2014年8月30日土曜日

芹澤光治良と道院


mixiで書いた日記の転載です。炁楽仙女さんの『鎭心経』について鬼雷さんというかたのコメントが興味深くて、自分なりに探索しているうちに、芹澤光治良さんの記事に出会って思い出したことなど書いています。以下転載です。
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鬼雷さんの鎮心経情報に触発されてWeb探索しましたが、さすがに何の情報も出てきません。 
その途中で笹目秀和さんのことについて書いてあるブログに行き当たり、見ていると作家の芹沢光治良さんに会った話があるのに気付きました。 

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http://blog.livedoor.jp/lrf6662/archives/39540002.html 
「気マガジン」という気功雑誌編集長と副編。 
小生と井上球二先生の四人で芹沢光治良翁と対談いたしました。 
その時、突然、芹沢翁がせき込んだ。 
そして翁は私に「あなたのセキをうけました」と申されました。 
そして、「神様があなたのノドを治したよ」とおっしゃいました。 
私は何を先生がおっしゃっているのか、一瞬判断に躊躇しました。 
私はその頃、郭良気功大師の元に外気治療を受けに、静岡より東京に通っていた。 
私は芹沢翁も少しボケたのかなと思った。 
手の平療治にしろ、気功治療にしろ、手の平より気を発して治療をするのに、手も使わず、 
ただひとこと「神様があなたのノドを治しましたよ」のひとことであった。 
そのひとことで、積年の私のへんとうせんは治っていたのである!! 
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芹沢光治良は『神の微笑』で知り、これに続く神シリーズが発刊されるたびに夢中になって読んだものでした。高齢になって今まで批判的に小説に書いてきた天理教の教祖と対話したり、庭木と会話する小説を出したので、昔からのファンの人は大変驚いたことであろうと思います。 

神と話した作家「芹沢光治良」 3 うそと言う名の小鳥 
http://ameblo.jp/yippee-happy/entry-11486485958.html 
ここに泰山木との対話の始まりの件がありますが、いま読み返しても涙が零れそうになります。 

芹沢光治良の名前を見て、彼が道院と繋がっていたことを思い出しました。自伝的小説『人間の運命』に道名を授かった経緯が記されていたのです。どこにあったか調べてみると第十二巻「暗い日々」でした。芹沢光治良は森次郎の名前で登場します。以下引用して見ます。 

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 次郎がこの紅卍字会の運動を知ったのは、一郎と北京へ行った時だった。 
 或る日、日本大使館の林一等書記官が一郎と次郎に会いたいという、同盟の記者に言伝があって、一等書記官を大使館に訪ねると、北京の紅卍字会が一週間も前から二人を探していたとのことであった。道院のフウチに「森一郎こと真一と森次郎こと映光が、北京に到着するが、この日本の兄弟は、天帝から真一、映光という道名を授けられたとおり、道士であるばかりでなく、平和の使者であるから、歓待し、あらゆる便宜をはかるように」というようなことが出たが、北京の紅卍字会のなかには、森兄弟を知る人がないからとて、林書記官に連絡があったとのことだった。 
(中略 翌日道院訪問の場面に移ります) 
 これがフウチかと、次郎は好奇心で全身をこわばらせながら、注意を集中した。しばらくして、二人の道士の持った棒が突然そのリズミカルな動揺をとめた。すると、卓子の漢字を書きとどめていた道士の横にかけた道士が、それまで書かれた漢字を文章にして、これまた朗々と読み上げた。しかし、次郎は意味がわからなかった。林書記官が低い声で通訳した。 
「天帝老祖はみなが真一、映光をここに歓迎したことを嘉する。真一、映光の道友は天帝老祖が地上に送った平和の使者にして、この二道友が東方日本国より来たるは、この地に和平の来たる証として、みなも喜び祝すべし――と、まあこんな意味です」 
「天帝老祖というのは、天帝と老祖ということですか」 
「いいえ、機嫌のいい時は天帝老祖と自ら名のるらしいですよ」 
 そう話しているうちに、砂の上に赤い毛氈がしかれて、その上に白紙がのべられた。そして、二人の道士が両方から持った棒の中央に、棒の代りに太い毛筆をつないで、たっぷり墨汁をふくませてから、二人の道士はフウチの場合のとおりに、棒の両方のはしを持って、目を閉じた。壁にそって立った数人の道士が、再び音楽的な斉唱をはじめたが、二分もたたないで、棒はするすると左右に動き出して、棒の中央にさがった毛筆が、白紙の上に一気に黒々と達筆に書きあげた。とたんに斉唱はたえたが、全道士が等しく歓声をあげた。 
「天帝の書です。めったに天帝の書は授からないので、みな歓喜しているのですよ」 
 そう林書記官が次郎たちに話した。道士たちが三人の日本人に感謝の言葉を浴びせている間に、天帝の書が壁にはられた。余りにみごとで、達筆の余り、次郎は読めなかった。 
「遥かなる東方より陽光そそぎ、雪霜徐々にとけて、春光地にみつれば、万邦善隣の喜びを寿ぐべし――とでも読むのでしょうか」と林書記官が代って読んで聞かせた。 
 次郎はその意味よりも、その書が、壁にはられた他の書と、その筆蹟、運筆の妙等、すべて同一で同一人によって書かれたようなのに注意を惹かれたが、林書記官は、他の道院で書かれた天帝の書もみな同一筆蹟であるから、天帝が唯一の創造神であることが信じられると、話した。 
 次郎たちは院長や道士たちに送られて講堂を出たが、広い庭で、道士たちは幾度も次郎たちに握手して、再会を約束させては、別れをおしんだ。今日のフウチと書は、直ちに本部に通知するから、次郎たちが支那旅行中、何れの都市の道院も道士も、兄弟として迎えるので、遠慮なくわが家のように訪ねるようにと、最後に念を押して、門まで送って来た。 
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そういえば私も昔炁胞牌(漢字が合っているか分かりません)というのを求めて、そのとき申し込んだ人は笹目仙人が天帝に報告の祈祷?をしてくれるということだったのですが、ひょっとして本当に通じていたのかしらと思う今日この頃です。 


