2009年12月23日水曜日

Urtext 拾い読み 奇跡の原理19(Ur. 20) 2

「8頁を見よ」の指示は Urtext の8枚目のタイプ原稿を指示しています。リファレンス番号でいうと1B22kと1B22l です。

Correction: And don’t lose sight of the emphasis on cooperation, or the NOT SINGULAR. That point about “industrial necessity” should read “corporate”, referring to the body of Christ which is a way of referring to the Church. But the Church of God is only the sum of the souls he created, which IS the corporate body of Christ. Correct to read:
“A Miracle makes souls one in God,” and leave in the next part about cooperation.

訂正:協働が強調されていることを見逃さないように、またそれは単数ではない。“産業の必要性”については“corporate”[集合体の・共同体の]を意味しなければならない。これが言及しているのは教会を意味する表現「キリストのからだ」である。しかし神の教会は彼が創造した魂達の総和に過ぎない。それがキリストの集合的からだである。訂正してこう読みなさい。
「奇跡は魂達を神に於いて一つにする。」そして次の協働に関する部分はそのまま残しておきなさい。

主に会社団体に使われる“corporate”ですがここでは教会を指す「キリストの体」に関連させて使われています。corporateはラテン語で体を意味するcorpus(最近では辞書のコーパスというのがこの言葉ですね) に由来する動詞corporare の過去分詞形から派生した言葉です。キリストのcorpus というと一つになったキリスト信者全体を指し、キリスト教会を意味します。カトリックではこのcorpusを神秘体などと大げさに訳します。

教会というと私などは十字架の付いた建物を想像しますが、もともと教会を意味するギリシア語のエクレシア[εκκλησια]は呼び出された者たちの集会ですから「教会は彼が創造した魂達の総和に過ぎない」というのはまさにそのことです。corpus が cooperation に拠るというのが言葉遊びになってもいます。

この指示に従って最初に与えられた奇跡の原則を書き換えるとどうなるでしょうか。industrial necessity を corporate necessity に読み替えます。さらにこの文章が「奇跡が魂たちを一つにする」に置き換えられているのかどうか迷いますが、()に入れて残してみました。単数ではないというのも協働を指しているのか自信ありませんが仮にそういうことにすると…私案ではこうなります。

A Miracle makes souls one in God. (Miracles are corporate necessities.) It [=one, corporate body of Chirist] depends on cooperations, and cooperations depend on miracles.

この後にもう一つ訂正の指示がなされていて[1B22l]、最初の文の“in God” の God はChirist でなければならないとされています。(ヘレンのノートにはGod を横線で消して上にChrist と書き込まれていますが、この指示は後の版で全く無視されています。)

HLC、FIP では、そのままにしておくようにいわれた協働に関する後半の「協働は奇跡に拠る」という部分が削除され、キリストの体・教会の説明をbecause以下に圧縮して付け加えています。但しその内容は「キリストの体」が教会を表す理由の説明なので、これだけ見るとbecauseがどういうつながりでいわれているのか理解できないのではと思います。

Urtext 拾い読み 奇跡の原理19(Ur. 20) 1

FIP の Principles of Miracles の19は Urtext では20になります。

FIP 版で引用すると、
Miracles make minds one in God.
They depend on cooperation because the Sonship is the sum of all that God created.

奇跡は[ばらばらの]精神を神に於いて一つにする。
それらは協働に依存する、Sonship は神の創造したすべての人の総和であるのだから。

ふたりの訳者に当たってみると両者ともThey が奇跡を受けているように訳していました。これだけ見ると妥当な訳に見えます。しかしUrtext を見るとどうでしょう。

最初に与えられた形はこうなっていました。

20. Miracles are an industrial necessity. Industry depends on cooperation, and cooperation depends on miracles. (see page 8)

奇跡は産業にとって必要とされるものである。産業は協働に依存し、協働は奇跡に依存する。

「8頁を見よ」というのは、そこでこの原理の訂正の指示がなされているからです。それは後で見るとして、ここだけ見ても「それら」を奇跡と読むのはどうかと思わせる証拠があります。というのも「協働は奇跡に依存する」と真逆のことが記されているからです。これを見て疑問が生じました。奇跡が協働に依存するなら、人間達の協働がなければ奇跡は働くことが出来ないということになります。それが正しいとすると人間の持つ役割というのが非常に重要だという話になると思うのですが、反面奇跡に足かせをすることにもなります。

この奇跡の原理の各版の違いを見比べて考察した結果を先に述べてしまうと、訂正の指示に正しく従わなかったために意味の取りにくい文章になっているのではないかと、今のところそう感じています。

興味のある方はUrtext と HLC を比較したレポートをご覧になって下さい。なお奇跡の原理19の三番目の文に「それ故」therefore が入っていて、いかにも論理的な流れがあるように見えますが、Urtext で見ると順番が逆になっていて、今考察している文の直前に置かれています。HLC や FIP に於いて therefore でつながれている意味も私には不明で人間的な恣意性を感じます。therefore の挿入と順番の入れ替えは HLC で生じFIP はそれを受け継ぎました。

つづく

一つ訂正があります。奇跡の原理19の三番目の文ですがヘレンのノートを見てみると順番は二番目の文のあとになっていました。ただしその間に十数頁の記述があります。奇跡の超時間性を表すこの文がtherefore で先の文に繋がらないという考えは変わりません。もともとこれは奇跡の原理として独立した項目でした。

2009年12月16日水曜日

Urtext-HLC Compare Report 出来ました

Urtext と HLC の編集状態が一目で分かるCompare Report が出来ました。原典派の人にお勧めします。まだ作成途上の部分もありますがとりあえず公開します。
http://island.geocities.jp/srchfrtrth/acim.html

私が Urtext や HLC などのACIM 初期バージョンにこだわるに至った経過を記しておきます。

最初は海外のサイトでの情報でHLC や Urtext が良いという話を見てこう思った訳です。全部自分の力で読み通すのは分量からいって無理だから、FIP 版の日本語訳の田中百合子訳に無いところだけ原文で読んでみようと。

当時はまだ Urtext と HLC の違いもよく分かっていなかったので、Urtext だと思って買った本がHLC だったりしました。とりあえずFIP 版と HLC を比較して、FIP に抜けているところを抽出しようと本を並べて取りかかったのですが、これがなかなか一筋縄ではいかなかったのですね。

一般に公開するのには不適当と見なされた箇所が単純に削除してあるだけだと思っていましたが、全く違っていました。何しろ第一章はFIP のテキストをHLC に対応づけることが困難だったのです。後の章になるほど並べて簡単に比較できるぐらい似通っていますが、第一章はそんなわけにはいかなかったのですね。単純にHLC から公開に不適切な部分がFIP版になったのではなく、さらに残された部分を編集して、中にはもとの順序から離れて前後入れ替わっている箇所もあります。まるでモザイクだと思いました。

モザイク状態のテキストしか知らなかったら、それを読んでそれが持つ意味を理解したと思い込むことも出来るでしょうが、もとのテキストを一旦見てしまったら、モザイク状態からオリジナルの意味を理解できるとは思えなかったのですね。少なくとも私の能力では…

もちろんFIP 版で学習には十分で、そのメッセージは明白であると思いますし、イエスのメッセージを正しく受け取れているか不安を感じたヘレンに対して、新約聖書は未だに学者によって校訂作業が続けられているが、その真理の言葉の力には変わりがないので、心配する必要はないといったような意味のことをイエスはUrtext で言っていたように思いますのでFIP版は学習に不適切だなどというつもりはありませんので誤解無きように。