2009年12月23日水曜日

Urtext 拾い読み 奇跡の原理19(Ur. 20) 2

「8頁を見よ」の指示は Urtext の8枚目のタイプ原稿を指示しています。リファレンス番号でいうと1B22kと1B22l です。

Correction: And don’t lose sight of the emphasis on cooperation, or the NOT SINGULAR. That point about “industrial necessity” should read “corporate”, referring to the body of Christ which is a way of referring to the Church. But the Church of God is only the sum of the souls he created, which IS the corporate body of Christ. Correct to read:
“A Miracle makes souls one in God,” and leave in the next part about cooperation.

訂正:協働が強調されていることを見逃さないように、またそれは単数ではない。“産業の必要性”については“corporate”[集合体の・共同体の]を意味しなければならない。これが言及しているのは教会を意味する表現「キリストのからだ」である。しかし神の教会は彼が創造した魂達の総和に過ぎない。それがキリストの集合的からだである。訂正してこう読みなさい。
「奇跡は魂達を神に於いて一つにする。」そして次の協働に関する部分はそのまま残しておきなさい。

主に会社団体に使われる“corporate”ですがここでは教会を指す「キリストの体」に関連させて使われています。corporateはラテン語で体を意味するcorpus(最近では辞書のコーパスというのがこの言葉ですね) に由来する動詞corporare の過去分詞形から派生した言葉です。キリストのcorpus というと一つになったキリスト信者全体を指し、キリスト教会を意味します。カトリックではこのcorpusを神秘体などと大げさに訳します。

教会というと私などは十字架の付いた建物を想像しますが、もともと教会を意味するギリシア語のエクレシア[εκκλησια]は呼び出された者たちの集会ですから「教会は彼が創造した魂達の総和に過ぎない」というのはまさにそのことです。corpus が cooperation に拠るというのが言葉遊びになってもいます。

この指示に従って最初に与えられた奇跡の原則を書き換えるとどうなるでしょうか。industrial necessity を corporate necessity に読み替えます。さらにこの文章が「奇跡が魂たちを一つにする」に置き換えられているのかどうか迷いますが、()に入れて残してみました。単数ではないというのも協働を指しているのか自信ありませんが仮にそういうことにすると…私案ではこうなります。

A Miracle makes souls one in God. (Miracles are corporate necessities.) It [=one, corporate body of Chirist] depends on cooperations, and cooperations depend on miracles.

この後にもう一つ訂正の指示がなされていて[1B22l]、最初の文の“in God” の God はChirist でなければならないとされています。(ヘレンのノートにはGod を横線で消して上にChrist と書き込まれていますが、この指示は後の版で全く無視されています。)

HLC、FIP では、そのままにしておくようにいわれた協働に関する後半の「協働は奇跡に拠る」という部分が削除され、キリストの体・教会の説明をbecause以下に圧縮して付け加えています。但しその内容は「キリストの体」が教会を表す理由の説明なので、これだけ見るとbecauseがどういうつながりでいわれているのか理解できないのではと思います。

Urtext 拾い読み 奇跡の原理19(Ur. 20) 1

FIP の Principles of Miracles の19は Urtext では20になります。

FIP 版で引用すると、
Miracles make minds one in God.
They depend on cooperation because the Sonship is the sum of all that God created.

奇跡は[ばらばらの]精神を神に於いて一つにする。
それらは協働に依存する、Sonship は神の創造したすべての人の総和であるのだから。

ふたりの訳者に当たってみると両者ともThey が奇跡を受けているように訳していました。これだけ見ると妥当な訳に見えます。しかしUrtext を見るとどうでしょう。

最初に与えられた形はこうなっていました。

20. Miracles are an industrial necessity. Industry depends on cooperation, and cooperation depends on miracles. (see page 8)

奇跡は産業にとって必要とされるものである。産業は協働に依存し、協働は奇跡に依存する。

「8頁を見よ」というのは、そこでこの原理の訂正の指示がなされているからです。それは後で見るとして、ここだけ見ても「それら」を奇跡と読むのはどうかと思わせる証拠があります。というのも「協働は奇跡に依存する」と真逆のことが記されているからです。これを見て疑問が生じました。奇跡が協働に依存するなら、人間達の協働がなければ奇跡は働くことが出来ないということになります。それが正しいとすると人間の持つ役割というのが非常に重要だという話になると思うのですが、反面奇跡に足かせをすることにもなります。

この奇跡の原理の各版の違いを見比べて考察した結果を先に述べてしまうと、訂正の指示に正しく従わなかったために意味の取りにくい文章になっているのではないかと、今のところそう感じています。

興味のある方はUrtext と HLC を比較したレポートをご覧になって下さい。なお奇跡の原理19の三番目の文に「それ故」therefore が入っていて、いかにも論理的な流れがあるように見えますが、Urtext で見ると順番が逆になっていて、今考察している文の直前に置かれています。HLC や FIP に於いて therefore でつながれている意味も私には不明で人間的な恣意性を感じます。therefore の挿入と順番の入れ替えは HLC で生じFIP はそれを受け継ぎました。

つづく

一つ訂正があります。奇跡の原理19の三番目の文ですがヘレンのノートを見てみると順番は二番目の文のあとになっていました。ただしその間に十数頁の記述があります。奇跡の超時間性を表すこの文がtherefore で先の文に繋がらないという考えは変わりません。もともとこれは奇跡の原理として独立した項目でした。

2009年12月16日水曜日

Urtext-HLC Compare Report 出来ました

Urtext と HLC の編集状態が一目で分かるCompare Report が出来ました。原典派の人にお勧めします。まだ作成途上の部分もありますがとりあえず公開します。
http://island.geocities.jp/srchfrtrth/acim.html

私が Urtext や HLC などのACIM 初期バージョンにこだわるに至った経過を記しておきます。

最初は海外のサイトでの情報でHLC や Urtext が良いという話を見てこう思った訳です。全部自分の力で読み通すのは分量からいって無理だから、FIP 版の日本語訳の田中百合子訳に無いところだけ原文で読んでみようと。

当時はまだ Urtext と HLC の違いもよく分かっていなかったので、Urtext だと思って買った本がHLC だったりしました。とりあえずFIP 版と HLC を比較して、FIP に抜けているところを抽出しようと本を並べて取りかかったのですが、これがなかなか一筋縄ではいかなかったのですね。

一般に公開するのには不適当と見なされた箇所が単純に削除してあるだけだと思っていましたが、全く違っていました。何しろ第一章はFIP のテキストをHLC に対応づけることが困難だったのです。後の章になるほど並べて簡単に比較できるぐらい似通っていますが、第一章はそんなわけにはいかなかったのですね。単純にHLC から公開に不適切な部分がFIP版になったのではなく、さらに残された部分を編集して、中にはもとの順序から離れて前後入れ替わっている箇所もあります。まるでモザイクだと思いました。

モザイク状態のテキストしか知らなかったら、それを読んでそれが持つ意味を理解したと思い込むことも出来るでしょうが、もとのテキストを一旦見てしまったら、モザイク状態からオリジナルの意味を理解できるとは思えなかったのですね。少なくとも私の能力では…

もちろんFIP 版で学習には十分で、そのメッセージは明白であると思いますし、イエスのメッセージを正しく受け取れているか不安を感じたヘレンに対して、新約聖書は未だに学者によって校訂作業が続けられているが、その真理の言葉の力には変わりがないので、心配する必要はないといったような意味のことをイエスはUrtext で言っていたように思いますのでFIP版は学習に不適切だなどというつもりはありませんので誤解無きように。

2009年11月13日金曜日

Word 自動的に生成されるブックマークの削除

Word で編集していて自動的にブックマークが作られて鬱陶しいので、情報を探してみたら、海外の情報しかヒットしなかったのでメモしておきます。

自動的に作られるブックマークは、OLE_LINK##という名前の付くものです。
カット・アンド・ペーストやコピー・アンド・ペーストしていると自動的に作るようです。

下のサイトに削除するマクロが載っていました。
http://word.tips.net/Pages/T000321_Random_OLE_Bookmarks.html

Sub RemoveOLE_Marks()
    Dim J As Integer
    For J = ActiveDocument.Bookmarks.Count To 1 Step -1
        If UCase(Left(ActiveDocument.Bookmarks(J).Name, 8)) = "OLE_LINK" Then
            ActiveDocument.Bookmarks(J).Delete
        End If
    Next J
End Sub

困っている方、お試し下さい。

2009年11月11日水曜日

On emphases of the Urtext : an article of ACIM

Doug Thompson informed me that the typewriter can draw underline. I didn't know this up to now.

Then I became aware of the fact that there are three kinds of emphasis in the Urtext.
Three kinds are ALL CAPS, underline by typewriter and underline by hand.
And I think this would show the process of retyping.

When I compared the urtext manuscript with shorthand Notes,
I found the fact that underlined emphases in the Urtext almost correspond with the Notes' emphases.

The retyping process which I imagined is this.

1. Helen read the Notes aloud and Bill typed them. The manuscript would have had no emphasis at that time, because reading the Notes aloud with indication of emphasis is so inefficient.
2. Helen read the words aloud which have emphases,
   Bill heard them and wrote the marks in the first Urtext.
   The reason why it is clear is that there are wrong emphases of similar word in one paragraph.
   If he looked at emphases of the Notes, he would have distinguish them by their difference of location.

     For example, there are "know" with underline and "knowing" with ALL CAPS at T 4 E 21.
     "know" was emphasized in the Notes, but "knowing" wasn't emphasized in the Notes.
     Both words are emphasized in the Urtext. "knowing" has ALL CAPS, and "know" has underline.
     Probably, Helen read "know" aloud and Bill misunderstood this emphasized word is "knowing", then he marked up "knowing" at first typing.

3. Helen retyped Bill's Urtext and emphasized these marked up words with ALL CAPS.
   At that time, if missing emphases were found, she would emphasize with underline by typewriter.

4. After retyping, she would find still more missing emphasized words in comparison with the Notes, then these words would have been underlined by hand.

It's only my fantasy, but I am excited by imagining of ACIM's birth.

海外の人も読んでくれるかと思い英語で作文してみました。たぶんおかしいところもあると思いますが雰囲気は分かってくれるかな?

ヘレン・シャクマンの速記ノート・高精細JPGファイル届きました

Doug Thompson からヘレンの速記ノート・High Resolution jpg ファイルの収録されたDVDが届きました。サービスで新しいバージョンのScholar's Toolbox も付けていただきました。

お礼をかねてここで指摘した正誤表の内で有意義だと思われるものを選択してメールしました。先に送ったメールでの正誤リストで採用してくれたものはWebやこの新しいToolbox DVD で修正していただけたようです。

Doug が言うには、印刷用のマークアップ・コードで下線の一重線はイタリック体、二重線はALL CAPS(単語の文字をすべて大文字で表した強調)で活字を組むことを示すそうです。Urtext ではタイプライターで下線を引くのは大変手間がかかるので(タイプライターでも下線が引けるのですね。知りませんでした。)ノートの下線をALL CAPS にしています。しかし、おそらくイタリック体で強調することを意図していたのではないかということです。

Urtext の中に手書きのアンダーラインと定規で引いたような真っ直ぐなアンダーラインがありますが、真っ直ぐの方は定規ではなくタイプライター自体で打っているのですね。Urtext のALL CAPS とアンダーラインの強調について、Urtext とノートを比較しながら、こんなイメージが浮かび上がって来ました。

最初にノートをタイプライターで写したとき、ヘレンが読み上げて、ビルがタイプしたと思いますが、おそらく最初の原稿は強調をALL CAPSで写していなかったのではないでしょうか。強調する語句が頻繁に出てくるので、強調の指示を入れながら読み上げるのは非常に能率が悪く時間がかかるからです。

聴いてタイピングしたというのは同じ発音の別の語句をタイプしているミスが散見されることなどから分かります。there と their の間違いや、面白いところでは聖書でイエスが「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」というところの「くびき」がYoke でなく、同じ発音のYolk[黄身・卵黄]になっているのがありました。[T 5 D 13.] もちろんノートでは正しく綴られています。

おそらく原稿が一段落したとき(例えば段落ごととか一頁ごと)まとめて強調する単語を読み上げてビルが手書きで指示を書き込んだのでしょう。そしてまたタイピングに戻って同じ手順を繰り返したと思います。ビルがヘレンの声を聞いて強調する言葉をチェックしたと思われるのは、同じ段落で別の場所にある似た単語が、間違って強調されている誤りがあるからです。目でノートを見ていれば別の場所の単語と間違う訳がありません。(例えばT 4 E 21. を参照。ALL CAPS のknowing[ノートで強調無し]とアンダーラインのknow[ノートで強調されている] に注目して下さい。 )

その後、セカンド・リタイピングの時、最初の原稿の手書きでチェックした強調をALL CAPSにして写したのが現在のUrtext でしょう。タイプライターで引いたアンダーライン付きの言葉はノートと照らし合わせながら再タイピングするときに強調の脱落に気がついた箇所で、タイピング後にチェックしたときに気がついたのが手書きのアンダーラインという訳です。Urtext でアンダーラインのところを見るとノートのアンダーラインとほとんど一致するので、後になって恣意的に強調点を変えたのではなく、ノートにあって脱落したところを補っているのがよくわかります。Urtext の三種類の強調にタイピング時の様子が透けて見えているという説ですがどうでしょうか。

Urtext とノートを比較してもう一つ気がついたのはUrtext のパラグラフ分けがノートに忠実であることです。HLC と比べると微妙にUrtext のパラグラフ分けは違っていますが、Urtext でパラグラフが分かれて字下げしているところや手書きでUrtext にパラグラフ分けを指示する記号(P の縦棒が2重線になっているもの)はほとんどノートに対応します。ノートを見るまではUrtext のパラグラフ分けをどの程度信用して良いのか分かりませんでした。果たして手書きのパラグラフ分けは誰が書き入れたのかも分からないし、ノートと照らし合わせているのか、それとも自分の考えで分けているのかも分からないと…。しかし恣意的に分けていないことが明らかとなりました。

ヘレンは二度Urtext をリタイピングしたといわれていますが(ワプニクの証言による)、タイプ原稿をみると明らかに二種類のタイプライターが使われているので、Doug の説では二度全体をリタイピングしたのではなく、前半と後半を二回に分けてリタイピングを行い、全体としては一度のリタイピングであった可能性もあるということです。

2009年11月9日月曜日

Urtext errata - Text Chapter 4 正誤表と覚え書き

 

ACIM Urtext のE-Text をタイプ原稿をみながらチェックしています。 正誤表と気になった点の覚え書きです。
元データは ACIM The Scholar's Toolbox のHtml 版でHTML compilation version BETA 101009 H です。M はマニュスクリプト、N はノートの略号としました。M: xxx N: yyy というのはマニュスクリプト(タイプ原稿)の表記はxxxで速記ノートの表記はyyyであることを示しています。

