2009年5月16日土曜日

マインドの意味と編集による改変 ACIM読み比べ 1

The meaning of mind and editing changesをちょっと翻訳してみます。

この小論で我々はFIP第2版の"A Course in Miracles"をヒュー・リン・ケイシー版(HLC)と比較しようと思う。センテンスの参照の数字は頭から章、節、段落、文を示す。
それではFIP第2版から次の一節を見てゆくことにしよう。

“I have repeatedly emphasized that one level of the mind is not understandable to another. So it is with the ego and the Holy Spirit; with time and eternity. Eternity is an idea of God, so the Holy Spirit understands it perfectly. Time is a belief of the ego, so the lower mind, which is the ego’s domain, accepts it without question. The only aspect of time that is eternal is now.” T-5.III.6
「私が繰り返し強調してきたことは一つの段階のマインドは別のレベルのマインドを理解できないということである。このことはエゴと聖霊にも当てはまる。また時間と永遠にも。永遠は神の考えであり、聖霊はそれを完璧に理解する。時間はエゴの信念であり、それでエゴの領域である低いマインドは疑いもなく時間を受け入れる。永遠である時間の唯一の相[あり方]は”今”である。」

一見してこの節はいささか奇妙である。というのも、聖霊がマインドの一つの段階であることを示唆しているように見えるからである。もしそうなら聖霊はたぶん分離もしくは分裂していなければならない。しかしコースが私たちに伝えていることによれば、聖霊は分離にたいする返答であり、この分離によって私たちは様々な段階に分裂しているのだ(T-5.II.2.5)。それでは聖霊は創造の働きではないから、それは私たちの精神が認識を所有している段階を指しているのだろうか?もしそうなら聖霊は様々な段階に分裂した結果、分離した世界の内に入って来たことになる。それ故それは永遠において自立した意味を持たないのである。ある生徒たちはこの解釈に賛成するけれども、コースはそれを許さない。「神の創造するものは永遠である。聖霊は神の子達と共に留まるだろう。彼らの創造を祝福し、彼らを喜びの光の内に保つために。」(T-5.I.5:6-7)

私たちはこのような仕方で分析と思弁を続けて時間を過ごすことも出来るだろうが、全く違った光がこの問題に投げかけられた。それはTextの初期ヴァージョンの一つであるHLCにこの一節が次のように示されているのを読んだときのことである。

We have repeatedly emphasized that one level of the mind is not understandable to another. So it is with the ego and the Soul; with time and eternity. Eternity is an idea of God, so the Soul understands it perfectly. Time is a belief of the ego, so the lower mind, which is the ego’s domain, accepts it without question. The only aspect of time which is really eternal is now. (5.5.5.1-5)
「私たちが繰り返し強調してきたことは一つの段階のマインドは別のレベルのマインドを理解できないということである。このことはエゴと魂にも当てはまる。また時間と永遠にも。永遠は神の考えであり、魂はそれを完璧に理解する。時間はエゴの信念であり、それでエゴの領域である低いマインドは疑いもなく時間を受け入れる。永遠である時間の唯一の相[あり方]は”今”である。」(5.5.5.1-5)

今やなんと違って見えることだろう。「魂とエゴ」なら「聖霊とエゴ」よりも精神の段階を表す候補者として遙かにふさわしいといえよう。この新しく現れたTextの版は実際マインドの段階についてより詳細な情報を付け加えるので、コースが諸段階について言及することで何を意味しているかということについて、いくつかの理解を得ることができる。

“In our picture of the psyche, there is an unconscious level which properly consists only of the miracle ability, and which should be under my direction. There is also a conscious level, which perceives or is aware of impulses from both the unconscious and the superconscious. Consciousness is thus the level of perception, but not of knowledge. Again, to perceive is not to know.” (3.6.2.3-6)
「魂(psyche)についての私たちの見方では、意識されないレベルがあってそれは実に奇跡を行う能力のみから成り立っている。そしてそれは私の指揮の下にあらねばならない。また別のレベルがあって、それは無意識と超意識の両者からの衝動を知覚し意識している。従って意識は知覚のレベルであって知・認識のそれではない。繰り返すが知覚することは知ることではない。」(3.6.2.3-6)