    2012年7月11日水曜日

    サイ・マー動画まとめ 2

    去年の11月にサイ・マー動画まとめを書きましたが、
    その後また動画が増えてきたので再びまとめてみました。

    インドの聖者サイマー これから地球に起こること 3/10
    http://www.ustream.tv/recorded/21002948

    インドの聖者サイマー 紫の炎 3/23
    http://www.ustream.tv/recorded/21297585

    スピリチュアル対談 聖者サイマー・中丸薫 4/12
    http://www.ustream.tv/recorded/21782535

    フロリダより 聖者サイマー生中継 4/18
    http://www.ustream.tv/recorded/21938684

    聖者サイマー来日インタビュー
    http://www.ustream.tv/recorded/22505895

    聖者サイマー 東京講演 来日ダルシャン映像
    http://www.ustream.tv/recorded/22999355

    聖者サイマー 未公開映像集  東京公演の第2部
    http://www.ustream.tv/recorded/23166169



    私はサイマー来日時に東京の第二部のダルシャンに参加しました。
    「ブレイン イルミネーション」のDVDにシャクティを入れながら
    「Very important」と一言声をかけていただきました。

    2012年2月11日土曜日

    Vijñāna Bhairava Tantra の翻訳書

    Amazon.com の書評を読んでいて、 “Vijñāna Bhairava” がOshoの“The Book of Secrets”で解説されていたヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラの原典だと気づきました。

    Jaideva Singh の英訳が Scribd に在ったので、ちょっとOsho の邦訳と比べてみたら、瞑想法についての記述に入る前段のシヴァとパールヴァティーとの対話からして抜粋訳になっていて、112の瞑想法の順番も原典とは異なっていました。

    Osho のテキストはPaul Repsの英訳に基づいていています。それを瞑想のテーマごとに分類して注解しているのでスートラの順番が変わっていたのです。
    Paul Reps はSwami Lakshmanjoo から Vijñāna Bhairava Tantrra の手ほどきを受け、Swami Lakshmanjoo の英訳を11回以上書き換えてこの英訳になったと言っています。 最初1955年春 "Gentry magazine" に掲載され、1957年に“Zen Flesh, Zen Bones. A Collection of Zen and Pre-Zen Writings”の中に収録されました。彼は俳句や禅の影響を受けた詩人でもあるので、その訳文は簡潔で自由訳・超訳になっています。

    オリジナルのテキストを見るのにはJaideva Singh の注解でで十分だと思いましたが、Swami Lakshmanjoo の解説の評価が高く、また Jaideva Singh の師に当たるようなので、 “Vijñāna Bhairava, The Manual for Self-Realization” を購入してみました。もとは Lakshmanjoo の講話CD7枚とその Transcript の本一冊のセットでしたが、私が手に入れたのは第三版のmp3CD1枚(AudioCD7枚分の講話が入っています)が付録になっているものです。
    おなじ録音からテキスト起こしされた “Vijñāna Bhairava,The Practice of Centring Awareness” という本もありますが、こちらの方はSwami Lakshmanjoo の確認を得ずに出版されたもので間違いも多いようです。

    Osho の注解ので用いられているテキストとポール・レップスの英訳ではtheがaになっているとか脱落しているとか、一部微妙な違いがあります。少し例をあげてみましょう。上がポール・レップス下がOshoになります。

    Verse 58
    33. Gracious one, play the universe is an empty shell wherein your mind frolics infinitely.
    110. Gracious one, play. The universe is an empty shell wherein your mind frolics infinitely.

    Verse 93
    68. Pierce some part of your nectar-filled form with a pin, and gently enter the piercing.
    21. Pierce some part of your nectar-filled form with a pin, and gently enter the piercing and attain to the inner purity.
    Osho は原典をほとんど見てないようですが、下の例は微妙ですね。Paul Reps に別の版があったのか、原典を見たのかもしれません。

    他の訳についても紹介しておきましょう。
    Swami Saraswati Satyasangananda – Sri Vijnana Bhairava Tantra: The Ascent.
    著者はカシミール・シヴァ派の流れに属していないので、呼吸の時意識するポイントなど解釈がLakshmanjooやJaideva Singhと違う部分があります。
     

    Bettina Baeumer - Vijnana Bhairava - Das goettliche Bewusstsein
    独訳です。原典に忠実な訳に見えます。

    Vijnana Bhairava Tantra (Vigyan Bhairav Tantra) のリソース

    Osho の注解をオリジナルのテキストと比較しようとしたら、対応するはずのテキストが見つけられず、困りました。そうしているうちに見つけたリソースのまとめです。

    後で分かったことですが、Osho の注解のテキストはポール・レップスの英訳に基づいており、しかも順番を瞑想のテーマごとに並べ替えていたので Osho のテキストのナンバリングに基づいてサンスクリット・テキストを見ると全く別のところを参照していることになるのです。

    しかもポール・レップスは禅の影響を受けたこともあって、その訳は今はやりの言葉でいうと自由訳・超訳になっているので、それに基づいたOshoの注解はまったく原典の意図を離れたものになっていることがあり要注意です。

    Vijnana Bhairava Tantra の理解には、カシミール・シヴァ派の伝統を受け継ぐ Lakshmanjoo の注解書と彼に手ほどきを受けた Jaideva Singh の注解書を基本にするのが良いと思います。

    最初にこの書を英訳したポール・レップスについて書いてあります。
    http://www.geocities.jp/oshotara/vbt_introduction.htm
    http://www.paulreps.com/Biography.aspx

    Zen Flesh, Zen Bones
    ポール・レップスの著書、この中の“Centering”の章が Vijnana Bhairava Tantra でした。
    Lakshmanjoo から教えを受けたことが書かれています。
    http://books.google.co.jp/books?id=m9CCTo258n8C

    Centering
    http://lukestorms.com/2010/10/19/centering-practices/
    http://www.spiritual-learning.com/centering-reps.html
    上のリンクは Centering のポール・レップス自身による紹介部分も含まれているので先に挙げたのですが、すこし誤植が多いようです。次のリンクのほうが誤植が少ないです。
    http://www.friakademi.se/downloads/FreeAK/paul%20reps%206.htm
    http://o-meditation.com/2010/12/02/shivas-112-meditation-techniques/