T 4 A 4.  ... Both of you have completed the SCT stem: When I was called on to speak—with—I became embarrassed and COULD NOT SPEAK.”
T 4 A 4.  ... Both of you have completed the SCT stem: When I was called on to speak with I became embarrassed and COULD NOT SPEAK.”
最初の引用符が逆になっているので修正。SCT は心理テストの文章完成法のこと。修正後の形はヘレンの速記ノートにある通りです。最小限の修正なら引用符の訂正だけで良いでしょう。

T 4 A 5.  ... and he IS free to allocate the authorship for his thoughts as he elects.
T 4 A 5.  ... and he IS free to allocate the authorship of his thoughts as he elects.
M と N は両方ともof になっています。for の方が良いかもしれません。もとのテキストに訂正の注がないので意図的な変更か疑問に思い参考までにあげておきます。

T 4 A 8.   ...“And he sees across a weary land a straggling road in Spain  Up which a lean and foolish knight forever rides in vain.”
T 4 A 8.   ...“And he sees across a weary land a straggling road in Spain, Up which a lean and foolish knight forever rides in vain.”
チェスタートンの詩の引用部分。もとの詩はSpain の後にコンマがありその後改行されている。

T 4 A 9.  ... unless they are given up by an act of will, or, more properly as active creation.
T 4 A 9.  ... unless they are given up by an act of will, or, more properly an active creation.
M:an

T 4 B 24.  ... be still and KNOW that God is real and YOU are His beloved son in whom he is well pleased.
T 4 B 24.  ... be still and KNOW that God is real and YOU are His beloved son in whom He is well pleased.
M: he N: He N の強調を採用。

T 4 B 34. ... I could not understand their importance to YOU if I had not once been tempted to believe them myself.
T 4 B 34. ... I could not understand their importance to YOU if I had not once been tempted to believe in them myself.
M にあるので in を追加。文法的にはどちらでも問題ない。

T 4 C 19.  ... Consider the inevitable confusion which MUST arise from a perception of the self which responds: When I was completely on my own I had no idea what was possible.”
T 4 C 19.  ... Consider the inevitable confusion which MUST arise from a perception of the self which responds: When I was completely on my own, “I had no idea what was possible.”
最初見てI の後ろにある引用符の意味が分からなかったところ。よく見ると文章完成法テストの形になっている。不完全な文「私が完全にひとりであったとき、私は“……”」の回答なので I の後ろに引用符がある。同様の形はT 1 B36t. にある。ちなみにノートはこうなっている。
...which responds: When I was completely on my own: “I had no idea what was possible.”
引用符をノートの形に合わせたのは、この段落でWhen節だけを「前提premise」として指し示している箇所があるので。

T 4 C 20.  The ego’s ceaseless attempts to gain the Soul’s acknowledgement and thus establish its own existence are utterly useless.
M: thus to establish  N: thus really establish
このままで問題ないが to を復活させるべきだろうか?

T 4 C 23.  ... Salvation is nothing more that “right-mindedness” which is NOT the one-mindedness of the Soul, ...
T 4 C 23.  ... Salvation is nothing more than “right-mindedness” which is NOT the one-mindedness of the Soul, ...
M : than

T 4 D 17.  ... No one can see THROUGH a wall, but I can step around it.
T 4 D 17.  ... No one can see THROUGH a wall, but I can step around it.
M にあるアンダーラインの強調が抜けている。

T 4 D 19.  ... Watch carefully, and see what it is you are truly asking for. Be very honest with yourselves about this, for you we must hide nothing from each other.
T 4 D 19.  ... Watch carefully, and see what it is you are really asking for. Be very honest with yourselves about this, for we must hide nothing from each other.
M はtruly のところreally になっている。you は横線でcross out されているので消去する。ノートでも we になっている。

T 4 E 16.  ... Then let me the Holy One shine upon you in peace...
T 4 E 16.  ... Then let the Holy One shine upon you in peace...
M: me the N: the
Mで消去されたme が復活しているので消去する。ノートを見るとthe の筆記体がMe のように見えるのでおそらく読み間違いをタイプして消去した箇所。

T 4 F 15.  Consider the alchemist’s age-old attempts to turn base metal into gold. (This typo was originally “god”).
T 4 F 15.  Consider the alchemist’s age-old attempts to turn base metal into god gold. (This typo was originally “god”).
括弧内にミスタイプの説明があるのでMにあるミスタイプの痕跡を挿入。

T 4 H 4   ... In contrast, the Soul reacts in the same way to everything it know is true, and does not ...
T 4 H 4   ... In contrast, the Soul reacts in the same way to everything it knows is true, and does not ...
M:  knows

T 4 I 1.  ... it is too often misused as an expedient for sharing the ego’s dominion with other ego’s rather than ...
T 4 I 1.  ... it is too often misused as an expedient for sharing the ego’s dominion with other egos rather than ...
M: egos N: egos

2009年11月5日木曜日

Urtext errata - Text Chapter 3

ACIM Urtext のE-Text をタイプ原稿をみながらチェックしています。
元データは ACIM The Scholar's Toolbox のHtml 版でHTML compilation version BETA 101009 H です。(現在公開されているのはBETA 011109 A で番号は公開された日付になっています。)Urtext のe-text の中でこれが一番誤植が少なく、問題点はヘレンの速記ノートに当たって確認してあり、聖書に関連する箇所の注も丁寧に付けられていて、お勧めです。

M はマニュスクリプト、N はノートの略号としました。 最初は意味は考えないで比較するだけのつもりでしたが出来るだけ読みながら進めるようにしています。これまでのところフロイトの評価が非常に高いことやエドガー・ケイシーへの言及がかなりあるのが意外でした。ヒュー・リン・ケイシーへの言及もあり、HLC が彼に送られた訳が分かりました。

T 3 で興味深かったのはビルのお父さんが彼のオフィスにやってきてめちゃくちゃにしたことなど、ビルと彼の父に関する確執[T 3 G 30]や教師と生徒の問題が Authority Problem に繋がっていくところ[G 36-42]、デカルトを高く評価していることやそれがビルへ与えられた祈り “Lord, here I am.” にも繋がるように見えるところ[G 44-46, H 12]、エデンの知恵の樹の解釈[I 7-8]など。

T 3 A 24.  ... It should, be noted, however, that the result was not only considerable and ...
T 3 A 24.  ... It should be noted, however, that the result was not only considerable and ...
should の後のコンマはM に無い。削除する。

T 3 C 7.  ... we must be VERY sure that NOTHING of this kind remains in your mind.[143]
注の内容が間違っている。[143]The Urtext manuscript has “minds” but the Notes has “minds.” これではM と N に違いがないことになる。M: mind、 N: minds

T 3 E 1.  ... On Thurs. morning, the prayer for the miracle occurred as follows stated above.)
T 3 E 1.  ... On Thurs. morning, the prayer for the miracle occurred as follows stated above.)
follows は M では横線で消されている。該当箇所のノートを見ると次のようになっていて、もともとこれだけの文章だった。The prayer for the miracle is “Lord Jesus, help me see Bill as he really is, and thus release both him and me.”

T 3 G 9.  ... The clearest implications of relativity, which ...
T 3 G 9.  ... The clearcut implications of relativity, which ...
M: clearcut  転写ミス。

T 3 G 10. ... Essentially, a prayer for forgiveness is nothing more than a request that we may be able to recognize something we already have.
T 3 G 10. ... Essentially, a prayer for forgiveness is nothing more than a request that we may be able to RECOGNIZE something we already have.
M では recognize に下線が引かれて強調されているところが抜けている。Urtext Manuscript では強調は大文字で示されているが、小文字の下に下線を引いて強調している部分もある。この下線はリタイピング後にノートと比較してチェックし、見落としたところをノートと同様に下線で示したと思われる。

T 3 G 30.  ... The many times that he has commented on this event alone would suggest that the extreme importance of this misperception in his own distorted thinking.
M はthat を横棒で消している。that 以下名詞句で節になっていないのでthat を削除。

T 3 G 46.  ... B, this is not really open to question.
T 3 G 46.  ... B. , this is not really open to question.
M の通りにピリオド追加する。ピリオドの抜けた表現も他にあるのでこだわる必要はないが、とりあえずここはM に従うことにする。

T 3 H 16.  It is ESSENTIAL that this whole authority problem be voluntarily dismissed at once and for all before B’s course.
M 、N 共に at なし。at を削除。 [once and for all きっぱりと]

T 3 H 16. ...  (This is not a judgment. It is merely a fact. (No, Helen, you SHOULD use ... and your thinking is inverted because of it.)
T 3 H 16. ...  (This is not a judgment. It is merely a fact. (No, Helen, you SHOULD use ... and your thinking is inverted because of it.))
M にある最後の閉じ括弧(最初の括弧に対応する)が脱落しているので追加する。

T 3 I 2.  ... and will be unable to escape from the prisons you have (made) created for yourselves. (The use of creative here was an error. You should have said made for yourself.)
T 3 I 2.  ... and will be unable to escape from the prisons you have created (made) for yourselves. (The use of “created” here was an error. You should have said made for yourself.)
created の修正として created の上に括弧書きで(made)とされている。訂正が訂正されるものに先立つと意味が分かりにくいので順序を入れ替える。後ろの括弧内はその前の文章のcreated を made に直すという指示。creative では繋がらない。もとの文章がおかしいのはそのままにしておくのも一つの考えであるが... ちなみにノートは簡潔に This was an error. You should have said “made”.

2009年11月2日月曜日

ヘレンの速記ノート ハイレゾ画像ファイルの抽出方法

Helen Schucman の速記ノートについてですが、The Scholar’s Toolbox の高解像度PDFから画像ファイルを抽出する方法について書いてみます。必要なファイルはDVD版The Scholar’s Toolbox のPDF BINDERS フォルダの中に入っているファイルですが、最後にダウンロードできるURL を書いておきますので、必要な人はダウンロードして下さい。ソフトはAdobe Acrobat かPDF Explorer を使います。

以前Web に貼り付けようとして抽出したとき、鮮明度の落ちた画像が出てきて、圧縮率の高い画像が使われていると思い込んでしまいました。でもそれは錯覚で、抽出時のオプションで劣化していない画像を抽出することが出来ます。早く気づいていればハイレゾの画像ファイルを送ってくれるようにお願いしなくても良かったのですが。

まずAcrobat のメニュー「ファイル(F)」を開きます。次に「書き出し(T)」で「画像(I)」、「JPG」の順にクリックします。ここで「設定(E)」でオプションを設定します。デフォルトだと「ファイル設定」が「JPEG(中)」になっているはずです。ここを「JPEG(最高)」にします。OK をクリックして戻り、「保存(S)」をクリックすれば1頁ごとにJPG ファイルが抽出されます。

画像ファイルの抽出オプションが有効になるのは画像ファイルにテキストが追加されたPDF の場合で、テキストもグラフィック・データとして付加した画像ファイルを再構成するときにこのオプションが影響するようです。

速記ノートのPDF の場合テキストとしてヘッダ・フッタ、ラインナンバー、リファレンス用のパラグラフ番号が追加されているのでこのオプションが影響してきます。これらのテキスト情報を削除すれば手を加えていない画像ファイルを得ることが出来ます。

ヘッダー・フッターは「文書(D)」→「ヘッダとフッタ(H)」→「削除(R)」で削除。
ラインナンバーは「透かし(W)」→「削除(R)」。
パラグラフ番号は注釈で入力されているので「注釈(C)」→「注釈を表示(V)」→「すべての注釈を非表示(H)」で表示されなくなります。この状態で画像の抽出を実行すればオリジナルの画像ファイルが出てきます。

次にPDF Explorer を用いたやり方です。下記のところで紹介されています。
http://makotowatana.ld.infoseek.co.jp/pdf.html#PDFExplorer

操作はメニューのファイルから直接PDF を開くことが出来ないのが分かりにくいですが、右下のディスク・ツリーで見たいフォルダを指定すればOKです。目的のファイルのチェックボックスにチェックを入れてウィンドの下にあるバッチ・ツールの画像抽出を選択します。これは追加されたテキスト情報は関係なしに画像情報だけ抽出できるようです。抽出時に何故か1頁目が最後になります。

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ヘレンのノートの高解像度PDFのダウンロード先は下のURL に続けてファイル名を付け足してやります。
http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/PDF BINDERS/

ファイルはVol3 からvol17 まであって、vol3 とvol13から17まではそのまま vol3.pdf というファイル名になっています。vol4から12まではリファレンス用の注釈が入っているファイルでvol4_line_numbers_enabled.pdf(アンダーバーは半角スペースに置き換えて下さい)の様になっています。

各Volume の内容は以下の通りです。
Vol.3 Poems; Use of Terms; Prayer; Special Messages; Preface; Pschotherapy
Vol.4-12 Text
Vol.13-17 Workbook
Vol.17 P. 83- Manual

2009年11月1日日曜日

ACIM High Resolution Notes facsimile manuscript images

ヘレン・シャクマンの速記ノート(e-textになってない方)をネット上で探すと二つ見つかります。

一つはDoug Thompson の The Scholar's Toolbox のPrimary Source library の中にあるPDF ファイル。解像度は低めですが、Text には Urtext と相互参照できるように、対応するUrtext の参照コードが付け加えられています。

もう一つはMiracles Center US のJesus' Course in Miracles にあるUr-Handscript.pdf かur-handscript のリンクにある 25rkzm.pdf です。こちらは解像度は高いですが、PDF に入っている画像がモノクロ2値(ドットが白か黒のみで構成されている)になっているので濃淡が分かりません。

それで高解像度でカラーのものが欲しくて、 High Resolution Notes facsimile manuscript images について問い合わせのメールをしてみました。そうするとDVD版のThe Scholar's Toolbox の PDF BINDERS フォルダの中に入っているノートの巻数ごとにまとめられているPDF とほとんど同様のものであるということでした。それでも入用であれば送ってくれるということなのでお願いしました。

すでにDVD版のThe Scholar's Toolbox は持っているので実質的にはオリジナルのJPG データを手にしてもメリットは無いと思いますがコレクターの心境です。

DVD版のPDFには一部検索しやすいようにラインナンバーと対応するUrtext のパラグラフ番号が記入されていますが、Text 部分全体に検索用のデータを追加した新しいノートPDFファイルをWeb 上にUPしたということでUrl を教えていただきました。まだリンクが張られていないので知らない人からは見えませんが近いうちに公開されると思います。

このノートのPDF の便利な利用法をついでに教えてもらいました。私は今までノートを調べたいときには、PDFについている栞からだいたい目的の頁に近いところにジャンプして、そこから目でPDF に記されているパラグラフ番号を探していました。
けれども検索を使うと一発で目標のところにジャンプできるんですね。画像がもとになっているPDF ファイルなので検索を使うということを思いつきませんでした。例えば検索欄に「3 b 4」と入力すれば、3 B 4、13 B 4、23 B 4 がヒットします。この技はWeb にあるノートfacsimile のpdf にも使えるます。

ついでにテキストの誤植や、Notes の e-text で一人称がアンダーラインで強調されている部分が大文字の強調に変えられて見えなくなっていることなどを知らせたら、私の変な英文でも通じたらしく、一人称の強調の件については良いことを指摘してくれたといってくれました。

2009年10月28日水曜日

左右シングル引用符の入力方法

ACIM Urtext の編集をword上で進めていて困ったことに遭遇しました。

修正・加工するのは、Miracles Center.us で拾った URTEXTW6.doc (Urtext_Ready_to_Print.pdf とほぼ同内容) と、ACIM Scholar's Toolbox のHtml 版のテキストをWord にコピーして作ったdocファイル。Urtext のファクシミリ版pdf を見ながら、問題が生じたときはNotes のファクシミリ版pdf と e-text 版pdfをチェックして作業しています。

そうしている内にdocファイルの中に半角の ' と全角の‘’が混在しているのが気になり、整理しようとして嵌ってしまいました。

置換で変えようとして半角の ' アポストロフィ で検索すると、全角の左右のシングルクォーテーションにも一致してしまいます。あいまい検索をオフにしているのに…。

とりあえず虱潰しに検索して一々手入力していくことにして、imeで変換して確定すると、確定したとたん希望の英字フォントにならずに日本語のフォントになってしまいます。Word のフォントのオプションが日本語と英数字用で分かれていて、シングルクォーテーションは全角扱いのようで、入力すると強制的に日本語フォントになる!確定後にまたフォントを変えてやらないと見栄えが悪くなるので、ime なしで入力する方法を調べてみるのですが、なかなか思ったようなものが見つかりません。英数文字しか入力しないのにimeを通すのは鬱陶しく、英米の人はimeを使ってないはずと思うのですが?