マインドは無意識、意識、超意識のレベルがあるように見える。ここから魂とマインドの超意識のレベルの間の関係は如何なるものかという問いが生ずる。

マインドが自らにふさわしい機能に戻るのは、知ることを意志するときだけである。このことがマインドを魂に仕える領域に置き、そこでは知覚は無意味である。超意識はこれを意志するマインドのレベルである。

“The mind chose to divide itself when it willed to create both its own levels and the ability to perceive, but it could not entirely separate itself from the Soul because it is from the Soul that it derives its whole power to create. Even in miscreation will is affirming its source, or it would merely cease to be. This is impossible because it is part of the Soul, which God created and which is therefore eternal.” (3.6.7.5-3.6.8.3)
「マインドは分裂することを選択したが、そのことが起きたのはマインドが自らの諸レベルと知覚する能力を共に創造しようと意志したときであった。しかしそれは自らを魂から完全に切り離すことはできなかった。マインドが創造する力を引き出した源は他ならぬその魂であるからだ。誤った創造においてさえ意志はその源を肯定しており、そうでなければそれはただ存在することを止めるだけであっただろう。それは不可能である。それは魂の部分であり、魂を創造したのは神であって、それ故魂は永遠的なものとなったのだから。」(3.6.7.5-3.6.8.3)

超意識のレベルは知ることを意志するマインドであって、それ故それは魂に仕えている。それは神がすべての魂を創造したときに造られた永遠なるイデアもしくは思いである。

コースは私たちにすべてのものがマインドであると伝える。またマインドと霊(ACIM 2nd Edition)、マインドと魂(HLC)の違いについても描写している。このことを理解するためにACIMにあるミラクル・ワーカーの第二の特別な原則に向かおう。

A clear distinction between what is created and what is made is essential. All forms of healing rest on this fundamental correction in level perception.
創造されたものと作られたものを明晰に区別することが不可欠である。癒しの全ての在り方がこの基本的訂正に支えられており、それはレベルの知覚を訂正することである。

HLCではその代わりにこう述べられている。

“Clear distinction between what has been created and what is being created is essential. All forms of correction (or healing) rest on this fundamental correction in level perception.”
創造されて存在し続けているものと創造されてあるものを明晰に区別することが不可欠である。訂正(もしくは癒し)のすべての在り方がこの基本的訂正に支えられており、それはレベルの知覚を訂正することである。

「創造されて存在し続けているものWhat “has been” created」とは何だろうか?HLCには次のように述べられている。

“If it is understood that the mind, which is the only level of creation, cannot create beyond itself, neither type of confusion need occur. The reason only the mind can create is more obvious than may be immediately apparent. The Soul has been created.” (2.3.3.4-2.3.4.2)
「もしそれだけが創造のレベルであるところのマインドが自分を超えて創造することは出来ないと理解するなら、また典型的な混乱も起こる必要はない。マインドが創造能力を持つことの理由は、直接的に明らかであるだろうという以上に分かりきったことである。魂こそが創造されて存在し続けている。」(2.3.3.4-2.3.4.2)

従って魂はマインド、あるいは思いであって、創造されて存在し続けているものである。私たちは次のものを区別してもよいだろう。その創造における神の永遠なる思いを表しているマインドと創造されて存在し続けているもの。創造的・意志的力を持ち、神と共にあって創造するマインドとこの同じ力を誤った創造に用いて、そのため諸レベルへの分裂を引き起こすマインド。一旦諸レベルへの分裂が生ずると、私たちは最も高いレベルとして魂を、魂に仕えるレベルとして超意識的マインド、日常的意識のレベル、意識下のレベルを持ち、最後のものは奇跡の衝動の故郷である。

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