    Vigyan Bhairav TantraOshoの注解書のPDF
    最初講話を16づつまとめて一巻とし”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” として出版されましたが、のちに40づつ全二巻の“Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”として出版されたものに基づいたものです。.
    Osho の注解に用いられているテキストはポール・レップスの英訳に基づいています。
    ただし瞑想のテーマごとにまとめて並べ替えているので、オリジナルのサンスクリットテキストと対照しようとするとかなり手間取ります。
    http://www.messagefrommasters.com/Beloved_Osho_Books/Tantra/Vigyan_Bhairav_Tantra_Volume_1.pdf
    http://www.messagefrommasters.com/Beloved_Osho_Books/Tantra/Vigyan_Bhairav_Tantra_Volume_2.pdf

    Oshoの解説部分の抜粋
    http://www.oshoworld.com/tantra_medi/index.asp

    Jaideva Singh の英訳・注解
    Swami Lakshmanjoo の弟子による注解です。
    http://www.scribd.com/doc/72481270/Vijnana-Bhairava

    Vijnana Bhairava Tantra - Sanskrit Text with English Translation
    Swami Satyasangananda Saraswati の“Sri Vijnana Bhairava Tantra - The Ascent” からサンスクリット・テキストと英訳部分を抽出してPDFにしたもの。
    http://www.scribd.com/doc/24802550/vijnana-bhairava-tantra-rajendra
    http://cleaves.zapto.org/news/attachments/oct2011/vijnana_bhairava_tantra.pdf

    L. SILBURN の仏訳
    http://www.tantra.fr/texte/VBT.htm

    Daniel Odier の仏訳
    http://www.danielodier.com/FRENCH/textes/vijnana_f.html
    仏訳からの英訳
    http://www.danielodier.com/ENGLISH/Texts/vijnana_e.html
    http://www.scribd.com/Soham%20Hamsah/d/10050600-Vijnana-Bhairava-English-Translation

    Lorin Roche - THE RADIANCE SUTRAS
    ここに公開してあるのは32詩節まで、訳文に解釈を入れた自由訳のようです。
    http://www.lorinroche.com/radiancesutras/radiance/sutras1992.html
    http://www.lotustantra.com/Vijanabhairava%20Tantra2.pdf

    ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ 全文対訳
    Osho の注解書の順序でポール・レップスの訳を対訳してあります。一部誤植があり訳文も誤植を反映しているところがあります。
    http://www.geocities.jp/oshotara/vbt.htm


    2012年2月5日日曜日

    ガヤトリ・マントラのアクセントについて

    ガヤトリ・マントラはリグ・ヴェーダの 3-62-10 に入っています。
    それならヴェーダ・アクセントの付いたテキストがあるはずだと思い、調べてみたらいくつかありました。
    初めのオーン・ブール・ブヴァッ・スワハの部分はリグ・ヴェーダに含まれていないので、そのあとの部分をアクセント記号付きで表示すると次のようになります。

    ヴェーダ期のアクセントは音の高低のピッチ・アクセントで、上についている縦棒は高音(swarita)、下についている横棒は低音(anudatta)、何もついていないのは中音(udatta)です。

    興味深い書き込みを見つけたので紹介します。
    http://www.hindudharmaforums.com/showthread.php?t=7605&page=2
    ここの Saidevo さんの書き込みが面白いです。
    Anuradha Paudwal の発音のおすすめでない点や、svah は間違いで suvah でなければならないなど、いろいろ書いてあります。
    彼のアクセント付デーヴァナーガリー表記はこうなっています。

     http://www.scribd.com/doc/31402821/gAyatrI-acc
















    これを見ると、 最初の行のヴィサルガの発音は実際の発音通りにつづられています。
    ワレーニャンのレーとプラチョーダヤートのヤーのアクセントは縦棒2本の dīrga swarita (前半は中音で後半高音になる)になっています。
    http://www.scribd.com/doc/31402821/gAyatrI-acc

    では聞き比べてみましょう。
    ラヴィ・シャンカールの Chants of India のガヤトリ・マントラではプラチョーダヤートのヤーは確かに dīrga swarita になっているように聞こえます。
    http://www.youtube.com/watch?v=C7IrmkV3mPM

    Rattan Mohan Sharma は両方とも dīrga swaritaですね。Unni Krishnan も同様でした。
    http://www.youtube.com/watch?v=1MzIPU6qHsU

    下のページにヴェーダの学習風景の動画がありますが、ちょうどガヤトリ・マントラの詠唱の練習をしているところがあります。2分ぐらいから「タッサヴィ、タッサヴィ、タッス、タッ、タッサヴィトゥール、サヴィトゥル、ワレーニャン、ワレーニャン…」と、すさまじいですね。
    http://ancientindians.wordpress.com/tag/swarita/

     
     これを聞くとワレーニャン のレーとプラチョーダヤートのヤーは両方とも dīrga swarita になっていますね。

    2012年1月16日月曜日

    ガヤトリ・マントラの発音について


    ガヤトリ・マントラの発音で疑問に思っていた点が少しわかってきたので、まとめてみました。ちなみにガーヤットリーが正しい発音らしいです。どうして促音が入るのかはよくわかりません。ルドラもルッドラと発音するので何か法則があるんでしょうけど、ご存知の方があればご教示くださいませ。
    先ずガヤトリ・マントラをデーヴァナーガリーとiastで表記してみます。

    ॐ भूर्भुवः स्वः
    o bhūr bhuvaḥ svaḥ
    तत्सवितुर्वरेण्यं
    tat savitur vareṇya
    भर्गो देवस्य धीमहि
    bhargo devasya dhīmahi
    धियो यो नः प्रचोदयात्
    dhiyo yo naḥ pracodayāt

    サイババの音源を勧める人が多いのでこれを基準にしてみて、初めに躓いたのはヴィサルガの発音です。hの下に点のあるやつですね。
    最初のところそのまま読めば「オーン、ブール、ブワハ、スワハ」ですが、「ブワハ」でなく「ブワッ」と聞こえます。
    これはじつは実際の発音は外連声の法則に従ってヴィサルガがスワハのsに同化してsに変化しているのですが、表記はヴィサルガのままになっていたのでした。 
    涌井和著『サンスクリット入門 般若心経を梵語原典で読んでみる』のヴィサルガの発音の説明で「後に歯擦音が続くとき、その音に同化することがある(まれではあるが実際にそう綴られることもある)」とありました。
    なるほど確かに「シャンティ、シャンティ、シャンティヒ」もそうなってますね。
    bhūr のrもヴィサルガが外連声の法則に従って変化したのもですが、こちらはそのまま表記されています。
    ヴィサルガの発音でもう一つ分からなかったのが naḥ がナでなくナッとしか聞こえないことでした。
    ガヤトリ・マントラをいろいろ聞いているうちに実際にナと発音しているものも見つけました。
    Anuradha Paudwal です。