いろいろ調べた結果こうなりました。

まずWordの検索ですがunicode やansi のコードで指定するといいようです。 unicode 文字は^unnnn (nnnn は文字コード)で、ANSI 文字は^nnnで検索できます。ヘルプには^Uと大文字で書いてありますが、その通りにすると検索できません。コードの数値も指示がありませんでしたがunicodeもANSIも10進数で入力する必要があります。

シングルクォーテーション入力法
IMEを通さないで入力するのはキーボードのレイアウトファイルを変更することで出来ます。コントロールパネル「地域と言語のオプション」の入力言語のキーボードレイアウト/入力システムで「米国-インターナショナル」を選択します。これで言語バーで入力言語をENに切り替えるだけで入力できます。キーレイアウトはここを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:KB_US-International.svg
私はUSキーボードを使っているので、JISキーボードだと問題が生じるかも知れませんが、右Alt との組み合わせでいろいろ入力できるようになります。

スペイン語みたいに逆さまの!マーク ¡¿ を頻繁に打つ必要のある人は知っているのでしょうけど、調べるのに時間がかかりました。その後Microsoft Keyboard Layout Creator でキーボードレイアウトをカスタマイズし、ダブル引用符もIME無しで入力できるようにして使うことに落ち着きましたが、ここまで来るのに疲れ果てました。

2009年10月27日火曜日

Urtext errata - Text Chapter 1・2 追加

T 1 B 22e.       Corrections Re Pt. 21 cobwebs of iron. This is upside down as stated.
T 1 B 22e.       Corrections Re Pt. 21 about “cobwebs of iron. This is upside down as stated.
(This の前の引用符に対応する右ダブル引用符が後ろを探しても無い。N を見ると引用符で囲まれているのは cobwebs of iron であったので、N に近づける形で修正する。N: Correct the point about “cobwebs of iron.” That one is upside down as stated.)

T 2 B 12.         2.  In this context, your remark that after the burning, I swore if I ever saw him again, ...... recognize him.
T 2 B 12.         2.  In this context, your remark that after the burning, I swore if I ever saw him again, ...... recognize him.
(after の前の引用符に対応する右ダブル引用符がない。N にしたがって him. の後に補う。)

T 2 B 51.         ...she was told, don't worry about the notes. They are right, but YOU are not sufficiently Right-Minded yet to write about the Atonement with comfort. You will write about it yet with joy. )
T 2 B 51.         ...she was told, don't worry about the notes. They are right, but YOU are not sufficiently Right-Minded yet to write about the Atonement with comfort. You will write about it yet with joy.)
(対応する ” 挿入)

T 2 B 56.         This morning we reviewed the whole episode. He said he was VERY pleased at the COMPARATIVE lack of fear ...
T 2 B 56.         This morning we reviewed the whole episode. He said he was VERY pleased at the COMPARATIVE lack of fear ...
(対応する ” がないので削除。Mの原稿の汚れに見える。 N にもない)

T 2 B 58.         ...'Hold fast', and please do so.”
T 2 B 58.         ...'Hold fast', and please do so.” )
(T 2 B 55. の最初の括弧に対応する?閉じ括弧。M にあり。)

Urtext errata - Text Chapter 2

引き続き正誤表です。2章は少ないのでどうでも良いような大文字と小文字の使い分けなどもあげてみました。これはもちろん個人の趣味の問題で、これでなければ間違っているわけではありません。

今速記ノートのe-text化・校訂作業が進んでいるようですが、その注でUrtext とNotes でのcapitalization や単語の選択(But とYet など)の違いに言及している箇所が、実は両者に違いが無く、違いがあるように見えたのは校訂が完了したはずのUrtext の中にHLC の表現が紛れ込んでいたためであるのを見かけました。もとが間違っていると建設的な考察のつもりが空振りしてしまいます。

T 2 B 43.         ...Many Souls offered their efforts on behalf of the Separated Ones but they could not withstand ...
T 2 B 43.         ...Many Souls offered their efforts on behalf of the Separated ones but they could not withstand ...
(M: Ones but  / N: ones. But  とりあえず capitalization のみN に従う。気になったのは同じパラグラフに Separated one という表記があるため)

T 2 B 45.         ...Learning, itself, like the classrooms in which it occurs, is temporary.
T 2 B 45.         ...Learning itself, like the classrooms in which it occurs, is temporary.
(M・N 両者とも  Learning itself, ...  転写ミス)

T 2 B 49.         (Note to HS: The reason this is upsetting to you is because the Atonement is a TOTAL commitment.
T 2 B 49.         (Note to HS: The reason this is upsetting you is because the Atonement is a TOTAL commitment.
(M、N 共にtoなし、表現としてはどちらも可能だが、M・N に合わせることにする。)

T 2 B 51.         (The above notes were taken with great difficulty by HS, and constitute the only series this far that were ...
T 2 B 51.         (The above notes were taken with great difficulty by HS, and constitute the only series thus far that were ...
(N は存在しない。リタイピング時のコメントの部分。M では thus。転写ミス)

T 2 B 61.         In the re-interpretation of defenses, they are...
T 2 B 61.         In the reinterpretation of defenses, they are...
(M の表記は reinterpretation)

T 2 C 15.        We said in a previous section that the miracle is an expression of miracle-Mindedness. Miracle-Mindedness ...
T 2 C 15.        We said in a previous section that the miracle is an expression of Miracle-Mindedness. Miracle-Mindedness ...
(M: miracle-Mindedness N はこの部分欠如。直後の表記に合わせる)

T 2 C 16.        ...and has literally upset it. (i.e. turned it upside down).
T 2 C 16.        ...and has literally upset it (i.e., turned it upside down).
(M の通り、ピリオドを削除、コンマを追加)

T 2 E 34.         ...but by re-interpreting it instead of redistributing it.
T 2 E 34.         ...but by reinterpreting it instead of redistributing it.
(M の表記に合わせる)

T 2 E 55.         ...But there are some additional awarenesses which might be helpful.
T 2 E 55.         ...But there are some additional awareness which might be helpful.
(M: some additional awarenesses / some+【C】名詞複数形;~+【U】名詞 awareness n [U] 、非可算なので複数語尾をとる。)

T 2 F 1.           ...because they MUST emerge from basic conflict it they are to bring peace to the minds of others.
T 2 F 1.           ...because they MUST emerge from basic conflict if they are to bring peace to the minds of others.
( 2001年のReady_to_Print_Book.pdf 以来のミスタイプ。M は if )

2009年10月26日月曜日

Urtext errata - Text Chapter 1

A Course in Miracles 7vol Manuscript のText Chapter 1 をチェックして校訂のまねごとをしてみました。 最初は ASIDE(リタイピング時のコメントなどの挿話の表示)の後ピリオドになっているのをコロンに統一するとか細かく見ていきましたが、あまり重要でないので、そういうのは省いています。

きちっと自分の目で確かめようというきっかけは、Doug Thompson の校訂版がWeb で公開されるたびに、何処が変わったのかチェックしていたのですが、意外に問題となる点が多いのに気づいたからです。FIP版やHLCと共通する部分にUrtext でなく後に編集された版の痕跡が残っていたり、2001年に出た最初のUrtext のe-text の“ACIM_Urtext_Ready_to_Print_Book.pdf” の誤植がそのまま残っていたりすることがあるようです。辞書の世界にも昔の辞書の間違えが延々と後続の辞書に引き継がれていくことがありますが、ACIM にも「親亀こけたら皆こけた」ということがあるようです。

元データはHTML compilation version BETA 101009 H です。コピーしてWordのスペルチェック・文章校正を参考にしながら、Urtext のマニュスクリプト(タイプ原稿画像のpdf)、やヘレンの速記ノートを参照しました。M はマニュスクリプト、N はノートの略号としました。上がもとの文章で下が修正後です。変えたところのフォントの色を変えています。html版で出版された本の誤植が一箇所訂正されているようで下の of が追加されています。タイプ原稿にあるのにe-text化の時に失われたところです。
T 1 B 41h. The real meaning of “are of one kind” is “of one mind or will.”
それ以外にまだ下記の誤植があるようです。

T 1 B 3b.         This explains the first point related to ...
T 1 B 3b.         a. This explains the first point related to ...
(パラグラフ番号がもともと3aにしたところを、後に3bに改めているが、その際もとの番号と一致しなくなったのに番号が消えたところです。統一したパラグラフ番号を追加してあるので不要という考え方で修正不要かも知れません)

T 1 B 3c.         This is why the “thing in itself”[1] does not...
T 1 B 3c.         b. This is why the “thing in itself”[1] does not...
(同上)

T 1 B 24e.   ... Miracles come from the (below conscious) (subconscious) level.
T 1 B 24e.   ... Miracles come from the below conscious (subconscious) level.
((below conscious) の括弧を取る。Nから subconsciousの方を挿入と判断する。次の文にもきれいに対応する。Revelations come from the above conscious level.)

T 1 B 24g.       ...If you will look back at the description of the EFFECTS of Revelation you will see that there ARE some similarities[37] in the experiential results but hardly in the content.
T 1 B 24g.       ...If you will look back at the description of the EFFECTS of Revelation, you will see that there ARE some similarities[37] in the experiential results but hardly in the content.
(注の37でM に脱落した部分をノートから補ったとあり、その部分をBoldにして示したとあるが、フォントの書式が変わっていないため修正する。N をみると補った部分の頭にコンマが欠けていたので挿入する。)

T 1 B 30d.       Contradictions in MY word mean lack of ...
T 1 B 30d.       Contradictions in MY words mean lack of ...
(M にwords とある。写し間違い。)

T 1 B 30y.       You were created ABOVE the angels because
T 1 B 30y.       You were created above the angels because
(M にabout を消して、ABOVE と書かれているが、訂正の強調のため、語句自体の強調でない。N にも強調のアンダーラインが無いので小文字にする)

T 1 B 36t.       ...and afterwards merely added “and its true, too.”
T 1 B 36t.       ...and afterwards merely added “and its true, too.”
(Mはits、Nはits Nを採用。)

T 1 B 37i.       ...This is an example of the “indiscriminant or uncontrolled”
T 1 B 37i.       ...This is an example of the “indiscriminate or uncontrolled”
(M: indiscrimate=(misspelling)、N: indiscrim、ミススペリング
"indiscriminant" common misspelling of "indiscriminate")

T 1 B 37p.       Indiscriminant sexual impulses resemble indiscriminant miracle impulses in that both result in body image misperceptions. The first is an expression of an indiscriminant attempt...
T 1 B 37p.       Indiscriminate sexual impulses resemble indiscriminate miracle impulses in that both result in body image misperceptions. The first is an expression of an indiscriminate attempt...
(同上、上から順番にMの表記はindiscriminate, indiscrimate, indiscriminate で正誤混在。N の表記は indiscrim.)

T 1 B 37y.       ...Its a funny story to others, because they see
T 1 B 37y.       ...its a funny story to others, because they see
(M はits、N は it’s)

T 1 B 37ae.     ...its just better written.
T 1 B 37ae.     ...its just better written.
(M はits、この部分はノートにないが、it’sに変更)

T 1 B 40u.      ...ANSWER: Its hard to forget, though.
T 1 B 40u.      ... ANSWER: It’s hard to forget, though.
(M: Its、N: It’s、N に従う)

T 1 B 40z.      ...Elder Brother[80] to man, on the one hand, and a Son of God
T 1 B 40z.      ...Elder Brother[80] to man on the one hand, and a Son of God
(Mに手書きされた指示に従いコンマを削除、ノートにも無し)

T 1 C 18.        This in NOT what the Bible means by...
T 1 C 18.        This is NOT what the Bible means by...
(M: is “ACIM_Urtext_Ready_to_Print_Book” 以来の転写ミス)

T 1 C 25.        particularly the horse-racing addict. Here, the conflicted drive is displaced both from people AND things, and is invested in animals. The implied DEROGATION of people is the cause of the underlying EXTREME superstition of the horse racing addict.  Here, the conflicted drive is displaced both from people AND things, and is invested in animals.
(ブルーの部分が最後に重複している。最後のセンテンスを削除する)

2009年10月25日日曜日

ヘレンとアトランチス ACIM Urtext 拾い読み

Urtext 見てたらアトランチスが出てきました。T 1 B 41aa. より

Your earlier acute problem in writing things down came from
a MUCH earlier misuse of very great scribal abilities.
These were turned to secret rather than shared advantage,
depriving it (?) of its miraculous potential, and diverting it into possession.
This is much like the confusion of sex impulses with possession-impulses.
Some of the original material is still in the Temple.
This is why you became so afraid about Atlantis.

あなたの初期の[若いときの?]ひどい問題(物事を書き留めることに関する)は
非常に偉大な筆記能力のきわめて初期の誤用に由来したものだ。
これら(筆記能力)は公共の利益よりも秘められた事柄に向けられて、
それ(公共の利益?)からその奇跡的な力を奪ってそれを所有へとそらした。
これは性衝動を所有衝動と混同することによく似ている。
オリジナルの素材のいくつかは未だに神殿の中にある。
あなたがアトランチスについて強い恐れを抱くようになったのはこれが原因だ。

(?)はitをabilityとするとabilitiesと数が一致しないから入っているらしい。shared advantage をさすと考えれば文法的には問題ないがどうでしょう?
そうすると miraculous potential は great scribal abilities の言い換えとなるでしょうか。

2009年10月20日火曜日

ヘレンの速記ノートから分かること

ACIM の各バージョンを比較しているといろんな発見があります。Workbook に打ち込んで内面的な発見があればいいのですが、どうも気がつくのは些細なことばかりです。

ヘレンの速記ノートとUrtext を比べていると、強調点が不注意によって消えたり、強調する場所が変わっていることがあるのに気がつきます。特にノートからUrtext の段階で誤りが生じた場合は「親亀こけたら皆こけた」でミスがそのまま後のヴァージョンに引き継がれてどんどん分からなくなっていくようです。

T 1 B 9. Miracles are a kind of exchange. Like all expressions of love, which are ALWAYS miraculous in the true sense, the exchange reverses the physical laws.

