2010年3月22日月曜日

ACIM FIP 版における will と mind

FIP 版では、Urtext や HLC で will となっている言葉を様々に書き換える傾向があります。Will は現象の世界を越えた真実のあり方においてのみ用いるのがふさわしいと考えているようです。意図は分かるのですが、言葉を書き換えれば済むのでしょうか?

HLC と FIP を比較してみましょう。HLC 8E12 と、それに対応する FIP 8.V.1.5 - 2.3 です。

HLC 8E12.  Help them by offering them YOUR unified will on their behalf, as I am offering you mine on YOURS. Alone we can do nothing, but TOGETHER, our wills fuse into something whose power is far beyond the power of its separate parts. By NOT BEING SEPARATE, the Will of God is established IN ours and AS ours. This will is invincible BECAUSE it is undivided. The undivided will of the Sonship is the perfect creator, being wholly in the likeness of God, Whose Will it IS. YOU cannot be exempt from it, if you are to understand what IT is and what YOU are. By separating your will FROM mine, you are exempting yourself from the Will of God Which IS yourself.

FIP 8.V.1.5-8  Help them by offering them your unified mind on their behalf, as I am offering you mine on behalf of yours. Alone we can do nothing, but together our minds fuse into something whose power is far beyond the power of its separate parts. By not being separate, the Mind of God is established in ours and as ours. This Mind is invincible because it is undivided.
8.V.2.1-3  The undivided will of the Sonship is the perfect creator, being wholly in the likeness of God, Whose Will it is. You cannot be exempt from it if you are to understand what it is and what you are. By the belief that your will is separate from mine, you are exempting yourself from the Will of God which is yourself.

ピンクは変更されているところ、青は HLC と FIP で書き換えられていない will です。分離した意志と統合された意志について述べられています。FIP はもともと一つであった段落の途中で段落を分けて、前半では will を mind に書き換え、後半ではそのままにしています。

前半[8.V.1]の中だけでも分離した意志と統合された意志が出てきます。分離した意志だけ mind に変えて統合された意志をそのままにすると、読んで意味不明な文章になるので、統合された意志の方は 大文字の Mind にされています。

後半[8.V.2]になると分離していない will と見て、mind に変えないでそのままにしています。“By separating your will” を “By the belief that your will is separate” と変えているのは、分離しているように見えるのは錯覚で実は分離していないのだから、「分離することによって」というのは表現上に問題があると考えたものでしょう。それで「分離していると信じることによって」として、その分離が錯覚に過ぎないことに矛盾しない表現になっています。

ここでも分離している[と錯覚している]意志ですから、FIP の編集方針に従えば will を mind に書き換えるべきかもしれませんが、そうすると分離した意志と統合された意志、神の意志とのつながりが見えにくくなります。錯覚の世界と真実のあり方との二つのレベルを明確にするために用いる言葉を使い分けようとしても、どうしても統一できないのは、編集方針に無理があるからでしょう。

will を will と mind に書き分けずとも、「分離した」、「統合された」、「分割していない」という言葉によってたやすく読み取ることができるので、無理に手を加える必要があったのか疑問です。“Absence from Felicity” にヘレンが原稿を良くしようとして手を加えると結局矛盾が生じて、なるべく手を加えない方が良いというビルの方針に従わざるを得なくなる話がありますが、それは FIP 版にも当てはまるように思います。

2010年3月18日木曜日

スピノザとゆるし

上野修『スピノザの世界』にスピノザとゆるしについて書いてありました。『エチカ』第2部の末尾に、自由意志があると思っているのは錯覚で存在しないということを理解すると、「実生活のためにいかに有用であるか」ということが述べてありますが、これがゆるしに繋がるというのです。実際に「ゆるし」ということばがスピノザの原典にあるのか確認してみるとありませんでした。「ゆるし」として理解したのは著者の解釈であることが分かりましたが、ACIM に興味を持つものとして面白いので、以下に引用してみましょう。括弧内が上野氏の解釈になります。

1. この説は、安らぎと最高の幸福を教え、正しい生き方がおのずとできるようになる効果をもたらす。(自分をゆるしてやること)

2. この説は、運命に振り回されない力を与えてくれる。(神と世界をゆるしてやること)

3. この説は、人々との社会生活に寄与する。(人間をゆるしてやること)

4. この説は、共同社会のために寄与する。(社会をゆるしてやること)

スピノザ自身の翻訳はこちらにあります。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#notee2

2010年3月15日月曜日

Long s の話

前からスピノザが気になって岩波文庫の翻訳はすべてそろえてみました。けれどもあのスタイルなのでなかなか読めません。

そのうちスピノザを理解するにはデカルトを勉強しないといけないということに気づき、原典をhttp://www.archive.org/で探してダウンロードしました。

シャルル・アダンとポール・タンヌリの全集(全12巻)の古い方(1897-1910)が版権が切れていて手に入ります。早速見てみるとラテン語が何故か読めません!