    次にナと発音しているものを見つけました。Unni Krishnan です。(ちなみにこのCDの2曲目には音源にノイズが入っているのでお勧めできません)
    http://itunes.apple.com/jp/album/gayatri-mantra-mrutyunjara/id188849687
    どうやらサイババやその他多くの人のガヤトリ・マントラでナッとしか聞こえないのは次のプラチョーダヤートのpの音に引きずられて f に近い発音になっているためではないかと思います。サンスクリット自体にfを表記する文字はないので、ヴィサルガのヴァリエーションの一つと考えることができるのではないでしょうか。
    文法書ではありませんが、下のPDFにこのような説明がしてあります。
    http://www.shanty.org.ve/files/boletines/saivedasn6.pdf
    スペイン語でしょうか?こう書いてあります。
    Cuando nos encontramos con una palabra terminada en “visarga” (un puntito debajo de la “h”), seguida de una palabra que comienza con “p” (pracodayāt), hace que el sonido de la “visarga” se transforme en una suave “f” (la razón de esto obedece a ciertas reglas del sánscrito de cierta complejidad para abordar en este análisis, solo basta decir que si no pronunciamos la “f” y sólo pronunciamos “na”, equivale a hacer una negación de todo el pedido que se está realizando en esta línea).
    機械翻訳で英語にして読み解くとだいたいこんなかんじでしょうか。
    「ヴィサルガで終わる単語がpで始まる単語に続くとき、ヴィサルガは滑らかなfになります。(その理由はサンスクリットのある連声の法則に従うためですが、こう言えば十分でしょう。もしfを発音せずにnaだけ発音するなら、この行の祈り全体を否定してしまうのと同じことになるからです。)」

    naは英語で言うとnot、noですから、naと発音すると「プラチョーダヤートしないで下さい」という意味になるということですね。

    ガーヤトリー・マントラの逐語訳はここが詳しいです。
    http://blog.sitarama.jp/?eid=654899

    2011年12月27日火曜日

    秋田の聖母のメダイ

    昔秋田の聖母像が涙を流すという奇跡がありました。1975年から1981年まで合計101回にわたる現象でした。
    その奇跡に立ち会った安田貞治神父の講話の本を処分しようと思ったものの、ついページを開いてみていると、とても興味深いお話で、捨てることができなくなりました。
    一番初めに目についたのは、1984年に教会認可を与えた当時の新潟教区長・伊藤庄治郎司教や、1988年にそれを受理した教皇庁のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現・教皇ベネディクト16世)に対する評価が非常に厳しいものであったことです。
    調べてみると「秋田の聖母のメダイ」が作られていることが分かったので、早速送ってもらいました。興味のある方はこちらにどうぞ。そういえば、美輪明宏さんも Ave Maria が最高のマントラだって書いてました。Ave Maria のチャンティングも始めようかなと思います。

    2011年12月18日日曜日

    ヴェーダ・アクセントの教材

    ヴェーダのテキストにアクセント記号がついているものがありますが、
    無料のいい教材が見つかったので紹介します。
    サイババ関連ですが Vedam Tutorials です。
    ヤジュル・ヴェーダのルドラム(ルドラ讃歌って感じでしょうか?)です。
    Maha Mrityunjaya Mantra も Namah Shivaya もルドラムの一節だそうです。
    PDFにmp3、音声埋め込みPDFなど充実しています。

    あとサーマ・ヴェーダのメロディーの記号が読めるようになる教材があればいいのですが…

    2011年12月17日土曜日

    Unni Krishnan の CD 購入しました。

    Unni Krishnan “Gayatri Mantra & Mrutyunjaya Mantra” を購入しました。
    実はCD購入前にAmazonのmp3ダウンロードで2曲300円で買ったのですが、
    Mrutyunjaya Mantra の後半ノイズがひどくてがっかりしました。
    Amazon に問い合わせたら返金してくれたので助かりましたが…。
    いかにもCDに傷が入っているようなノイズなので、傷入りCDからmp3化したのだろうと思い
    もとのCDを買うことにし、安くすませるためインドの通信販売を利用しました。
    梱包は日本でも見たことないくらい丁寧で、CD一枚なのにタッパーみたいな
    入れ物の中に発泡スチロールを緩衝剤にしてCDが入っていました。
    ところが肝心のCDを聞いてみると、やはり同じようにノイズが載っていますw
    CDの原版にノイズが入っていたのでした。仕方がないのでSoundEngineFreeという
    ソフトでノイズの入っていないところを編集して聴けるものを作ってしまいました。
    マントラなので同じメロディーの繰り返しですから、聞いてて継ぎ目が分からないくらいに
    うまく編集できました。
    ジャケットの裏を見ると前にここに書いたのとは違う説明がしてありました。
    Om Jun Sah の OmがBija種字で、シャクティ(Parashakti)がJun、
    Sah はlynchpin(要?サンスクリットでkīlaka[pin, pillar])、
    このマントラを伝えたのは Maha Chama Pada と書いてあるのですが、
    マントラのシャクティとか kīlaka って何なのでしょう。

    調べてみるとここを見ると少し説明してありました。
    Mantra in japa yoga plays an important part, as mantra is an absolute science. In Hinduism, mantra has six parts. It has got a Rishi (a man of Self realization) who revealed the Mantra to the world for the first time. He is the Drashtra or the Seer for this Mantra. For instance, Sage Viswamitra is the Rishi for the Gayatri. Secondly, the Mantra has a metre (Chhandas), which governs the modulation of the voice. Thirdly, the Mantra refers to a particular Devata or super natural being. This Devata or God is the essence of the Mantra. Fourthly, the Mantra has got a Bija or seed. The seed is the keyword or a series of words, which gives strength to the mantra. Fifthly, every mantra has got power or Shakti. The Shakti is the energy of the Mantra that is the reverberation forms set by the sound of the mantra. This sound aids in the communion of human beings with the Almighty, which is worshipped. Lastly, the Mantra has a Kilaka- pillar or pin. This plugs the consciousness or the Mantra Chaitanya that is hidden in the Mantra. As soon as the plug is removed by constantly repeating the name of the Supreme Divinity, the Chaitanya or the consciousness that is hidden is revealed. The devotee gets to see the Ishta Devata.