T 1 B 10. A miracle is a reversal of the physical order because it brings more love to the giver and the receiver. 「奇跡は物理的秩序をひっくり返す。なぜならそれは与える者受取る者により大きな愛をもたらすからである。」

Miracles are a kind of exchange. Like all expressions of love, which are ALWAYS miraculous in the true sense, the exchange reverses the physical laws. They bring MORE love both to the giver AND the receiver. (HLC)

T-1.I.9. Miracles are a kind of exchange. 2 Like all expressions of love, which are always miraculous in the true sense, the exchange reverses the physical laws. 3 They bring more love both to the giver and the receiver. (FIP2nd)

T 1 B 9 と T 1 B 10 の二つを一つにしてHLC の形になり、一つの強調点を失ってFIP版になっています。速記ノートでは強調はアンダーラインで示されており、Urtext ではそれを大文字でタイピングして写しています。小文字のand の下のアンダーラインは手書きで入っており、おそらく読み返してチェックしたときに見落とした強調を書き加えられたものでしょう。ノートと比較してみると見落とされてそのまま失われてしまった強調も結構あります。

HLC では同じく大文字で強調を示しており、FIP ではイタリック体で示しています。ここで注目していただきたいのはAND の強調なのですがどういう意味なのか分かるでしょうか?何かすっきりしない感じがしないでしょうか?それではノートを見てみましょう。T 1 B 9. は強調点がアンダーラインで示されている以外Urtext と変わりません。

T 1 B 10. A miracle is a reversal of the physical order because it brings more love to the giver and the receiver.

ノートでは強調点が giver になっています。これなら分かります。物理的な法則では与える者は与えることによって失います。しかし愛の表現である奇跡は与えることによって失われるのではなく増し加えられるのです。逆さまというのはここですね。強調点が両者の関係にあるなら、与えた方が得て受け取った方が失うことにならないと、法則がひっくり返ったことになりません。そう考えるとHLCはさらに both を付け加えることにより強調の焦点を分からなくしています。AND に強調があるのでつい both を挿入してしまったのでしょう。

ACIM の単語の強調の仕方は正直言ってニュアンスがよく分からないことが多いですが、単なる写し間違えが原因の場合もあるようです。

最初 Doug Thompson はノートのアンダーラインの強調をそのまま小文字にアンダーラインで転写していましたが、後にUrtext と同じように大文字で転写したテキストで発表するようになりました。どこか校訂の過程で変わったことがないか比較していたら、一人称の I のアンダーラインの強調が見えなくなっているところがありました。

ノートで you と I が強調されている文章があります。最初の転写では両者ともアンダーラインがあるので強調されているのが分かるのですが、強調を大文字にすると you は YOU で分かりますが I は I のままでアンダーラインが消えるため強調されているのかいないのか、見分けがつかなくなってしまったのでした。これでは せっかくのe-text が出来ても確認のためにまた速記ノートを見なければなりません。強調一つとっても、そのやり方を変えるだけで失われるものがあるということでした。

2009年10月19日月曜日

ACIM Scholar's Toolbox の相互参照の仕方について

Doug Thompson のScholar's Toolbox を使ってどうやって相互参照できるか簡単な実例をあげてみます。online 版はここです。http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/2008/index.htm

ほとんどの機能はオンライン上で仕えるようになっています。DVD版は$24で手に入れることができますが、ファイルはWeb上で更新されていることがあるので、時々チェックして新しいのが出ているのに気づいたら差し替えると良いでしょう。但しファイル名は変わらないので、PDFであればプロパティで更新日時を確認する必要があります。HTMLファイルなどはそのやり方ができないのでちょっとやっかいですが、バージョン番号が記されていたらそれを参照するか、エディタで差分を確認すればいいでしょう。

気になる箇所を各バージョン間で比較するのに便利なように、参照用の番号が振ってあるのでまずその Referencing System を理解しなければなりません。最初にVolume がアルファベット一字で示されています。Text は T、Workbook はW で同様に、M・U・T・S・G が用いられます。次にText であれば章が数字で表され、セクションはアルファベットでA・B・C…と示され、パラグラフは数字で示され、センテンスは番号がありません。

The Urtext Manuscripts in Seven Volumes (e-text) のText部分を例にすると本文自体はT 14 B 12 の様に示されています。この箇所を実際のタイプ原稿で確認するには本文の中に埋め込まれている太字の頁番号を参照します。今のT 14 B 12であれば段落の最後に T(544)-371- と太字で示されているのが原稿の頁番号で、これ以降が T(544)-371- になります。ということはその前の T(543)-370-T 14 B 12 の頁番号になります。T(543) というのは原稿に振った絶対番号です。元々の原稿にも頁番号が振ってありますが番号が抜けたり、途中から新しく番号が始まったりするので参照用に新たに付けられたもので、この番号で原稿のPDFファイル(Urtext Manuscript facsimiles)を開くことができます。- で挟まれている番号はオリジナルの原稿字体についている番号です。オリジナルの頁番号なので必ずしも連番にはなっていない場合もあります。中には頭にアルファベットの C ではじまる番号がありますがこれはオリジナルに書き込まれた頁番号が円で囲まれていることを示しています。まだ書籍化された本文やe-text に誤植や脱落のある可能性があるので疑問があればこの頁番号を参照してfacsimile の PDF を見ることになります。

Urtext に問題があればヘレンの速記ノートを参照することになりますが、そのための番号は章やセクションのタイトルの横に示されています。T 14 B 12 であれば T 14 B のタイトル Guilt and Guiltlessness の横に(Notes 1198 9:35) とあります。最初の1198がノートの通し番号で9:35とあるのはノートのVol.9の35頁ということを示しています。これを手がかりに Shorthand Notes manuscript facsimile 1 1a Text - NOTES v2.pdf か E-text 1b TEXT NOTES E-TEXT ch 1 2 31.pdf を開きます。facsimile 版のPDF は2頁分の画像が1頁に編集されてあるので599頁を見れば T 14 B の冒頭部分が現れるのでそこから目的の段落まで追ってゆきます。E-text 版はPDFのしおりから見てゆくのが良いでしょう。Web上で利用できるノートの facsimile 版 PDF は画像が圧縮されて細かいところが確認できません。高解像度版のPDFを利用したければ、Scholar's Toolbox のDVD を購入すればそのルートディレクトリの \The Book menu_files\PDF BINDERS フォルダの中にVolume ごとの高解像度PDFが入っているので利用することもできます。(DVDのメニュー上からはリンクが間違って切れています。無圧縮のオリジナル・イメージファイルではありませんがこれでたいていのことは確認できると思います。)

structure の意味について

ACIM のワークブックをやると最初はかなり自由にできるのですが、途中からかなり時間の間隔などの取り決めがされて、負担がかかる訓練になってきます。

その始まりはLesson20で "This is our first attempt to introduce structure." とあります。

それで、"structure" を日本語にすると何になるだろうと考えるとなかなかいい訳語がないんですね。用例と田中訳を見てみましょう。

W 20 L 2. This is our first attempt to introduce structure. Do not misconstrue it as an effort to exert force or pressure. You want salvation. You want to be happy. You want peace. You do not have them now because your minds are totally undisciplined, and you cannot distinguish between joy and sorrow, pleasure and pain, love and fear. You are now learning how to tell them apart. And great indeed will be your reward.

「これが、組織立ったやり方を導入する最初の試みである。それを、無理強いしたり圧力をかけたりしようとしているのだと誤解しないように。あなたは救いを望んでいる。 幸せになりたいと望んでいる。平安を望んでいる。今のところ、そうしたことは自分のものとはいえない、なぜならあなたの心は全く訓練されていないので、喜びと悲しみとか、楽しいことと苦しいこととか、愛と恐れとか、こうしたことの区別ができないからである。どうすればその違いが分かるか、いまからそれを習うところだ。そしてあなたが素晴らしいほうびを手に入れることは確実である。」

W 95 L 6. Structure, then, is necessary for you at this time, planned to include frequent reminders of your goal, and regular attempts to reach it.

「とすれば、この時点であなたに必要なのは、自分の目標をたびたび思いだし、定期的にそれに達しようと試みることを組織立てて計画すること。」

W 95 L 7. Using the first five minutes of the hour will be particularly helpful, since it imposes firmer structure.

「一時間の 最初の五分間を使うことは特に助けになる、そうすることでより確実に時計の長針が十二を指すたびにするだろうから。」

なかなか上手に訳してありますが、これを見ると structure は組織だったエクササイズのやり方であると同時に、それによって身につくものという側面(W95L7の用例より)もあるようです。それでその自分に身につく方の structure に良い訳語はないものかと思うのですがなかなか思いつきません。英英でみると system とか framework というのが近いでしょうか。ソフトを開発している知人は「構造体」と答えてくれましたがどうでしょう。何かしつけによって身につくもののような言葉が欲しいのですが…

ヘレンのノートを見ていたらACIMの口述が始まった最初の日にこのstructure が出てきて驚きました。

Please read these three points ((with corollaries)) as often as you can today, because there may be a quiz this evening. This is merely to introduce structure, if it is needed. It is NOT to frighten you.

「この三つの点を((推論しながら))今日できるだけ読みなさい。というのも今晩小テストがあるだろうから。必要であるなら、これは単に structure の導入にすぎない。あなたを脅しているのでは無い。」

この三つの点というのは奇跡の原理の1~3のことです。小テストというのはユーモアでしょうか。

Longman Advanced American Dictionary の用例を見ているとこれなんかニュアンスが良く出ていると思います。

4 [C, U] the condition of having ideas, activities etc. organized and planned ◇As I was growing up, Mom gave me structure and sense of responsibility. 成長するにしたがってママは私に structure と責任感を与えてくれた。

インターネットで検索しているとまさにここのところを解説しているところがありました。大学の先生が難しいというのだから私も安心して難しいと言うことにしましょう。下に引用しておきます。

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http://www.asahi.com/english/weekly/1111/05.html

Q&A 英語の質問箱

東洋大学教授 赤須薫

Q:5月27日号のAnnie's Mailbox「育児ストレス状態の母親」の第2段落、下から2行目にChildren need structure and stability. という文がありますが、この中のstructureとはどういう意味ですか。

A:Longman Advanced American Dictionary(日本語のタイトルは『ロングマン現代アメリカ英語辞典』)という辞書を見ますと、structureという見出し語の4番目の語義に次のような定義が出ています:the condition of having ideas, activities etc. organized and planned. これが一番近いのではないかと思います。この語義に出てくる用例はAs I was growing up, Mom gave me structure and a sense of responsibility.となっています。この用例のstructureは、問題の文に登場するstructureと同じ意味だと思います。

意味としては、「礼儀作法・常識などが身について、それらがうまく働くようになっている状態」を指していると思います。考えてみますと、ここでのstructureに当たる適当な日本語をうまく見つけるのが結構難しいような気がしました。

ひとつの候補として、「しつけ」というのがあるかもしれません。ただし、ひとつ注意したいのは、「しつけること」を指すのではなく、「しつけなどによって、結果として生じる(望ましい)状態」を指しているということです。「あの子はしつけがなっていない」などと日本語で言いますが、そのような場合に使われる「しつけ」に大体相当するような気がします。

ちなみに、Children need structure. という表現は「子育て」およびその関連の本などによく登場する表現です。

ヘレンの速記ノートのe-text版(Text部分)が発表される!!

A Course in Miracles のText の部分のe-text版PDFが発表されました。これまでは1~8章と31章の部分だけしかe-textになっていませんでしたが、これでヘレンのノートもかなり簡単に利用できるようになります。

URLは下記のDoug Thompson の Scholar's Toolbox の中です。

http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/2008/TOOLBOX/Menus/topmenu2.htm

Now Available!! (9th October 2009) the searchable TRANSCRIPT of Text volume of the Shorthand Notes (first draft for proofing)

click here for the PDF file (10 Mb)

(first draft for proofing) とあるので完全な校訂版へのたたき台という位置づけです。ノートでは強調はアンダーラインで示されていますがその部分は大文字にされています。Urtext にある箇所は普通の活字体で、Urtext に採用されていない箇所は太字 Bold で示されています。判読できない字は?になっています。

これまでノートは気になる部分を部分的に見ていましたが少し頭から読んでみて面白いことに気づきました。

text の冒頭のまるで格言のように格調高いイントロダクションの部分ですが、最初からこんなに整えられていたわけではなくて、声(イエス)とヘレンの対話を抜粋して構成されているのです。

ノートのテキスト部分は1965/10/21の「あなたは自分の手を通して私による奇跡を見るだろう」 "You will see miracles through your hands through Me." で始まり、すぐ奇跡の原則1が続きます。そして間に奇跡の原則の解説などを挟みながら、奇跡の原理の口述が続きます。そしてまるでイエスとヘレンが対話するかのように冒頭の一節の元になった部分が口述されています。

ビルはこのコースをやりたいと思わないだろうし、自分もやるのはどうもという感想の後で、「ともかく、どうもこのコースは選択科目のようだわ」"Anyway, presumably this Course is an elective." というヘレンに対する答えがその部分になっています。

NO IT ISN’T. It’s a definite REQUIREMENT. Only the time you take it is voluntary. Free will does NOT mean you establish the curriculum. It only means you elect what to take WHEN.

「それは違う。これは要求されるものとして確定している。それを取る時間だけが自由にできる。自由意志はカリキュラムの制定にはふくまれない。それが意味するのはあなたの取るべき時を選択することだけである。」

最後の "It only means you elect what to take WHEN." は文章として難解ですが、HLC は "It means only that you may elect what you want to take at a given time." に、FIPは "It means only that you can elect what you want to take at a given time." に書き換えています。これだと与えられた時間のなかで取るものを選択できることになるのですが、それでは取るものとは何か腑に落ちませんでした。

ノートに遡ると "at a given time" がもともと "WHEN" であって、それをパラフレーズしたものであることが分かります。 "what to take WHEN" では読めませんのでシェークスピア期の英語の分かる人に聞いてみたいところですが、「どれを取るかというその時」と解釈して上のように訳してみました。 "Only the time you take" と take の用法も一致しますし、意味的にも素直に理解できると思います。 ヘレンがコースを選択科目のように取るのも、取らないのも自由だという考えに傾いたときのイエスの答えとしてふさわしいのではないでしょうか?