訳語の原語をチェックしたいだけなのですが困りました。しばらく眺めている内に、どうも f に見える活字が s なら意味が通じそうです。それでE-Text 化されている epub の方を見てみましたが綴りは同じです。OCR で認識させただけのようで、m が rn になっていたり、安心して使えるものではなさそうです。

確か細長い s の活字があったような気がして調べると、Long s というものでした。s のくせに f に似て左側の出っ張りまで付いていることがあります。ユニコードのU+017F です。 ſ これです。フォントによっては左側の出っ張りが見えないと思います。esse が eſſe になります。語尾には使われないようです。

参考になったサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/Long_s
http://en.wikipedia.org/wiki/Long_s
http://www16.ocn.ne.jp/~kageyama/Chapter5_ReadingCaxton.html

ACIM Compare Report アップしました

HLC - FIP Compare Report の残りの部分をアップロードしました。細かく見ていけばいろいろ修正点があると思いますが、とりあえず区切りを付けて UP しました。HLC - FIP Compare Report

HLC の Doug Thompson が校訂したテキストを元に、明らかなスペリングミス以外はできるだけオリジナルのテキストに戻しています。オリジナルを見ると違いが無いのに校訂後のテキストを見ると違いがあるように見えることがあるので、それを避けるためです。

HLC のテキストを見直したついでに Urtext と HLC のCompare Report も見直し、修正して UP しました。
Urtext - HLC Compare Report

当初は自分で比較しながら、自分の判断を加味して正しいと思うテキストを本文にするつもりでしたが、HTML にいろいろ情報を埋め込むことができるようになったので、各版の異同をポップアップで表示し、各人がそれを参考にして判断できるように方針を変えました。まだインフォメーションの入力が十分でないので、その点は Doug Thompson のテキストに付された脚注を参考にして下さい。

これを作成するときに、サイズの大きいPDF を同時にたくさん開いて作業したため、たびたび Acrobat がクラッシュして閉口しました。PDF を開かなくても、これだけで判断できるくらい情報を充実できればいいのですが、少しずつ修正を入れていきたいと思います。

FIP版命の人も、何か疑問が生じたら、Urtext や HLC との異同を確認してもらえると、ヒントがあるかも知れません。

2010年3月6日土曜日

ACIM, 30.IV.2. Woolly Bear って何?



電子辞書を使うと普段見逃してしまいそうな熟語など自動的に表示してくれるので助かります。やさしい言葉に深い意味があったりするんですね。では FIP で 30.IV.2.2 を引用してみます。

A child is frightened when a wooden head springs up as a closed box is opened suddenly, or when a soft and silent woolly bear begins to squeak as he takes hold of it.

それで今回は Woolly Bear です。毛がふさふさしたテディ・ベアーみたいですね。どうしてこのことばに引っかかったかというと FIP で woolly になっているところが HLC で wooly と綴られていてこれがミススペリングか英国式の綴りか確かめようとしたのです。そうすると意外にもアメリカ英語の綴りでした。それだけだったら何でもないのですが、woolly bear で辞書に見出しがあるのです。

なんと毛虫です。とくにタイガー・モスの幼虫を指します。インターネットで調べてみると頭とお尻が黒で中間が黄色のタイガーっぽい毛虫が出てきました。それでは上の文章を訳してみましょう。

子供は、閉じられた[びっくり]箱が開いたとたん木でできた頭が飛び出たり、柔らかくてものを言わない woolly bear をつかんだとたんにキューキュー 鳴き出すと、こわがる。

これはどうも毛虫のような気がするのですが、果たしてそんなおもちゃがあちらにあるのでしょうか? それでまたgoogle に相談すると、Woolly Bear で結構ふさふさのテディ・ベアーがヒットします。やはりお腹を押さえるとキューキュー鳴くテディ・ベアーなのでしょうか?