    2011年12月4日日曜日

    Maha Mrityunjaya mantra

    Maha Mrityunjaya mantra を毎日唱えることにしました。
    これです。
    oṃ tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam
    urvārukam iva bandhanān mṛtyor mukṣīya māmṛtāt

    もともとこのマントラを知ったのはナンディさんのCD“SivaSivaa!!!”でした。
    南インドの訛りなのか発音が少し違うようで、ムクシーヤのところがムルゲイヤに聞こえます。CDを聞きながら同じように発音しようとしても難しいので他の人のチャンティングを探すことにしました。

    意外に多いのがオームに続く tryambakaṃ の冒頭を「トラヤン」と発音しているもの。綴り通りだと「トリャン」となると思うのですが、なかなかありません。ウェブ上でこのマントラを紹介してあるところを見ると、発音だけでなく実際に trayambakaṃ と転写していたり、デーヴァナーガリ文字で書いてあっても、त्र्यम्बकं でなく त्रयम्बकं になっているところがあります。
    YouTube でいろいろ聞いてみて、発音の観点からのおすすめはここらあたり。
    http://www.youtube.com/watch?v=PVd4_KTJG6g たぶん Anuradha Paudwal だと思います。
    http://www.youtube.com/watch?v=pEz9nKIQjiI

    最初が「トラヤン」になっていますが、マントラの最初と最後におまけ(samput と言うらしい)がついているヴァージョン。歌手はSuresh Wadkar
    http://www.youtube.com/watch?v=SV1cVDhKZ6g
    http://www.youtube.com/watch?v=mY_9W0wstZE
    マントラの最初についているのはこれ、
    oṁ hauṁ juṁ saḥ oṁ bhūr bhuvaḥ svaḥ
    マントラの終わりについているのはこれです。
    oṁ svaḥ bhuvaḥ bhūḥ oṁ saḥ juṁ hauṁ oṁ
    oṁ bhūr bhuvaḥ svaḥ の方はガヤトリ・マントラの最初と同じですね。

    oṁ hauṁ juṁ saḥ は種字マントラで、Vāmadeva Rishi 伝の oṁ hauṁ saḥ と Kahola Rishi (アシュターヴァクラの父?)伝のoṁ juṁ saḥ を融合したもの。hauṁ [ha+oṁ haはアーカーシャ・タットヴァ] はSadashiva、juṁ は Mrityunjaya[死を克服したもの=Shiva]、saḥ はShakti を象徴するようです。 

    種字マントラのチャンティングも神秘的です。
    Maha Mrityunjaya Bija Mantra 歌手は
    Unni Krishnan です。

    2011年12月3日土曜日

    ダグラス・ハーディングとvijñāna bhairava tantram


    最近カシュミール・シャイヴィズム[カシミール・シヴァ派]に興味を持って調べています。すると昔買ったOshoの『タントラ秘法の書』で解説しているヴィギャン・バイラヴ・タントラ[vijñāna bhairava  tantram]がまさにカシュミール・シャイヴィズムの重要な文献であることに気付きました。

    なにかいい解説書がないか調べていると、Swami Shankarananda, “Consciousness is Everything”の抜粋が目に入りました。 見てみるとダグラス・ハーディングについて何か書いています。

    「もしダグラス・ハーディングがシヴァ派のテキストのVijnanabhairavaを覗いていたなら、瞑想法62を見つけたことだろう」と書いてあります。スートラ85にそれはありました。
    लीनं मूर्ध्नि वियत्सर्वं भैरवत्वेन भावयेत्।
    तत्सर्वं भैरवाकारतेजस्तत्त्वं समाविशेत्॥ ८५॥
    līnaṁ mūrdhni viyat sarva bhairavatvena bhāvayet |
    tat sarva bhairavākāratejastattva samāviśet || 85 ||

    英訳はJaideva Singh の訳文が引用されていました。

    The yogi should contemplate the entire open space (or sky) under the form of the essence of Bhairava and as dissolved in his head. Then the entire universe will be absorbed in the light of Bhairava.

     「
    開けた空間(または空[ソラ])は純粋意識の本質の顕現である。それを自らの頭の中に溶け込ませて観照しなさい。全宇宙は純粋意識の光の中に吸収されるだろう」

    これはまさにダグラス・ハーディングの方法そのものですね。

    2011年11月29日火曜日

    パーニニ文典購入

    Astadhyayi of Panini by Sumitra M. Katre が届いた。
    インドの本屋さんからAbeBooks 経由で送料込み3000円切った。
    1334ページ、重量2kgくらい。
    エアメールなのに1カ月くらいかかるのはインドの神秘だろうか?

    2011年11月21日月曜日

    パーニニの天才性

    平岡昇修著『初心者のためのサンスクリット文法I』を手に入れて、正誤表を見ながら本に書き込んでいたら意味不明のところがありました。どういう意味か調べているうちにそれがパーニニの用語であることがわかり、彼の驚くべき天才性を目の当たりにしました。といっても私が理解したのは記述のスタイルだけなのですが、それだけでパーニニの巨大さの片鱗をうかがうことができました。

    その正誤表の分からなかったところというのは、名詞の造語法・接尾辞に関するものでした。
    動作主名詞をつくる接尾辞に -aka がありますが、正誤表に णक 【(ṇ)aka】 と記されているところを、ण्वुल् 【ṇvul】 に修正するように指示されています。 -aka は動詞語根に直接付く第一次接尾辞で-aka の前についている (ṇ) は指示文字と呼ばれ、この場合動詞語根の母音変化の振る舞いを指示する記号です。それでは何故 णक 【(ṇ)aka】 を ण्वुल् 【ṇvul】 に修正しなければならないのか分かりませんでした。 णक 【(ṇ)aka】 の方はちゃんと接尾辞の-aka が見えますが、ण्वुल् 【ṇvul】の方にはさっぱり接尾辞らしいものが見当たりません。