2009年9月29日火曜日

Helen Schucman 速記記号一覧表


どこかで見たはずだと探してみましたが、見つけ出すのに苦労しました。
また忘れることのないようにここに置いておきます。
もともと下の Helen’s Shorthand Glyph Chart ところにありました。
http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/2008/TOOLBOX/Menus/The%20Scholar%20docsmenu1.htm

The Annotated HLC


Miracles in Action Press のA Course in Miracles The Hugh Lynn Cayce Manuscript の 2nd Edition を入手しました。1st Edition の Corrected HLC に対して Annotated HLC と呼ばれています。PDF の e-text も公開されています。

http://www.miraclesinactionpress.com/dthomp74/2008/index.htm

ここの "5) The Annotated HLC (e-text)" のところです。

印刷された本は2段組、PDFの方は1段組ですが、内容は同じです。Corrected HLC から変わっているところは、校訂するときにヘレンの速記ノートを参照していることで、注などにそれが反映されています。例えば第6章の冒頭ですがHLCのタイプ原稿は次のようになっています。

Anger cannot occur unless you believe that you have been attacked; that your attack was justified; and that YOU are in no way responsible.

FIP版は次の通りです。

Anger cannot occur unless you believe that you have been attacked, that your attack is justified in return, and that you are in no way responsible for it.

Corrected HLC の注を見るとこうなっています。

Ur uses commas instead of the semicolons (correctly in our view, as does FIP) but is otherwise the same as the HLC manuscript.
The problem of course is that we don’t get angry when we believe we have been attacked AND that the attack on us was justified! We get angry when we feel we have been UNJUSTLY attacked. We could just change “justified” (capitalized in the Ur) to “unjustified” and largely solve the problem. FIP’s solution, to change this sentence to refer to a counter-attack corrects the
obvious ill-logic but at the expense of the probable meaning. The counterattack is referred to later in the paragraph as the logical consequence of these three premises. It makes no sense at all to have the logical conclusion as a premise. Further, in the original the “responsibility” relates to the attack, and after FIP’s modification, the responsibility shifts to the counter-attack.
We agree with FIP that there is a problem, but we do not agree with FIP’s resolution of it. It seems far more likely that “unjustified” was mistakenly turned to “justified” and what is “unjustified” of course is the “attack” one believes one has been subjected to by one's “attacker.”!
Since we don’t have access to the original Notes to check this, we have made our best guess, and have added a few letters in brackets to clarify what appears to us to be the intended meaning:

Corrected HLC では、オリジナルのセミコロンはFIPと同じくコンマに変更しています。しかし、より重要な問題は、攻撃されて、しかもその攻撃が正当であるとき、私たちは怒らないのではないかということです。この問題点を解決するためにFIP版は正当化されるのは攻撃した相手に対する反撃にしました。それに対して Corrected HLC は []内を追加して意味が通るようにしました。つまり怒りの生じる条件として「あなたの攻撃(your attack)が正当化されないとき」を「あなたを攻撃する人(your attacker)が正当化されないとき」として、以下のようにしました。ただしヘレンのノートがこの時点では利用できなかったので推測の立場を越えることができませんでした。

Anger cannot occur unless you believe that you have been attacked, that your attack[er] was [un]justified, and that YOU are in no way responsible.

Annotated HLC ではヘレンのノートを参照して問題点がより明確になっており、注で問題の部分がたどってきた変遷の過程が示されています。

Notes: the attack was unjust,
Ur: the attack was JUSTIFIED,
HLC: that your attack was justified;
FIP: that your attack is justified in return,

もともと攻撃に対して怒りが生起する条件についての話が、ノートからUrtext の段階で unjust が JUSTIFIED に、Urtext から HLC の段階で the attack が that your attack になり、ここで曖昧さが入り込んでしまいました。your attack 「あなたの攻撃」では攻撃の主体は「あなた」であると読めてしまいます。最後の段階でそれを明確にするために in return が追加され、攻撃の主体が you で、攻撃とは反撃のことになってしまいました。このように混乱の生じた経過が明らかになったので、Annotated HLC では、相手の攻撃であるのか、それともそれに対する自分の攻撃(反撃)であるのか、曖昧さの原因となった your attack を the attack に戻し、justified は (un)justified にして、論理的に一番整合性のあるノートに近づけて以下のように校訂されました。

Anger cannot occur unless you believe that you have been attacked, that the attack(er) was (un)justified, and that YOU are in no way responsible.

ヘレンの速記ノートを利用することによって一歩前進したと言えるでしょう。

2009年7月11日土曜日

ダンテス・ダイジ 俗名雨宮第二 「超宗派的瞑想」より

ダイジの本に出会ったのはまだ哲学科の院生のころ。
何度も読み返し表紙がぼろぼろになった。

 「この世に失明やつんぼの苦しみがあり、病や肉体的苦痛があるということは、五官からなるこの物質世界が、無明の世界・迷いの世界であることを示している。
 すべての肉体は老化し、死滅するということは、この肉体世界が、実在していないことを証している。
 この変転きわまりない不確かな物質的なこの世に不満も疑いも持たない人々にとって瞑想は不必要である。
 この世の不如意と不条理に嘆き、この世の中により素晴らしい不動の生活を実現しようと思うか、この世を越えたそれ以上の世界を切望する人々にのみ瞑想は、無限の力を発揮するのである。」

ここにも世界の非存在が出てきます。インドのベーダンタにもあるし、古代ギリシアのパルメニデスにもありますね。もちろんACIMにも… 何か共鳴していますね。

2009年7月10日金曜日

ACIM Workbook カード版













ワークブックに取り組んでいて今日の課題を暗記しておくのは意外に難しいですね。
かといってあの青い表紙の本をいつも携行するのも大変ですし。
それで最初に買ったのが下の写真の左側にあるUrtext版のワークブック。
これだとポケットにはどうにか入るけどはみ出してしまいます。
さりげなく携行するのにはこれでもちょっと大きい。
それで昨日届いたのがカード版ワークブック。
カードを積み重ねると高さ6.5cmくらい。カードケースが一つ入っていましたがカード全体を保管するカードボックスは付属していませんでした。テキストを見てみるとセクション・センテンス番号がついていないのでFIP版のFirst Editionをカードに印刷したものでした。2nd Editonが出たときの正誤表を参照する必要があります。大多数は小文字を大文字にするとかですが、中には一文まるまる欠けているところもあります。

正誤表 Errata for Second Edition Text
http://www.miraclescenter.us/complete_acim.htm

2009年6月29日月曜日

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 17/17

16. When we and the entire world have attained true perception, God Himself will take the final step and lift us home

16.1. Eventually, we will collectively devote ourselves to applying forgiveness and returning home.

次第に私たちは集合的に赦しを行って故郷に帰ることに自らを捧げるだろう。

16.2. The Second Coming of Christ is when the world collectively awakens to the Christ, the Self we share.

キリストの再来は世界[の人々]が集合的にキリスト、すなわち私たちが共有する自己に目覚めるときである。

16.3. The Last Judgment is a process by which we judge all past thoughts and retain only the pure.

最後の審判は、私たちがすべての過去の思いを審査して、純粋なもののみを保つ過程である。

16.4. When we are perfectly healed we are ready for God to take the final step. In that step we remember God and our true Identity.

私たちが完全に癒されるとき、神が最後の段階を取る準備が出来る。その段階で私たちは神と私たちの真の同一性を思い出す。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 16/17

15. With forgiveness as our practice, we journey toward the goal of true perception.

15.1. True perception is a different mode of perception which looks past bodies to the light of Christ in everyone and everything.

真の知覚は、身体を越えてすべての人やものごとの中にあるキリストの光の方に向くことである。

15.2. True perception looks on the real world, which is composed of the holiness in all minds and the loving thoughts in those minds.

真の知覚は真実の世界の上で見る。それはすべての心の神聖さとそれらの心の中にある愛する思いとからなる。

15.3. Looking with true perception on the real world is the happiest experience we can have here. It is the goal of the spiritual journey.

真実の世界の上で真の知覚で見ることは私たちがここで持つことの出来る最も幸福な経験である。それは精神的な旅の終着点である。

15.4. The spiritual journey is the gradual making of a single choice, which slowly restores us to our right mind.

精神的な旅とは徐々にただ一つの選択を行うことであり、それは私たちをゆっくりと正しい心へと復帰させる。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 15/17

14. Forgiveness also undoes the blocks that separate us from others, allowing us to experience the fact that we are one.

14.1. Forgiveness wipes away that which maintains our sense of separateness from others.

赦しは私たちの他者からの分離感を維持しているものをぬぐい去る。

14.2. Forgiveness looks past differences and reveals our underlying sameness.

赦しは相違を越えて見て、私たちの隠された同等性を明らかにする。

14.3. Forgiveness lifts us into holy encounters, in which two people set aside what separates them and experience salvation together.

赦しは私たちを聖なる邂逅へと高め、その中でふたりの人は彼らを分離しているものを無視して、共に救いを体験する。

14.4. The holy relationship is a gradual reversal of the special relationship, in which two people slowly realize their sameness.

聖なる関係は特別な関係の緩やかな反転であり、その中でふたりの人はゆっくりとお互いの同等性を理解する。

14.5. When two or more people join in a truly common goal, holiness enters the relationship at a deep level and makes it a holy relationship.

ふたりかそれ以上の人が本当に共通の目的で結びつくとき、神聖さが深いレベルでその関係の中に入り込み、それを聖なる関係にする。

14.6. The relationship will go on a journey, as the holiness that entered it slowly rises and transforms the relationship.

その関係は旅に出るだろう。その中に入った神聖さがゆっくりとその関係を高め転換させるので。

14.7. As the relationship's holiness rises to the surface, it will then reach out beyond the two people. They will be given a joint special function.

その関係の神聖さが表面化するとき、それはふたりの人を越えて拡がるだろう。彼らは一つに結びついた特別な機能・役目を与えられるだろう。

14.8. The journey to God is not a lonely journey. Through joining with others we discover our own wholeness and clear the way for uniting with God.

神への旅は孤独な旅ではない。他者と結びつくことによって、私たちは自分自身の全体性を発見し、神と一つになる準備をする。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 14/17

13. Extending forgiveness to others reveals to us that we too are forgiven. This becomes our one function.

13.1. Forgiveness releases us from our fixation on our separate self and allows our love to flow out to the world.

赦しは、私たちの分離した自己への固着から私たちを解放し、私たちの愛を世界にあふれさせる。

13.2. We first allow forgiving perception into our minds and then extend this perception to others.

私たちはまず第一に赦しの知覚が自らの心の中へ入るのを許し、その後この知覚を他者に拡張する。

13.3. Extending forgiveness to others heals them in mind and body.

他者へと拡張する赦しは彼らを心身ともに癒す。

13.4. Extending forgiveness to others is a psychological device for convincing us of our innocence.

他者へと拡張する赦しは私たちに自らの無垢を確信させる心理学的な手段である。

13.5. Extension will become our only function. The Holy Spirit will give us a special form of this called our special function.

拡張は私たちの唯一の役割となるだろう。聖霊は私たちに私たちの特別な役割と呼ばれるこの役割の特別な形式を与えてくれるだろう。

2009年6月26日金曜日

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 13/17

12. We heal our perception by forgiving the world for what it did not do.

12.1. Forgiveness is the answer to our separated condition.

赦しは私たちの分離状態に対する答えである。

12.2. Forgiveness is the Course's unique and original message, yet is also the heart of the Holy Spirit's message to humanity.

赦しはコースのユニークで独創的なメッセージであるが、それはまた聖霊の人類に対するメッセージの核心でもある。

12.3. Conventional forgiveness, in which we forgive another for his sin against us, is not real forgiveness.

私たちが自ら対する他人の罪を赦す従来の赦しは真の赦しではない。

12.4. Real forgiveness is a shift in perception, in which we let go of the perception that a sin occurred.

真の赦しは知覚の転換であって、罪が生じたという知覚を手放すものである。

12.5. The Course's thought system is one big rationale for the idea that sin is unreal and that forgiveness is justified.

コースの思惟体系は、罪は非実在的で、赦しが正当であるという考え方を支持するきわめて合理的なものである。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 12/17

11. Changing our minds means allowing the Holy Spirit to heal our perception.

11.1. To awaken in Heaven all we need is a change of perception.

天国で目覚めるために私たちがしなければならないのは知覚を変えることのみである。

11.2. Projection makes perception.

投影が知覚をつくる。

11.3. Step one: Identify the cause of your pain as your own perception, and bring this illusion to the light of truth.

第一段階:あなたの苦痛の原因があなた自身の知覚であることを同定しなさい。そしてこの錯覚を真理の光の下に置きなさい。

11.4. Step two: Let go of your perception; have a little willingness for the Holy Spirit to remove it and replace it with truth.

第二段階:知覚を手放しなさい。聖霊がそれを取り除き、真理に置き換えてくれることを少しでいいから意志しなさい。

11.5. Step three: The Holy Spirit will replace your perception with His; He will give your mind a miracle.

第三段階:聖霊はあなたの知覚を彼のものと取り替えてくれるでしょう。彼はあなたの心に奇跡を与えるでしょう。

2009年6月25日木曜日

ロバート・ペリー "Sings" の書評

Amazon に書いた書評です。これまでたくさんのACIMの解説本を書いてきた著者ですが、これは著者にとって直接ACIMの解説を目指していない初めての本です。しかしACIMに関わってきた人生経験の中で生じた共時性が話題になるので、いろいろ面白いエピソードが出てきます。ACIMを離れても、この本は共時性についての驚異的なガイドブックであり、もしかしたら人生を一変させる力を秘めているかもしれません。この本を読んで自分にも過去に強烈な体験があったことを思い出しました。

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Signs: A New Approach to Coincidence, Synchronicity, Guidance, Life Purpose, and God's Plan

