ego.

これはUrtextのままですね。厳密に言うとイタリック体になっているas if がUrtext では大文字になっているだけです。訳してみると…

「この世界では、マインドは分裂しているので、神の子達は分離しているように見える。彼らのマインドも確かに繋がっているようには思われない。この錯覚した状態にあっては、“個人的なマインド”という概念に意味があるように思われる。したがってコースにおいては あたかも それが二つの部分を持つかのように書かれている。すなわち、スピリットとエゴである。」

では本当に他のところで ACIM はマインドのレベルについて書いていないのでしょうか?探してみるとそれらしいところがありました。それはここで紹介した Gene W. Smith の記事で問題点を指摘されていた文章でした。

FIP版 T-5.III.6
T-5.III.6. I have repeatedly emphasized that one level of the mind is not understandable to another. 2 So it is with the ego and the Holy Spirit; with time and eternity. 3 Eternity is an idea of God, so the Holy Spirit understands it perfectly. 4 Time is a belief of the ego, so the lower mind, which is the ego's domain, accepts it without question. 5 The only aspect of time that is eternal is now.

「私が繰り返し強調してきたことは一つの段階のマインドは別のレベルのマインドを理解できないということである。このことはエゴと聖霊にも当てはまる。また時間と永遠にも。永遠は神の考えであり、聖霊はそれを完璧に理解する。時間はエゴの信念であり、それでエゴの領域である低いマインドは疑うことなく時間を受け入れる。時間の永遠としての唯一の相[あり方]は”今”である。」

ここではマインドの低いレベルをエゴの領域と呼んでいます。ではもう一方の上のレベルのマインドは聖霊Holy Spirit でしょうか?しかし迷いの幻想に生きるマインドを神のペルソナの一つである聖霊とするのは奇妙ですね。このことがGene W. Smith の疑問に思った点でした。それで同じ箇所をHLC で見てみるとここのHoly Spirit はFIP版で編集され変更されたところで元はSoul でした。Soul ならマインドの段階を指し示すのにふさわしいですね。ですからマインドのレベルとして下位の段階をエゴ、上位の段階をSoulと呼んでもいいということになります。

それではSoul と Clarification でいわれているSpirit の関係はどうなるでしょうか?その答えはClarification 自体の中にありました。

C 1.3. Spirit is the part that is still in contact with God through
the Holy Spirit, Who abides in this part but sees the other part as
well. The term ʺsoulʺ is not used except in direct Biblical quotations because of its highly controversial nature. It would, however, be an equivalent of ʺspirit,ʺ with the understanding that, being of God, it is eternal and was never born.

「Spirit は聖霊を通していまなお神に繋がっている部分である。聖霊はこの部分にとどまるが他の部分[エゴ]をも見ている。“soul” という用語は直接聖書から引用する場合でなければ用いられないが、それはその言葉が極めて論争を引き起こしやすいからである。しかしながらそれは、神に属するものであって、永遠であり決して生まれないものと理解して、“spirit“ に相当するとしていいだろう。」

ですから HLC の Soul = Spirit とするならHLC と Clarification の説明が全く一致することになります。FIP版ではそれが見えてきません。FIP版ACIM を読み込んでなおかつ疑問が出てくる場合はやはり初期バージョンの確認が必要であると言えるでしょう。

補足:HLC の始めの部分では聖書の直接的引用でなくてもしばしばSoul という単語がよく使われています。ここではmind の上位の部分がSoul とされていますが、HLC の中にはmind は Soul に起源を持つのだからSoul の一部分であるとの表現もあります。視点の置き所によって、根源との関係という点からそのようにも表現できるということですね。矛盾しているように見えますが、本来分裂していないものを、あたかも分裂したかのように見れば、mind の中にレベルがあるように見えるし、神の創造の働きを受けて存在している点から見れば、神の働きを受けたSoul に包摂されていると見ることも出来るということだと思います。mind soul spirit にあえて訳語を付けるなら、揺れ動く「心」、一本筋の通った「魂」、Holy Spirit の「聖霊」にあわせて「霊」としたいです。

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