    ṇvul を辞書で引いてみると、なんと辞書に載っていません。仕方ないのでネットで検索すると、どうやらパーニニに関連するらしいことがわかりかけてきました。Aṣṭādhyāyī(パーニニ文典)に書いてあるらしいですw もともと指示文字(ṇ)とか考えたのがパーニニで、ṇvul もパーニニの用語なのでした。そうすると最初の ṇ が怪しいですね。これも指示文字なのでしょう。調べているうちに最後の l も指示文字らしいようです。分かりやすく指示文字は大文字で表記する流儀があるようなので、それに従うとṄvuLと表記できます。(指示文字Lの意味は分かりませんでした。)それで vu=aka になるらしいのですが、どこに説明したあるのか分からずお手上げです。 ṇvul を辞書で引いても出てこないのは、もともとそれは単語ではなくて、パーニニの考案した記号だからでした。

    第一、ṇ で始まる単語自体、モニエルに4単語しかなく、そのうち2単語は単なる音としての子音に関するものです。このあたりに普段めったに語頭に現れない音を記号に採用して、記号と単語の混同が起きないようにしたパーニニの工夫がすでに表れていたのでした。

    それでとりあえず ण्वुल् 【ṇvul】の追及はあきらめて、Aṣṭādhyāyī の始まりのところを見てみることにしました。(思えばこの時何も理解していませんでした。)Google books で次の2冊を参考にしました。

    Pāṇini's Grammatik, Otto von Böhtlingk
    Aṣṭādhyāyī of Pāṇini,
    Sumitra Mangesh Katre


    初めにシヴァ・スートラという音の分類表のようなものがあります。パーニニ自身その分類表の見かたとか何も書いていません。(後で訳者の解説を読んでどうにか理解しました。)音を分類してあること以外意味不明なのでスルーしました。それで最初のスートラがこれです。
    वृद्धिरादैच्  vṛddhirādaic
    独訳を見るとこれで「ā、ai、au をヴリッディという」となっています。
    vṛddhirādaic は vṛddhir ādaic に分けられますから、前半にヴリッディは判別することができます。語末の r は-i ā- ⇒ -irā- の外連声です。
     それではどうして ādaic が ā、ai、au になるのでしょうか? 例によって辞書を調べても出てきません。第一サンスクリットでは語末に現れる子音は限られていて(絶対語末)、c は語末に存在することができないのです。Sumitra Mangesh Katre の英訳を見ると、āT=aiC と分解されています。ādaic の d は外連声で t  が有声化したものだと分かります。T も C も指示文字(IT marker)です。āT の T の意味合いはまだよく理解できないので、とりあえず āT で意味されているのは ā としておきます。
    (Wikipediaによると「Tの文字もあらわれるがこれもITマーカーと呼ばれ、1.1.70で定義されている。このTはそれに先立つ音素が音素リストにあらわれず、アクセントと鼻音化をしめすメタ文節的特徴を含む単一の音素である。例えばāTとaTはそれぞれ{ā}、{a}をあらわしている。」)
    次に aiC ですが、どうしてこれでヴリッディの
    ai、au を示すことができるのかというと、これは先にスルーしたシヴァ・スートラの音の一覧表を用いた表記方法になっているのです。シヴァ・スートラの4行目を見ると ai au C となっています。aiC で ai で始まり C で終わるまでの音を示しています。最後の C は IT marker なので、実質示されているのは、ai au の二つになります。

    次のスートラを見ると…
    अदेङ् गुणः adeṅ gu
    aḥ
    グナは一目でわかるので、残りの adeṅ ですが Sumitra Mangesh Katre に従って分解し、連声前の形に戻して IT marker を大文字にして分かりやすくすると、aT eṄ になります。aT は短母音の a を示し、 eṄ は先ほどのシヴァ・スートラの3行目を見ると e o Ṅ になっているので e で始まり Ṅ で終わる e o を示しています。したがって「グナは a、e、o である」となります。


    ここまで来て最初からこの調子で、最後まで変わらず方程式のような記述が続いているのではと気がつきました。心の叫びとしては「最初からこれかよ!」です。古典語は格変化があるのでbe動詞がなくても文が成立するのですが、パーニニのスートラはbe動詞だけでなくほとんど動詞自体がないスタイルでコンパクトに記述しているようです。しかしこれが紀元前4世紀の人間の考えることでしょうか?!

     

    2011年11月17日木曜日

    サイ・マー 動画まとめ


    光と豊穣の聖者 サイマー
    録画日時 : 2011/02/22 13:02 JST
    http://www.ustream.tv/recorded/12859819
    礼子デューイさんのインタビュー

    Sai Maa Lakshmi Devi 光の聖者サイマー
    録画日時 : 2011/04/24 22:05 JST
    http://www.ustream.tv/recorded/14247244
    サイ・マーがライブ出演したときの録画

    サイマー ディクシャ トレーニング
    録画日時 : 2011/04/02 13:19 JST
    http://www.ustream.tv/recorded/13716643
    見るだけでディクシャを受け、伝授もされるビデオ

    礼子デューイさんインタビュー【改訂版】
    録画日時 : 2011/10/13 15:59 JST
    http://www.ustream.tv/recorded/17845445
    パワーアップしたサイマー・ディクシャ伝授あり
    上の編集前のビデオ
    録画日時 : 2011/10/11 20:27 JST
    http://www.ustream.tv/recorded/17812944 

    この時点では自分自身にディクシャはできないので、他の人にディクシャを与えたら、その時自分自身を通してディクシャのエネルギーが流れるから、ディクシャが欲しいときにはほかの人にディクシャを与えましょうという話でした。

    その後公式のホームページを見ると10月18日の記事で自分自身にディクシャできるようになったと告知されています。
    その手順は1.光に感謝をささげる。 2.両手を合わせる。(合掌でなくて両手で水を掬うような感じでしょうか) 3.手のひらの中心を前頭葉(髪の生え際のところ)に置く。

    http://www.humanityinunity.org/utility/showArticle/?objectID=10074
    Give Sai Maa Diksha to Yourself!

    Sai Maa has just announced that those trained in Sai Maa Diksha can now offer Diksha to themselves.

    Traditionally, Sai Maa Diksha is a hands-on technique that is offered from one person to another. Now, those who are trained may place their hands on their own heads to offer themselves the blessing. When offering to ourselves, we follow all the same steps:

    1. Offer our gratitude to the Light;
    2. Bring the hands together;
    3. Rest the center of the palms above the frontal lobe (at the hairline).

    Sai Maa Diksha is a powerful technique to initiate and support the process of Enlightenment by pouring Light into the seeds of fear in the brain. The word Diksha means "initiation" and has existed for eons. Every Diksha is unique to the Master who offers it. Sai Maa Diksha carries the energy of Sai Maa's lineage and is a transmission of Light that we can all be trained to offer.