共時性についての驚異的なガイドブック

著者ロバート・ペリーはACIMのある団体の代表であるが、この本はACIMそのものではなく、
ユング以来認知されることになった共時性(Synchronicity)、意味ある偶然の一致
(Coincidence)についてのガイドブックである。彼はこの現象をCMPE
(Conjunctions of Meaningfully Parallel Events)と呼んで、独自の定義を与えている。
スピリチュアルな道の探求者であれば、自己を超越した存在からのアドバイスが欲しいと
思うこともあるだろうが、どうすればよいか困惑するばかりではないだろうか?
この本はCMPEを解釈することでそのような導きが得られることを示している。
章ごとに実際に著者の体験したCMPEの実例と解釈が示されていて、
それを読むだけでも興味深い。この本自体もCMPEのガイダンスに基づいて書かれている。
例えば How to を扱う部分をペリーは最初書くのをためらっていた。
それは読者が間違った解釈をして人生を狂わせてしまうのを恐れたからであるが、
CMPEが起こり彼は自らの方針を変えることになった。
この本の前半は彼の提示するCMPEを使いこなすためのガイドブックとなっているが、
後半はCMPE自身の持つ性格についての踏み込んだ探求の過程が示されている。
特に興味深かったのが第8章の「サインは未来を予言できるか?」である。
その中にある1つの事例の概略をご覧いただきたい。
ペリーはACIMの書記者であるヘレン・シャクマンについて書かれた本Absence from Felicityを手に入れ、
彼女が「死海文書」の発見されたクムランの洞窟を訪れて、そこが8年前に「God is」と
記された巻物を白昼夢で見たその場所であったことに気づき、涙を流したとのエピソードを読んだ。
その翌日(1991.10.2)彼はスーパーマーケットで、U.S.News の最新版の記事を見て、
一部の学者だけが見ることが出来た「死海文書」の非公開の部分が劇的な仕方で公になったことを知った。
それまで40年間「守秘ルール」によってごく一部の学者しか見ることが出来ず、
それは「アカデミック・スキャンダル」とさえ言われていた。
しかし「守秘ルール」の範囲外の図書館の中で非公開の資料のすべての写真が発見され、
それが公開されることによって「守秘ルール」自体が無効化されたのであった。
その後帰宅したペリーは先のヘレンについて書かれた本を再読し、
そこにまだ公にされていない資料がたくさん含まれているのを見て、
何故それが秘匿されているのか疑問に思っていた。そのとき友人から電話があり、
その本の中にあるヘレンが受け取った「イエスの復活に関する特別なメッセージ」に
注意を向けさせられた。その本の著者[ワプニク]はこのメッセージはヘレンの恐れによって
ゆがめられていると主張しているが、友人はそれに同意できないと言ったのだった。
このイエスの復活について与えられたメッセージをペリーは既に知っていたのだが、
この著者によって発表するのを禁じられていた。そして彼はこの著者にとって不都合な
資料が隠匿されているのではないかと疑った。そしてその時気づいたのだが、このメッセージが与えられた日付は
1976.10.2でちょうど15年前の出来事であり、3つの出来事からなるCMPEが生じていたのである。
ここからペリーはACIMにも未公開の資料があるのではと考え、ACIMの初期メンバーに問い合わせるが、
その存在は否定されてしまう。
しかし2000年、ACIMにも「死海文書」と同じような出来事が発生し、
2つの未公開資料が無名の人々によってインターネット上で公開され、
CMPEが未来の出来事にまで及んでいることが判明するのであった。
最後の章を書き終えて、ペリーはCMPEが神に由来することを示してくれるように祈り、
そして驚異的なCMPEが生じたことをエピローグに記している。これまでCMPEにおいて
発生する平行事象は平均して8個前後であったが、最後に与えられたのは32もの平行事象を
含んだものであった。そして、それまで自分の本についてのアドバイスだと考えていた
サイン[CMPE]が、実はサインが自らについて希望することを示しているのに気づくのであった。
サイン自体が人々のもとに届いて人々の人生を一変させることを望み、
そうするためにペリーをしてサインについての本を書かせたのであると。

2009年6月23日火曜日

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 11/17

10. The Holy Spirit's message is that we never sinned, never changed ourselves. We need only change our mind.

10.1. The guilt and pain produced by the ego is stored in an unconscious level of mind which also contains our call for God's Love and help.

エゴによって生み出された罪悪感と苦痛は心の無意識のレベルに貯蔵されているが、それはまた神の愛と助けへの呼びかけを含んでいる。

10.2. The Holy Spirit's answer to our guilt is that we did not do it, that we are still as God created us, because the separation never occurred.

私たちの罪悪感に対する聖霊の答えはこうである。私たちはそれを行っていなくて、今なお神が創造されたままの状態を保っている。というのも分離は決して起こってはいないから。

10.3. The journey home is an illusion. We need not purify ourselves or make sacrifices. Instead, we can wake up at any time we choose.

故郷に帰る旅は錯覚である。私たちは自らを浄化する必要もなく、犠牲を払う必要もない。そうではなくて、私たちはいつでも好きな時間に目覚めることが出来る。

10.4. The Holy instant is a moment when this is realized, applied, a moment of doing nothing.

聖なる瞬間はこのことが理解され、適用された瞬間、何もなさない瞬間である。

10.5. The miracle is free deliverance from the imprisonment of the human condition. It is our right, because we never sinned.

奇跡とは人間的条件に監禁されていることからの自由な救出[釈放]である。それは私たちの権利である。私たちは決して罪を犯していないのだから。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 10/17

9. We have lost touch with reality and so need the Holy Spirit's help to be restored to sanity.

9.1. God created the Holy Spirit to bridge the gap in communication between Him and His children.

神は御自身と御子の間の意思疎通を妨げる断絶を埋めるために聖霊を創造した。

9.2. The Holy Spirit's function is to heal our minds by leading us into a thought system that reflects reality. This is how He guides us home.

聖霊の役目は実在を反映する思惟体系に私たちを導くことによって、私たちの心を癒すことである。

9.3. The Holy Spirit bridges the distance between reality and illusion. By seeing our illusions in light of reality, He places them in true perspective.

聖霊は実在と錯覚の間にある距離を橋渡しする。実在の光に於いて私たちの錯覚を見ることによって、彼はそれらの錯覚を真の観点の中に置く。

9.4. All that we made for ego He takes and uses for our awakening.

聖霊は、私たちがエゴのためにするすべてを手に取って、それを私たちの目覚めのために用いる。

9.5. We accept Him as our Teacher by resigning as our own teacher.

私たちは、自分自身が教師であるのを辞任することによって、聖霊を私たちの教師として受け入れる。。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 9/17

8. Our “solution” is an attack and so, like the original problem, is an attack on ourselves.

8.1. Beneath the victim level is the ego proper, which is pure, unprovoked attack.

犠牲者のレベルに隠れているエゴに固有のものがある。それは純粋な、挑発に基づかない攻撃である。

8.2. The victim level is an excuse to attack, produced by projecting our own attack outward.

犠牲者のレベルは攻撃の弁解であり、自分自身の攻撃心を外側に投影することによって生まれる。

8.3. The ego promises that attack will get us safety and happiness. This simply tricks us into accumulating guilt, to which it is attracted.

エゴは攻撃が私たちを安全にし、幸福にすると約束する。これは単に私たちを欺いて罪悪感を募らさせるもので、それは罪悪感に魅了されている。

8.4. The ego promises that getting will fulfill us and defending will protect us. This tricks us into accumulating lack and vulnerability.

エゴは獲得が私たちを満たし、防御が私たちを守ると約束する。これは私たちを欺いて欠乏と脆弱さを募らさせる。

8.5. The ego promises us joy through bodily pleasure. This tricks us into making separation real.

エゴは私たちに身体的快楽によっる喜びを約束する。これは私たちを欺いて分離を実在的にさせる。

8.6. The special relationship is the biggest false promise of all, the one that motivates us to pursue all of the ego's false promises.

特別な関係はその中でも最も大きく間違った約束[契約]で、それはエゴの間違った契約のすべてを追求するように私たちを刺激する。

8.7. Through our normal daily activities the ego is carrying out its ancient attack on God.

私たちの通常の日常的な諸活動を通して、エゴは神へのいにしえから続く攻撃を遂行している。

8.8. All that the ego does is really designed to attack us, kill us and send us to hell.

エゴの行うすべては本当に我々を攻撃し、殺し、地獄に送ることをもくろんでいる。

2009年6月22日月曜日

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 8/17

7. Our search for happiness is actually an expression of resentment and a quest for vengeance on the past.

7.1. Underneath our conscious face of innocent is the victim level, a place in us where we are enraged over what we think the world has done to us.

私たちの意識にのぼる無垢な顔の下に、犠牲者のレベルがある。それは私たちの内なる場所で、そこで私たちは世界が自分にしたと思っていることに激怒している。

7.2. The victim's primary perception is that other people are sinful.

犠牲者の持つ主要な知覚は他人が罪深いということである。

7.3. In this place we believe that past injustices have given us the right to resentment, restitution, and revenge.

この場所で私たちが信じるのは過去の不正行為が私たちに怨恨[ルサンチマン]、損害賠償、復讐の権利を与えるということだ。

7.4. Our attempt to rearrange the world is based on anger, resentment, grievances.

世界に復讐しようとする私たちの試みは怒り、怨恨、憤りに基づいている。

7.5. In our giving and in our suffering we constantly send the message, “I suffered because of you. Therefore, you owe me.”

私たちが与えることや被害を被ることにおいて、私たちが絶えず送っているメッセージがある。それは「私はあなたのせいで被害を被った。したがってあなたは私に借りがある」ということだ。

7.6. We seek vengeance through subtle attempts to re-enact the past and reverse past “injustices” against us.

私たちは、過去を再演し、自らになされた過去の“不正行為”をひっくり返すという微妙な試みによって復讐しようとする。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 7/17

6. Our solution: acquire happiness by rearranging our external world.

6.1. Our conscious self-image is “the face of innocence,” that of a good self trying to make its way through an unjust world.

私たちの意識する自己イメージは“罪のない[無垢な]顔”をしていて、それは不正な世界を通って進んでゆこうと試みる良き自己の顔である。

6.2. We respond to the world’s attacks by defending ourselves.

私たちは自分自身を守ることで、世界の攻撃に対処する。

6.3. We attempt to fill our needs with external things, situations, and events, based on the belief that we are inherently lacking.

私たちは外的な事物、状況、出来事で自らの必要を満たそうと試みるが、それは自分が本来的に欠乏状態にあるとの信念に基づいている。

6.4. A major need we seek to satisfy is the need to feel innocent.

私たちが満足するために追求する主要な必要は、無罪[無垢]であると感じるための必要である。

6.5. Another major need is the need to feel special.

もう一つの主要な必要は特別であると感じる必要である。

6.6. In our search for happiness, the body is both a means and an end.

私たちの幸福追求において、身体は手段でもあり目的でもある。

6.7. The crowning gift we seek, which incorporates all of the other gifts, is special love.

私たちの探す最高の贈り物は、他の贈り物すべてを一体化したものであって、特別な愛である。

6.8. All of our seeking attempts to get something from the world, for which we generally must pay something back.

世界から何かを獲得しようとする私たちの探し求める試みはすべて、概してそれに対する代償を要する。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 6/17

5. We then projected the cause of our suffering onto the world, producing the illusion that it had sinned against us and had robbed us of our happiness.

5.1. A law of mind is that mind causes its own experience.

心の法則とは心が自分自身の経験を引き起こすことである。

5.2. Projection is the dynamic whereby causation is thrown outward: what our mind has caused now seems thrust upon us from without.

投影とは因果関係を外に投げかける原動力である。すなわち、私たちの心が引き起こしているものが外側から私たちを追いやっているように見えることである。

5.3. Projection is motivated by the desire to get rid of our guilt, but its deeper motivation is the desire to make us powerless to change our beliefs.

投影は私たちの罪を取り除きたいという欲求によって動機づけられているが、そのより深い動機は自分の信念を変えることに対して自分を弱体化する欲求である。

5.4. Projection produces a world that seems to have enormous power over us.

投影は私たちに莫大な力を及ぼすように見える世界を産出する。

5.5. Through projection, our self-imposed pain appears to come from an attacking world.

投影を通して、私たちが自らに課した苦痛が、攻撃する世界から来るように思える。

5.6. Our guilt, projected outward, has produced a punishing world.

私たちの罪悪感が、外的に投影されて、苦痛をもたらす世界を産出する。

5.7. Our primary experience of this world is that it attacks us in manifold ways, that it has done us wrong, that it has taken our happiness from us.

この世界で私たちが持つ最初の経験は、世界が様々な仕方で私たちを攻撃し、害し、幸福を奪い去ることである。

2009年6月20日土曜日

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 5/17

4. Yet we believed we had really done it. We thought we had sinned and had thereby thrown our happiness away forever.

4.1. We thought that we had separated ourselves from all that we loved and consequently experienced a state of lack.

私たちは自分自身を愛する者から分離したと思ったので、その結果、欠乏の状態を経験した。

4.2. We thought that we had sinned against God, that we had launched a real attack which caused real destruction.

私たちは、自分が神に逆らって罪を犯し、実在的な破壊を引き起こす実在的な攻撃に乗り出した、と思った。

4.3. The result of sin was a massive sense of guilt, which we denied and so pushed into the unconscious.

罪の結果は重々しい罪悪感であって、それを私たちは否定し、そうすることで無意識に閉じ込める。

4.4. Guilt says that we deserve punishment. This belief is the source of all of our suffering.

罪悪感は私たちが罰に値すると主張する。この信念は私たちの苦しみすべての根源である。

4.5. We project our belief that we deserve punishment onto God and so perceive a punitive, fearful God.

私たちは、罪に値するという自分の信念を神へと投影し、そうして懲罰的な恐ろしい神を知覚する。

4.6. Guild, then, gives rise to fear, which really is the expectation of punishment. Fear is the dominant emotion of this world.

したがって罪悪感は恐れを引き起こし、それは本当に罰の予感となる。恐れはこの世界で最も有力な感情である。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 4/17

3. But the separation occurred only in our minds; in reality it never happened.

3.1. The separation had no effect, for nothing can change the Will of God.

分離は全く効果を持たない。というのも神の意志を変えることが出来るものは何もないから。

3.2. We did not actually separate; we merely withdrew our awareness from reality into a private mental state.

私たちは実際に分離したわけではない。単に自分の意識を実在から個的な精神状態に引き込めただけだ。

3.3. The world is not an objective reality; it is only a dream, a projection of our belief in separation.

世界は客観的な実在性ではない。それは単なる夢、私たちが分離を信じることの投影である。

3.4. We are not who we think we are; we are the Sons of God with amnesia.

私たちは、自分がこれだと思っているような者ではない。私たちは記憶喪失の神の子である。

3.5. We are not here in this world or in these bodies. We are in Heaven dreaming that we are here.

私たちは世界のなかのここに、すなわちこれらの体のなかにいるのではない。私たちは天国にいて、ここにいる夢を見ている。

3.6. The instant the separation seemed to occur, God created the Holy Spirit, Who awakened us that same instant. We are now only reviewing a journey that is over.

分離が生じたように見えた瞬間に、神は聖霊を創造し、それはその同じ瞬間に私たちを目覚めさせた。私たちは、今、終わってしまった旅を回顧しているだけである。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 3/17

2. We tried to attack reality, to separate from it, thus making a separate identity – the ego – and the world of space and time.

2.1. We tried to separate, motivated by a desire to elevate ourselves above our brothers and God.

私たちは、兄弟達や神よりも自分を高めようという願望に動機づけられて、分離しようと試みた。

2.2. The ego is the belief behind the separation; it is our core self-concept which says we are separate, autonomous beings.

エゴは分離の背後に潜む信念である。それは私たちの中核的な自己概念であって、私たちは分離していて、自律的な存在であると主張する。

2.3. When we tried to separate, we seemed to shatter reality into countless separate fragments.

分離しようと試みたとき、私たちは実在を数え切れないほどの分離した破片へと粉砕するように思われた。

2.4. We made the world by selecting and organizing the fragments.

私たちはその破片を選び組織化して世界を作った。

2.5. The world we made is the diametric opposite of Heaven in every way.

私たちが作った世界は、あらゆる点で天国とは真反対である。

2.6. God did not make the world; we did.

神は世界を作らなかった。それをしたのは私たちである。

2.7. The ego has one need: to stay in business, to confirm itself, to reinforce its reality, to protect itself from God’s Love.

エゴは必要としているものがある。忙しさの内に留まること。自己自身を堅固にすること、その実在性を強化すること、自分自身を神の愛から守ること。

2.8. We made this world of separate places and different moments to confirm the ego by “proving” that separation is an objective reality.