しばらく探してみるとやっぱりありました。本物そっくりの色をした毛虫のおもちゃです。これがACIM が書き留められた1960年代からあるのかどうか分かりませんが、私の中では毛虫のおもちゃで決着しそうになりました。

けれどもこの後の文章で woolly bear を単に bear と表記しているのでやはり テディ・ベアーなんでしょうね。残念。

2010年3月5日金曜日

ACIM の句読点

ヘレンの句読点が過剰でワプニク博士がかなり整理したというのは有名な話ですが、FIP 版でもヘレンの句読点の癖を知らないと読めない場合があります。

ノートを見るとピリオドの代わりに // が使われています。但しピリオドに厳密に一致しているのではなく、句などの区切りでも用いられています。想像するにイエスのディクテーションの区切りでこのマークが入っているように思います。FIP でこの過剰な句読点がそのまま残っているところを見つけたので検討してみましょう。

25.VIII.7.1-2  So do they think the loss of sin a curse. And flee the Holy Spirit as if He were a messenger from hell, sent from above, in treachery and guile, to work God’s vengeance on them in the guise of a deliverer and friend.

二つ目の文章ですが flee は他動詞で“聖霊から逃げる”を意味しています。自動詞であれば flee from となるところです。ACIM ではしばしば倒置が用いられているので聖霊が主語の可能性を考えても、“聖霊が逃げる”[自動詞]ではおかしいですね。

この文章には主語がないので命令文に見えます。けれども「聖霊から逃げよ」ではおかしいですね。ここは And のまえのピリオドをコンマに読み替えて flee の主語として前の文章の they を受けていると理解しなければ読めません。そうして訳してみると…

「それで彼らは罪を失うことを災いとみなして、聖霊から逃げる。あたかも彼が地獄からの使者、裏切りと策略のうちに、救助者や友のふりをして、神の復讐をなすために、天から送られてきた者であるかのように思って。」

コンマやピリオドを単なる区切りとして適当に読み替えないと普通の文章にならないことがあると頭の中に入れておきましょう。

ACIM の誤植

各バージョンを比較していると、普段気がつかない誤植に気づきます。それをちまちまとチェックしていると、なんだか中世の写字生になったような気分です。

日本語の本を読んでいても誤植のない本に会うことは滅多にありませんし、誤植があるのは当然のことです。しかし英語となると誤植だと分からずにかなり悩んだりもするので、解釈以前の問題として、できるだけ誤植のないテキストが欲しいものです。

ACIM の場合は最初に作られた E-TEXT に含まれていた間違いがそのまま見過ごされている場合が多いですね。Urtext はその誕生は HLC に先立ちますが、E-TEXT は HLC の後になりますから、HLC の E-TEXT の誤植や句読点をそのまま引き継いでいる場合がかなりあります。次の例は FIP 版にある誤植をそのまま HLC のE-TEXTが引き継いでいるところです。 25.VIII.7.3をみると…

What could He be to them except a devil dressed to deceive, within an angel’s cloak.

最後がクエスチョンマークになってませんね。(第三版では直されているでしょうか?)これが HLC を誤植まで忠実に写そうとした HLC Replica に入り込みます。HLC のタイプ原稿にはクエスチョンマークがあるのですが、延々と校訂版の Annotated HLC まで引き継がれています。これなど見れば誰でも分かるのでたいした問題ではないけれど、やはりちゃんとしたテキストが欲しいなぁと思いましてこつこつやっています。

次は 25.VIII.6.4  別におかしくなさそうですが、どうでしょう?

Nor can they trust Him[Holy Spirit] not to strike them dead with lightning bolts torn from the “fires” of Heaven by God’s Own angry Hand.
神御自身の怒れる手によって天の炎から引きちぎられた lightning bolts で、聖霊が彼らを打ちのめして殺さないということを、彼らは信用できない。

HLC では lightning が lightening になっています。lightning だと名詞で「稲妻・電光」、bolt も稲妻・電光ですから lightning bolts だと同じ意味の名詞が二つ並んでおかしいですね。しかしそういう言い回しがあるのかと思い、 Urtext を見ると lightning 、ノートでは lightening でバージョンごとに揺れ動いています。結局正解は lightening で現在分詞が形容詞として bolts に繋がっていると考え、「閃く稲妻」で帰着しました。

また逆に FIP のおかげで E-TEXT の誤植に気づくこともあります。
HLC T 19 L 14. の最後の文章、FIP でいうと19.IV.D.21. 第19章の最後です。

Yet it is given you to see this purpose in your holy Friend, and recognize it is your own.

文法的におかしなところはありませんが、FIP と比較すると is your own の is が as になっていました。HLC のタイプ原稿を見ても as なので E-TEXT 化するときに紛れ込んだ間違いです。全部調べられるだけ調べてみると Jesus’ Course in Miracles(2000)、 Blue Sparkly(2002)、Corrected HLC(2006)、CIMS Original Edition(2007)、Annotated HLC(2009) 全部 is のままです。最初に紛れ込んだ E-TEXT の過ちを誰も気がつかずに出版してしまったようです。