    2011年11月15日火曜日

    サンスクリット用のIME、フォント

    サンスクリットの入力で自由にデーヴァナーガリー入力するための、サンスクリットIMEを紹介してみましょう。

    最初に試したのはChandas IME
    しかしこれは64bitのOSに対応せず自分の環境では動かせませんでした。

    次に試したのがVidyut。キー配列は、ほぼChandasと同じですが、Chandasで出来たZWNJやヴェーダ語のアクセント記号の入力ができません。

    ヴェーダ語まで手を出す余裕はないのでアクセント記号の入力ができないのは構わないけれど、ZWNJの入力ができないのはちょっと困ります。

    ドキュメントを読んでいると、必要ならMicrosoftのKeyboard Layout Creator 1.4でカスタマイズするように書いてあったので、ChandasIME風に改造しようかと思ったのですが、それよりもChandasIME自体をKeyboard Layout Creator で読み込んでSetup Packageを作成すれば手間が省けると気づきました。そこでVirtualPCのXPモードでChandasIMEをインストし、それをKeyboard Layout Creator で読み込んで64bit OS 用のセットアップ・プログラムを作成しました。

    他にVaidikaというIMEもあります。

    IAST、HK関連でこんなのもあります。
    GGM XHK Keyboard
    キーはHarvard-KyotoでIASTInternational Alphabet of Sanskrit Transliteration)入力できるIME。

    Veni XHK Sans Condensed
    Veni XHK Serif Condensed
    Harvard-KyotoのテキストをIAST表示にするFont。

    2011年11月12日土曜日

    Ashtavakra Gita のE-Text

    ネット上にAshtavakra Gita のE-Text がいくつかありますが、比較してみると結構間違いがあるので、自分でE-Text を作ることにしました。

    最初に下敷きにしたのはこれ。調べてみると結構間違いがたくさんあります。
    Sanskrit text with English Transliteration & Translation by John Richards
    http://www.scribd.com/doc/54192897/

    次に上のに比べてかなりよく修正されているのがアーナンダ・ウッドのテキストで複合語も単語間をハイフォンで繋いで示しているので助かります。
    Ashtavakra-samhita by Ananda Wood
    http://sites.google.com/site/advaitaenquiry/Ashtavakra.pdf

    これとほぼ同じテキストがここにあります。
    http://gretil.sub.uni-goettingen.de/gret_utf.htm#Astavg

    それで最終的に Nityaswarupananda のデーヴァナーガリーのテキストと比較して残された間違いを消していっているところです。1940年版と1953年版があります。下のリンクは1940年版です。
     http://www.scribd.com/doc/2673274/AshTavakra-Geeta


    ITRANS で転写して、ITRANSLATOR で変換してデーヴァナーガリーと IAST のテキストを作成するのですが、同じ単語でも表記の仕方がいくつかあるので、Nityaswarupananda のテキストに合わせて最後は手で編集することにしました。

    デーヴァナーガリー文字の場合フォントによって、表現できる結合文字の数に違いがあるので、できるだけ多くの結合文字を使えるようにまずフォントを選ばないといけません。それでITRANSLATORのホームページからSanskrit2003.ttf と svayambhava.org から Chandas.ttf 等をダウンロードしてインストしました。


    参考までにフォントによって結合文字の表現がどのように変わるかいくつか例を挙げてみました。
    まずṅgaを見てみるとMangal では縦の結合文字が表示できません。

    ddhaではどのフォントも結合文字が表示されますが、一字追加してddhraになるとMangalで結合文字が表示できずに、最初のdがヴィラーマでの子音表記になります。さらに一文字追加してddhryaになるとSanskrit2003でも結合文字が表示できずに最初のdがヴィラーマを用いた表記になります。ChandasとSiddhantaでは結合文字表記できますが、字の形が違いますね。

    次のjjaの三つの表記方法は入力の仕方によって表現できるものです。
    ज(ja)+ヴィラーマ+ज でjjaの結合文字が表記できます。(Mangalにはjjaの結合文字がないので表記できません。)Sanskrit2003では水平方向の結合になっているのに対し、残りの二つでは垂直方向の結合文字になります。
    ज+ヴィラーマ+ZWJ+ज でjの半体を用いた表記になります。ZWJはゼロ幅接合子(Zero-width joiner U+200D)
    ज+ヴィラーマ+ZWNJ+ज で半体にならずヴィラーマ自体が表示される表記になります。ZWNJはゼロ幅非接合子(Zero-width non-joiner, U+200C)

    Nityaswarupananda のテキストから実例を挙げてみます。アシュターヴァクラ・ギーターの2章7節ですが、上段にjjaの水平方向の結合文字、下段にjjの半体表記とヴィラーマによる表記があります。

    ウパデーシャサーハスリー校訂本が届く

    前田専學さんのウパデーシャサーハスリーの校訂本が届きました。

    早速気になっていた韻文編の17章第24詩節を調べると、やはり意図的に削除されていました。

    韻文編のテキストを見ると大きくA系とB系に分かれていて、次のような特徴があるそうです。

    A系…韻文編が最初に来て、散文編がそれに続く。韻文編4章5’を欠いている。
    B系…散文編が最初に来て、韻文編がそれに続く。韻文編4章5’を含む。

    A系はさらに a、b、c に分かれ、B系は c、d に分かれます。

    a … 韻文編18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
    b … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。テキストは1本を除いてアーナンダジュニャーナの注解を伴っている。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
    c … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。ボーダニッディの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
    d … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
    e … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。ラーマティールタの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。

    注解者の年代は、アーナンダジュニャーナは13世紀半ば、ラーマティールタは17世紀。
    アーナンダジュニャーナの採用したテキストとボーダニッディの採用したテキストには大きな差異はなく、インドで繰り返し印刷されてきたのはB系のテキストだということでした。

    2011年10月8日土曜日

    out of the blue

    Headless Way のホームページに Harding's Moment of Discovery という記事があります。
    “On Having No Head”からの引用で、頭を持たない事実を発見した瞬間の描写になっています。

    It was eighteen years ago, when I was thirty-three, that I made the discovery. Though it certainly came out of the blue, it did so in response to an urgent enquiry; I had for several months been absorbed in the question: what am I? The fact that I happened to be walking in the Himalayas at the time probably had little to do with it; though in that country unusual states of mind are said to come more easily. However that may be, a very still clear day, and a view from the ridge where I stood, over misty blue valleys to the highest mountain range in the world, with Kangchenjunga and Everest unprominent among its snow-peaks, made a setting worthy of the grandest vision.