私たちはこの分離した場所と異なった瞬間からなるこの世界を作ったが、それは分離が客観的実在であることを証明することで、エゴを堅固にするためである。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 2/17

1. Our home is reality, Heaven, the Kingdom of God, a spiritual realm of pure oneness and boundless joy which can never be threatened.

1.1. Since nothing real can be threatened, then the world is not real.

実在的なものは脅かされ得ないのだから、世界は実在的ではない。

1.2. Reality is formless, spaceless, timeless oneness, beyond all limitation, opposition and distinctions.

実在は形なく、空間を持たず、時間のない一者であって、すべての限界、対立、相違を超越している。

1.3. God is a Being of limitless, changeless Love Who is incapable anger or attack.

神は限りなき存在、変わらざる愛であって、怒ることも攻撃することも出来ない。

1.4. God extended Himself to create His Son, Christ, Who is one with God and is the single Self of Sonship.

神は御自身を拡張して御子・キリストを創造した。彼は神と1つで、子の身分を持つ単一の自己である。

1.5. Extension is the dynamic of reality, in which reality timelessly extends itself and eternally increases.

拡張は実在の原動力であって、それに於いて実在は無時間的に自らを拡張し、永遠に増大する。

1.6. Reality is maximal; it is the supreme joy.

実在は最大なる者である。それは至高の喜びだ。

1.7. Reality is home, the longing of our hearts, the object of all our desires.

実在は故郷、私たちの心のあこがれ、私たちが望むすべての対象である。

"Return to the Heart of God " by Robert Perry 1/17

Robert Perry の “Return to the Heart of  God” はA Course in Miracles の理論的な側面のガイドブックです。コースのエッセンスを16の命題にまとめ上げ、それがそのまま16の章になっています。この16章はさらに97のキーとなる考え方に拡張され、それがそのまま節の表題になっています。だから目次を読むだけでコースの全体像がつかめるようになっていて、非常によくまとめられています。特筆すべきは16の命題を表すイラストが裏表紙の内側にあって一目でコースの理論的側面の全体像がつかめるようになっています。これは言葉では説明できませんので是非手に取ってみてください。目次だけ訳してみましょう。まずは16の命題から。

1. Our home is reality, Heaven, the Kingdom of God, a spiritual realm of pure oneness and boundless joy which can never be threatened.

私たちの故郷は実在、天国、神の国、純粋な一性と無限なる喜びの霊的領域であって、その喜びは決して脅かされ得ない。

2. We tried to attack reality, to separate from it, thus making a separate identity – the ego – and the world of space and time.

私たちは実在を攻撃しようと試みた、それから分離するためである。そうして分離した個性 - ego - を作り上げ、空間と時間からなる世界を作った。

3. But the separation occurred only in our minds; in reality it never happened.

しかし分離はただ私たちの心に於いてのみ起きた。実際には[実在に於いては]それは決して生じていない。

4. Yet we believed we had really done it. We thought we had sinned and had thereby thrown our happiness away forever.

だが私たちは自分が実際にそれを行ったと信じた。私たちは罪を犯し、それによって永遠に自らの幸福を投げ捨てたと考えた。

5. We then projected the cause of our suffering onto the world, producing the illusion that it had sinned against us and had robbed us of our happiness.

それで私たちは世界の上に自らの苦難の原因を投影し、私たちに不正を犯して幸せを奪う錯覚を生み出した。

6. Our solution: acquire happiness by rearranging our external world.

私たちの解決方法:私たちの外にある世界を調整しなおして幸福を獲得すること。

7. Our search for happiness is actually an expression of resentment and a quest for vengeance on the past.

私たちの幸福の追求は実際には怨恨[ルサンチマン]の表現であり、過去に対する復讐の追求である。

8. Our “solution” is an attack and so, like the original problem, is an attack on ourselves.

私たちの「解決方法」は攻撃であって、したがって、起源問題と同様に、自分自身への攻撃である。

9. We have lost touch with reality and so need the Holy Spirit’s help to be restored to sanity.

私たちは実在とのつながりを失ってしまい、それで正気に帰るために聖霊の助けを要する。

10. The Holy Spirit’s message is that we never sinned, never changed ourselves. We need only change our mind.

聖霊のメッセージは、私たちは決して罪を犯していないし、決して自分自身変化していないということだ。私たちがしなければならないのは心を変えることのみである。

11. Changing our minds means allowing the Holy Spirit to heal our perception.

私たちが心を変えるということは、聖霊に私たちの知覚を癒す許可を与えることを意味する。

12. We heal our perception by forgiving the world for what it did not do.

世界のしなかったことを赦すことによって、私たちは自らの知覚を癒す。

13. Extending forgiveness to others reveals to us that we too are forgiven. This becomes our one function.

許しを他者へと拡張することが私たちに私たちも赦されていることを明らかにする。このことが私たちの1つの働き[役目]となる。

14. Forgiveness also undoes the blocks that separate us from others, allowing us to experience the fact that we are one.

許しはまた他者から私たちを分離させる障碍を無効にし、私たちが1つであるという事実を経験可能にする。

15. With forgiveness as our practice, we journey toward the goal of true perception.

許しを訓練することによって、私たちは真の知覚という目的地に向かって旅する。

16. When we and the entire world have attained true perception, God Himself will take the final step and lift us home.

私たちと全世界の人々が真の知覚を獲得したとき、神御自身が最後のステップを取り、私たちを故郷へ上げてくれるだろう。

2009年6月11日木曜日

ACIM mind - spirit における HLC と Clarification の一致

某掲示板にて Clarification における mind - spirit の用語解説が混乱しているのではないかという書き込みを見ました。spirit が mind の一部として書かれているのが腑に落ちない。コースの他のところでそういうことが書かれているのを見たことがないということでした。問題の箇所は以下のところ。

C-1.2. In this world, because the mind is split, the Sons of God appear to be separate. Nor do their minds seem to be joined. In this illusory state, the concept of an "individual mind" seems to be meaningful. It is therefore described in the course as if it has two parts; spirit and ego.

これはUrtextのままですね。厳密に言うとイタリック体になっているas if がUrtext では大文字になっているだけです。訳してみると…

「この世界では、マインドは分裂しているので、神の子達は分離しているように見える。彼らのマインドも確かに繋がっているようには思われない。この錯覚した状態にあっては、“個人的なマインド”という概念に意味があるように思われる。したがってコースにおいては あたかも それが二つの部分を持つかのように書かれている。すなわち、スピリットとエゴである。」

では本当に他のところで ACIM はマインドのレベルについて書いていないのでしょうか?探してみるとそれらしいところがありました。それはここで紹介した Gene W. Smith の記事で問題点を指摘されていた文章でした。

FIP版 T-5.III.6
T-5.III.6. I have repeatedly emphasized that one level of the mind is not understandable to another. 2 So it is with the ego and the Holy Spirit; with time and eternity. 3 Eternity is an idea of God, so the Holy Spirit understands it perfectly. 4 Time is a belief of the ego, so the lower mind, which is the ego's domain, accepts it without question. 5 The only aspect of time that is eternal is now.

「私が繰り返し強調してきたことは一つの段階のマインドは別のレベルのマインドを理解できないということである。このことはエゴと聖霊にも当てはまる。また時間と永遠にも。永遠は神の考えであり、聖霊はそれを完璧に理解する。時間はエゴの信念であり、それでエゴの領域である低いマインドは疑うことなく時間を受け入れる。時間の永遠としての唯一の相[あり方]は”今”である。」

ここではマインドの低いレベルをエゴの領域と呼んでいます。ではもう一方の上のレベルのマインドは聖霊Holy Spirit でしょうか?しかし迷いの幻想に生きるマインドを神のペルソナの一つである聖霊とするのは奇妙ですね。このことがGene W. Smith の疑問に思った点でした。それで同じ箇所をHLC で見てみるとここのHoly Spirit はFIP版で編集され変更されたところで元はSoul でした。Soul ならマインドの段階を指し示すのにふさわしいですね。ですからマインドのレベルとして下位の段階をエゴ、上位の段階をSoulと呼んでもいいということになります。

それではSoul と Clarification でいわれているSpirit の関係はどうなるでしょうか?その答えはClarification 自体の中にありました。

C 1.3. Spirit is the part that is still in contact with God through
the Holy Spirit, Who abides in this part but sees the other part as
well. The term ʺsoulʺ is not used except in direct Biblical quotations because of its highly controversial nature. It would, however, be an equivalent of ʺspirit,ʺ with the understanding that, being of God, it is eternal and was never born.

「Spirit は聖霊を通していまなお神に繋がっている部分である。聖霊はこの部分にとどまるが他の部分[エゴ]をも見ている。“soul” という用語は直接聖書から引用する場合でなければ用いられないが、それはその言葉が極めて論争を引き起こしやすいからである。しかしながらそれは、神に属するものであって、永遠であり決して生まれないものと理解して、“spirit“ に相当するとしていいだろう。」

ですから HLC の Soul = Spirit とするならHLC と Clarification の説明が全く一致することになります。FIP版ではそれが見えてきません。FIP版ACIM を読み込んでなおかつ疑問が出てくる場合はやはり初期バージョンの確認が必要であると言えるでしょう。

補足:HLC の始めの部分では聖書の直接的引用でなくてもしばしばSoul という単語がよく使われています。ここではmind の上位の部分がSoul とされていますが、HLC の中にはmind は Soul に起源を持つのだからSoul の一部分であるとの表現もあります。視点の置き所によって、根源との関係という点からそのようにも表現できるということですね。矛盾しているように見えますが、本来分裂していないものを、あたかも分裂したかのように見れば、mind の中にレベルがあるように見えるし、神の創造の働きを受けて存在している点から見れば、神の働きを受けたSoul に包摂されていると見ることも出来るということだと思います。mind soul spirit にあえて訳語を付けるなら、揺れ動く「心」、一本筋の通った「魂」、Holy Spirit の「聖霊」にあわせて「霊」としたいです。

2009年6月5日金曜日

ACIM版権問題の背景 4

2003年10月24日、裁定が公布されACIM の版権は、先行する配布によって無効とされ、FIP や FACIM に限定された配布の権利を否定し、7年間に渡る訴訟費用を Endeavor に支払うよう命じました。

この判決は版権についてのみの判断であり、サービス・マークの件は切り離されています。しかしサービス・マークの認可は通常では考えられません。本のタイトルが商標登録されることはほとんどないし、されるとしても版権がなければ商標・サービス・マークの登録は不可能だからです。

この間、コースについて書く人はわずかの引用しか認められませんでした。しかし、FACIM は自らの出版物にACIM から豊富に引用し、それらを究極的なコースの権威の明白な知覚[perception 皮肉でしょうか?ACIM では通常 ego の誤った認識を指します] と見なしました。しかし判事の判決を読み、Judy の正反対の信じがたい証言がコースのインフラを整備する公共事業部の奥深くに送り届けられました。著者達は既に誰にも許可を求めることなく出版する喜びを思っています。教師達はウェブサイトでACIM のクラス開いても、そのプロバイダーが弁護士から脅しの手紙を受け取ることが無くなると夢見ています。

おわり

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これを読むと裁判前後の混乱した状況が見て取れますね。結局お金なんでしょうか。ACIMという文字があるだけで、ウェブサイトが閉鎖に追い込まれたり、脅迫メールが届いたり。チラシにACIMという文字も "A Course in Miracles" という書名も載せることすら出来ませんから、案内状を出すことも出来ず、別の言葉を考え出さないといけません。

Endeavor はカルト的な組織だと聞いたことがありますが、それにさえ負けてしまうとは、やはり神の意志でしょうか?一本のテープの出現が決定的な影響を与えましたが、その出現もタイミングが良すぎるので何か摂理のようなものを感じます。

今は周辺情報はだいたい分かってきたのでACIM 自体に取り組みたいと思っています。分からないところだらけですので。

ACIM版権問題の背景 3

Circle of Atonement は FACIM / FIP と2000年に仮協定を結び、出版活動は制限されながらも、完全に停止させられることはありませんでした。Endeavor Academy はより攻撃的で、版権自体の合法性を争うことになりました。コースはそもそも版権を持っていないという主張です。連邦地方裁判所の判事Sweetがこの件に7年間携わりました。

Endeavor の主張する版権の無効化に関するほとんどの条項は却下されました。それらは神的存在の著作物に関しては版権を与えることが出来ないという主張に基づくものでしたが、否定されました。しかしたった一つだけ残った条項がありました。 Judy Skutch-Whitson によって長年語られてきた話ですが、正式に出版される前にゼロックスのコピーで彼女はそれを数多く配布しました。その前でさえ、友人達や Helen Schucman の仲間達や Bill Thetford はそのコピーを受け取っていました。 Endeavor は版権が適用される1975年以前に斯くも多くのコピーが制限無く配布されていたということは、コースは既に共有財産[public domain]であったのだと主張しました。

最終的にこの訴訟は2003年3月に公判にかけられました。多くの人々は大きな、財政的にも豊かな FACIM と FIP が支払い能力のない Endeavor を訴えるだけで訴訟に勝つだろうと思っていました。全く奇怪なことに、公判中 Judy Skutch-Whitson は彼女の有名な話、ゼロックス・コピーでの配布の話を驚くほど変えてしまいました。彼女によればこの配布はなかったのです!

「私の言った話は…粉飾され、誇張され…ひどく大げさで…そういう話をしたんです。私はそういうやり方をする人なんです。」

そのとき録音テープが反証として出され、そこにはその配布について何年も前に話した彼女の声が録音されていました。そのときは真実のこととして話したことを、それを今や彼女は断固として否定しました。ミラクル・コミュニティは、彼女が今真実を話しているとどうやって分かるんだと疑問を感じました。これがEndeavor の弁護士が明らかにうまくやった点で、判事に同様の印象を与えたに違いありません。

つづく

ACIM版権問題の背景 2

その後数年の間に非常に複雑なことになりました。1996年にはペンギン・ブックスにACIMを出版する版権の使用が認められました。FIPは1999年に版権の完全な所有権をFoundation For ACIM (FACIM®)に譲渡しましたが、役員の多くが両方兼任していたので、 これは何か利害関係の衝突があったように思えます。[ここのところ事実関係をよく知らないので正しいか自信持てません。原文を参照してください] 中でも最も奇妙なことに、"A Course In Miracles" と言う言葉自体、また”ACIM”という頭字語までが1993年にサービス・マークとして登録されました。その結果、この言葉を印刷したり、Web ページに載せることさえ、その所有者の許可無しには出来なくなりました。そしてそれは実質的に不可能でした。

FIPとFACIM、そしてペンギン・ブックスは強力に版権とサービス・マークを守らせようとし、 組織は無名の脅しの手紙やe-mail を受け取りましたが、それにはやり方を変えないと訴訟になるだろうと書いてありました。弁護士は停止命令の手紙を多くの個人やACIMの組織に送りました。1994年にCompuserve はサービス・マークの侵害のため人気のあるACIM ディスカッション・グループを閉鎖せざるを得ませんでした。私自身の組織も FACIM から1999年に数多くの侵害について述べた手紙を受け取りました。 サインのない手紙です。同じく1999年に Robert Perry と彼の組織も排除命令を受け取り、彼らのすべての本と出版物を破壊するように書かれていました。版権とサービス・マークの侵害のためです。 ウィスコンシン州では1996年に The First Christian Church of Full Endeavor が法的に訴えられました。1999年には Robert Perry の包括的なコース入門書の出版が説明も、可能な手続きの議論もなく、拒否されました。コースのインフラは壊れてしまいました。そして初めてコースの学徒は流れを止めたインフラの存在に気づいたのです。

つづく

ACIM版権問題の背景 1

A Course in Milacles の版権を巡るトラブルや裁判の過程について探せばいろいろな記事が出てきますが、それは書物としてのACIMにだけにとどまらず、"ACIM”という頭字語(acronym:単語の頭文字を並べて作った語)にまでおよび[ACIM®]、ACIMコミュニティーは大混乱に陥ったようです。Rev Tony Ponticello の The Copyright Infrastructure という記事に当時の混乱ぶりが記されています。これを読むと版権フリーになって良かったと思わざるを得ませんね。

トニー師による記事をまとめてみますので、興味のある方は記事のリンクをたどってみてください。

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インフラといえば、電気、ガス、水道、下水とかいろいろありますが、普段意識せず過ごしていますね。しかし、災害などでそれが破壊されると、なくてはならないものだったと初めて気づくわけですが、ACIM についても同じようなことが起きました。けれどもそれが起きるまでほとんど誰もその重要性に気づいていませんでした。

ACIM のインフラとは、版権、サービス・マーク[注1]、出版・配布する権利、ACIMのクラスを開くとき教師の人がそれを公にして伝達することが出来ることなどです。

ACIM に関する本や記事の出版、ACIMのWebの公表、コースのワークショップやクラスの広告などが法律上の問題が生じて不可能になり、その時初めてACIM の生徒はその重要性に気づきました。

このコースのインフラはそれまで正常に機能していたのですが、皮肉なことにコースの人気と市場性が増大することで変化が生じました。1992年春にMarianne Williamson のコースについての本 "Return to Love" が世界的なベストセラーになり、たちまち何百万ドルものお金が巻き込まれることになりました。このとき雨後の筍のようにコースの組織が発生し、それらの多くは、版権を有するthe Foundation For Inner Peace (FIP) と協力しましたが、中にはFIP にもっと背教的なアプローチを取るものもありました。かれらはイエスの著作に版権を主張することが出来るだろうかと思ったわけですね。他の宗教の教典に版権がないように。聖書を引用したいとき、それを許可していただけますかなどと問い合わせる相手などいません。コースを聖書のように受け取ったグループはそれを不自然だと感じたわけです。

注1.職標,職章:航空会社,保険会社などサービス主体の企業組織体が,その提供するサービスを他社のものと区別するための標識,標語など;登録により法的に保護される (ランダムハウス英和辞典より)

つづく

2009年6月3日水曜日

ヘレンのACIM解釈について 14/14

結論 (つづき)

同じように、ヘレンのコース解釈の重要性を過大評価しないようにしよう。コースに関する最も偉大なことの一つは、私たちはイエスの言葉と私たちの持つ書かれた言葉の間に現れた、何十年かの口頭の伝統に頼らないことだ。この事例では、イエスの言うように[Please take note]、誰か口述筆記 [taking dictation] した者がいた。そして私たちはまさに目の前に、紙の上に、英語でその口述筆記を持っている。(そう、最初は編集されているが、大部分はほぼ編集されないままであると言ってもよい。) 私たちは、新約聖書学者が夢見ることが出来るだけで[手に入れることの出来ないもの]、 ipsissima verba[イエスの語ったそのままの言葉], まさにその言葉を持っている。それはその言葉の中に力を持っている。 私たちはヘレンへと遡るか弱い人間の繋がりを信頼する必要はない。ただその本を開くだけでいい。

このことが私たちにどんな人の解釈でも、ヘレンの解釈も入れて、コースの実際の言葉に反していないか吟味する力を与える。だから、私はヘレンのコースについての見解を尊重するけれども、私たちがここで見てきた彼女の見解すべてに同意すると言うことは出来ない。特に彼女のText に対する明らかな軽視、コースが形においてのみ他の道と異なっているという言明には同意しない。しかしながら、私は彼女のとった根本的な解釈上のアプローチには同意する。どう見ても、彼女はコースの literalist であった。彼女は言葉の中に力があることを知っていた。

そのことを考えるなら、他の何を期待できるだろうか?もちろん、人生の目的がそれらの言葉を書き取ることにあったその女性は、それらを言葉通りに受け取っていただろう。もちろん、彼女は、まさにその言葉を割り引いて考える何か手の込んだ正当化など案出しなかった。それは彼女が長年書き写し、編集し、打ち直した言葉なのだ。そしてもちろん、彼女の周りの人々も同じようにコースを読んだ。それが言っていることを実際に意味しているかのように。そしてもちろん、私たちもそうでなければならない。それこそが自らをこの伝統の純粋な始原につなぎ止める方法なのだ。

ジュディス・スカッチ-ウィトソンとケンにはこの小論を公にする前にこの小論のコメントを求めて接触した。ケンはコメントすることを断った。ジュディからは返事を受け取っていない。

おわり

2009年6月2日火曜日

ヘレンのACIM解釈について 13/14

結論

インタビューでジュディが伝える物語、また何年もの間様々な形で出回っている話は吟味されないままである。コースからヘレンを経てケンにいたる黄金の絆のような純粋な理解はなく、ここにあるのはその絆の大きな断絶であって、それはヘレンの死後わずかな年月の後に生じた。 ケンの教えがその真の根源的方向性をそらしたとき、それはヘレンとはまったく異なったものだった。

このことから私たちはジュディの記していることとは別の立場に立つ。彼女の話が明らかに意味しているのは、もしケンと一致しないなら、あなたはヘレンと、ACIMを世界にもたらした女性と一致しないことになるということである。しかし多くの重要なコースの問題点に関してさえ、これまで見てきたように、事実は、ケンに同意するなら、ヘレンと一致しないということである。

したがって、彼女の話の記事に束縛されると感じる必要はない。意図的であれ、意図しないものであれ、この物語は、極めて多くの伝統の起源神話が行うのと同じことをしている。それは信仰者の心をコントロールする。彼らの心をその物語が引いた鉄のレールに添ってのみ動くようにさせる。(このことは極端に聞こえるかもしれないが、本当にそのような状態に陥った人を知るまでは分からないものである。)しかしそんなレールは自由に飛び超えてもかまわない。というのは、そんな物語は持ちこたえることが出来ないからである。どんなに多くのそのような物語が実際にこんなことをしているのか?この物語はケン・ワプニクの自身の言明の証拠にも、ヘレン・シャクマン自身の著作の証拠にも持ちこたえることが出来ない。この物語は、コースの栄誉ある誕生へ、 ヘレンの栄誉あるコース理解へ、私たちを解放して立ち去る。私たちはケン・ワプニクの現在の教えを抱擁するよう強制されない。

このことは自動的にケンの教えを無効にするものではなく、おそらくヘレンとケンとの一致に遡るという理由で、如何なる特別な地位を誰も主張できないことをまさに意味している。その絆から切り離されることで、ケンの様々な教えもその中にある権威から切り離される。一人の人間の解釈として、それらは今や一人で旅に出る。したがって、それらは、他の解釈と同様に自分自身の真価に基づき立つか倒れるかである。

2009年6月1日月曜日

ヘレンのACIM解釈について 12/14

何が起きたのか? (つづき)

別の事例を見てみよう。Forgiveness and Jesus の中で1983年にケンは神の教師であることは何を意味するのかということを説明している。

「イエスは私たちを役割を果たすように世の中に送られます。…私たちはある人々もとへ送られます。…例えばもし、私たちの仕事が自分を大都市の貧民街に連れて行くなら…、もし私たちが苦しむ人、無視された子供達に教えるなら…、もし私たちが虐げられた人々を自由にする手助けをしようと努めるなら…。

イエスは、私たちが平和の使徒、あるいは神の教師であることを必要とします。私たちを通してのみ彼自身の人生で始めようと着手された救いのわざを完成することが出来るからです。…世の苦しみを見るために彼は私たちの目を必要とされます。しかも世を超えて輝く光を見るためにも。攻撃と暴力の反応へとおびえている人々の助けをもとめる叫びを聞くために、私たちの耳を必要とされます。 希望と慰めを彼を忘れてしまった人々に届けるために、私たちの手足を必要とされ、私たちの罪がすべて赦されているという彼の救いのメッセージを語るために、私たちの声を必要とされます。とりわけ必要とされるのは彼の愛のメッセンジャーになろうとする私たちの自発性です。」 29

これは素晴らしい。深い共感を覚える。 しかし14年後にまさに同じ問題-神の教師であることは何を意味するのか-に言及するとき、 私たちはまったく異なったイメージを見る。初期の引用の中では、彼は感動的に語った。「苦しむ人…子供達に教えるために」、虐げられた人々を解放するために、イエスは私たちの「手足」、「声」を用いる。 いまや彼はそのような観念をコースに帰することはせず、「自分を特別なものにしようとするエゴの必要」のせいにする。

「神の教師は自分のための贖罪を受け入れる必要がある。そしてその世界の救済は彼らが単にその贖罪をすること、それのみに懸かっている。 これは取るに足らないことではない。…エゴの世界と自分を特別なものにする必要性はその言葉をゆがめて受けとめ、それ次のように意味していると考える。コースの学習者は、今やうわべは神の上級教師として、行動的に他の学習者に教え、病を癒し、世界に伝導するようイエスに頼まれていると。

ある人が他の人を癒すことも、与えることも、教えることもない。エゴの錯覚しやすい本性を理解することによって自らの内なる真理をただ受け入れることだけがある。…

この点についてさらに言えば、究極的には他者を癒すことは不可能である。何故なら、もし世界が幻想なら、助けを必要とする人は存在するのだろうか?言うまでもなく、癒すという概念全体が二元的な宇宙を前提としている。神はそれを全く知らない。 …この詩にも似た一節[「教師への手引き」の締めの段落]は神の愛の象徴として受けとめるように意図されていて、言葉通りの真理としてではない。」30

この二つの長い引用を見て、それが同じ人によって書かれたと信じることの出来る人はほとんどいないだろう。1983年と1997年の間のある時点でケンは彼の見解において完全な変貌を経たのだ。

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29. Forgiveness and Jesus, pp. 326, 328.

30. Few Choose to Listen, pp. 32-34.

ヘレンのACIM解釈について 11/14

何が起きたのか? (つづき)

事実ケンは彼自身文字通りに理解する人として出発したように見える。彼の最初期の著作には、後期のアプローチで非常に特徴的になる隠喩的アプローチが全く無いように見える。私は確かにその痕跡をなにも見つけられない。これらの著作を読むとき、私は(文字通りの理解者として)彼の言うことすべてにほぼ合意する自分を見出す。

ケンが彼自身 literalist として出発したという考えを支持して、ここに1981年ちょうどヘレンの死後2・3ヶ月に行われたワークショップの写しである小冊子A Talk Given on 'A Course in Miracles,' からの一節がある。

「私たちを愛する誰かある人がいることを知らねばなりません。しかしその人は私たち自身ではありません。それは聖霊、もしくはイエスです。…ワークブックの最後でイエスはこう言っています。『このことを確信していなさい。私は決してあなたを慰めのない状態のままにして置き去りにはしない。』(W-pII.ep.6:8)彼がこれらの言葉でまさに文字通りに[ literally] 私たちの中に私たちに属さない誰かある人がいて、その人が私たちを愛し慰めるだろうということを意味しているのを知らないならば、 私たちはエゴ・システムの岩盤を決して打ち抜くことは出来ないだろう。」24

このことに注意してください。ケンは単に実在的な活動的聖霊を主張するだけでなく、イエスがそのことについて語っているとき、「彼がこれらの言葉でまさに文字通りに意味している」ともまた言っています。少し留まって、このことを正しく評価してみよう。コースが聖霊について私たちと共にあり、私たちを愛し慰める実在的な誰かとして語るとき、 ケンはこの言葉をまさに言葉通りに受け取るよう私たちに力説している。ここでは、ケンの後期の教えに親しんでいる人は飛び出した目玉を眼窩の中に押し戻さなければならないだろう。彼らはつぎに引用するような文章を読み続けているだろうから。すなわち、「どんな言い回しでも、神、聖霊、イエスが…我々の分離した自己と世界とに互いに影響し合う現実的人格[person・ペルソナ]のように示唆するものは、例外なく、二元論的次元における表現であり、隠喩としてのみ意味を持つ」25 、「もしこれらの言葉を言葉通りに受け取るなら、子供時代の世界、神の代わりに主人公の苦境を救う妖精やサンタクロース、甘いパパ[パトロン]の世界に戻っているのに気づくだろう。」26

しかし1981年に戻ってみると、ケンはどう見てもコースの literalist である。その初期の日々には、ヘレンの導きにしたがっていたように思われる。 しかしながら、ヘレンの死後2・3年して80年代の中頃や終わりには、ケンの教えは劇的な変化を経た。その教えは迅速に隠喩的アプローチを採用し、それはケンがコースの実際の言い回しに反対の立場をとり、その言い回しを単に隠喩であるとして退けることを許した。彼が通り抜けた変化の多くの実例の一つとして、ここに1985年の聖霊の実在についての質問に対する答えがある。

「Q. もし分離が幻想で、聖霊がそれを解決するために存在の中に入ってきたのなら、聖霊は幻想なのではありませんか?

A. いいえ、神が彼を創造されたのですから。でもいい質問です。コースの答えはこうです。分離が完全に癒され、聖霊がもはや必要でなくなるときに、彼はなおも存在します。 神が彼を創造されたのですから。」27

ケンはこの問いにコースの語り方やヘレンの聖霊に関する見解の精神に添って回答している。言い換えれば、彼はコースの literalist として答えている。しかしながらここに1997年の同じ問題について後期ケンの言及がある。

「それで同様にまた聖霊も幻想に違いない。無益で意味のないもの[もしくは錯覚]であるものを訂正(翻訳)するのだから。」28

この答えはコースが実際に言っていることとは全く異質である。それはまさにケン自身が初期に言っていたことのまさに正反対である。 1985年:「聖霊が世界で幻想を訂正するという事実は、聖霊が幻想であることを意味するのではない。彼は実在で、永遠なる神の創造である。」1997年:「聖霊が世界で幻想を訂正するという事実は、聖霊が幻想に違いないということを意味する。」 この二つの言明の間のどこかの時点で、ケンは完全に裏返しになったのだ。

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24. A Talk Given on 'A Course in Miracles,' 7th ed. (1st ed. 1983; 7th ed. 1999), p. 109.

25. Few Choose to Listen, p. 95.

26. Few Choose to Listen, p. 69.

27. The Fifty Miracle Principles of 'A Course in Miracles,' 1st ed., pp. 129-130.

28. Few Choose to Listen, p. 88.