    ここの out of the blue というのが理解できなかったのですね。the blue って憂鬱な気持ちのことなのかと想像していました。それで邦訳をみたら、これ「突然に」という熟語だったのでした。

    辞書で確認してみると確かにそう書いてありますが、どうしてそういう意味になるのかまでは説明してありません。こんな簡単なことばでできているイディオムがわからなかったことにショックを受けて、子供向けの熟語集の“Sholastic Dictionary of Idioms”を購入しました。早速探してみると“Out of the clear blue sky”の項目の中にありました。blue は沈んだ気持ちでなくて青空だったのですね。同じようなイディオムに“Bolt from the blue”があって遅くとも1800年代初めには使われていたとあります。「青天の霹靂」そのままです。

    なお「青天の霹靂」の故事を語源由来辞典で調べると

    青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない澄んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ること。
    青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、
    「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。
    「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、
    筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い表した言葉であった。

    発想がまったく同じで、使われだした時期が1800年代と遅いので、 ひょっとして中国起源かと想像してしまいます。

    2011年10月6日木曜日

    五月際の救難信号

    ダグラス・E・ハーディングの『今ここに、死と不死を見る』高木訳を読んでいて、意味の分からない一文に出会いました。

    「S・O・S……S・O・S……これは私の五月際の叫びである……私はこの荒れる海で溺れてさ迷っている……!」

    「五月際の叫び」???意味不明です。スペイン語訳を見ると
     Ésta es mi Llamada de Socorro 「これは私の救難信号です」
    普通の素直な文章です。

    原文の英語が未見なので推測すると、Llamada [appeal, signal] で「叫び」に対応しているのでしょう。ではSocorro [succor, relief, aid, help; rescue] に対応する「五月際」とはなんでしょう?

    救難とMay でググると……ありましたw

    メーデー (遭難信号)

    メーデー(Mayday)は、音声無線で遭難信号を発信する時に国際的に使われる緊急用符号語。フランス語の「ヴネ・メデvenez m'aider)」、すなわち「助けに来て」に由来する。一般に人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせるのに使われ、警察、航空機の操縦士消防士、各種交通機関などが使う。3回繰り返すのが一般的(メーデー、メーデー、メーデー)で、雑音が強い状況で似たような言葉と取り違えられることを防ぎ、同時に「メーデー呼び出し」に関する通信と実際の「メーデー呼び出し」を区別する。

    2011年10月5日水曜日

    前田専学のシャンカラに関する著作について

    今日、前田専学の “A THOUSAND TEACHING: The Upadeśasāhasrī of Sankara” が届きました。実はサンスクリット原典の校訂本 “Sankara's Upadeśasāhasrī” と間違えて注文したもの。現在校訂本を注文中です。こちらの方は校訂テキストと英訳の二巻セットです。AbeBooksで検索すると一番安くてインドからの送料込みで2650円ぐらい。(ちなみに英訳本は古書で1000円未満で購入)。

    購入のきっかけはアシュターヴァクラ・ギーターに付託[錯覚、superimposition]の例として第2章9節に真珠母と銀、縄と蛇、太陽光と[蜃気楼の]水が挙げられていますが、トーマス・バイロンの訳註に世界の幻影的性質を示す不二一元論の定番のたとえであると書かれていました。岩波文庫本『ウパデーシャ・サーハスリー』で確認すると、三つとも見つけることができましたが、どういう言葉使いをしているのか原典で確認したくてネット上のサンスクリットテキストで確認していたら、多くの誤植・脱落を発見して正確なテキストが欲しくなったためです。

    最初に前田専学校訂のサンスクリット原典をitransで転写したものと、それから生成されたデーヴァナーガリー文字のPDFで見ていたのですが、散文編の第2章に脱落があるのを見つけました。これは散文編だけのPDFがあったので補うことができました。次に、itrans で~Ngがすべて~ng になっているのを検索して一つ一つつぶしていきました。

    そうこうしているうちに韻文編の第17章のナンバリングがずれているのに気づきました。どこかで番号をつけ間違えたのだと思い、インドで出版されたシャンカラの全集や英訳と比較していたら、本来89詩節なければならないのに、88しかありません。原典の17章の第24詩節が欠落していたのでした。

    この24詩節目がどこかに転写されていないか探したのですが見つからないので、シャンカラの全集と英訳本のPDFのデーヴァナーガリー文字を解読していくことにしました。サンスクリット文法は独学しようとして何度も挫折し、結局、涌井和著『般若心経を梵語原典で読んでみる』しかやり遂げることができなかったぐらいの学力ですので複合文字にてこずりましたが、次のようになりました。


    manasashcendriyANAM ca hyaikAgryaM paramaM tapaH |
    tajjyAyaH sarvadharmebhyaH sa dharmaH para ucyate ||
    (itransですがchをcで転写しています。 )
    これをソフト的にデーヴァナーガリー文字に変換するとこうなります。

    मनसश्चेन्द्रियाणां ह्यैकाग्र्यं परमं तपः।

    तज्ज्यायः सर्वधर्मेभ्यः स धर्मः पर उच्यते॥

    Unicode iast で転写するとこう。

    manasaścendriyāṇā ca hyaikāgrya parama tapaḥ |
    tajjyāyaḥ sarvadharmebhyaḥ sa dharmaḥ para ucyate ||
     
    これ実はマハーバーラタの第12巻 242,4 の引用です。

    英訳
    The attainment of the one-pointedness of the mind and the senses is the best of austerities[tapas].
    It is superior to all religious duties and all other austerities.


    邦訳
    「無価値な対象から心と五感を遠ざけることは、最高の苦行である。それはあらゆる務めの中で最高のものである。」山際素男訳『マハーバーラタ』第7巻91ページ

     さて、これで欠文を補うことができたと、ほっと一息入れたとき、気になって岩波文庫本を見ると17章は88詩節しかありません。24詩節を見るとやはり欠落しています。ひょっとしてこれは校訂作業の中で、意図的に削除されたのでしょうか。今日届いた英訳本を見てみても何のコメントも見つけられませんでした。