2010年11月14日日曜日

Kriya Pranayama の経路について

クリヤ・ヨガの呼吸法で意識をどのように巡らすかについて、人によって微妙に違うので、少し考察してみよう。

Ennio Nimis の2007年版PDFをみるとこんな図版になっている。脊椎・スシュムナーの後ろを上昇し、前面を降下するように描かれている。仙道の小周天と同じ方向だ。(もっとも小周天では前面の経路が体表に近い経路をとるけれども)


2008・2009年版では前後の線が一本になっている。前後というよりも、脊柱・スシュムナーの中心を通るという意味合いだろうか? そうするとAYPSpinal Breathing Pranayama に近い形式になる。2010版ではさらにチャクラをつなぐ細い線が消えているが、これは画像が荒くなったので表示できなかっただけかも知れない。2010年版の文章では、上昇する時にはOmをチャクラに置く、チャクラに触れる、下降する時にはチャクラでエネルギーの放射を感じると記されている。

ラヒリ・マハサヤとは異なる系列に属する Satyananda(Sivanandaの弟子)はまた興味深い経路を伝承している。前後の上昇下降の方向が逆になり、頭部でツイストし8の字になっている。腹部を上昇するのは小周天とは逆であるが、キネシオロジー・テストでは任脈は腹部を上昇するのが正常とされている。図は “A Systematic Course in the Ancient Techniques of Yoga and Kriya” にあるもの。

2010年11月8日月曜日

ラヒリ・マハサヤの前世

Swami Satyeswarananda Giri の Biographies Series BABAJI Volume Two, Lahiri Mahasay (Polestar of Kriya) の中にラヒリ・マハサヤの前世について書かれている。それによるとカビールであったと弟子達には信じられていたようだ。

これには信頼に足る証拠があって、ラヒリ・マハサヤ自身が日記に記していて、1873年8月13日にこう書いている。(前掲書からの孫引き)

Jo Kabira soi Surjya, soi Brahma, soi ham.
カビールであったその人はスーリヤ(太陽)であり、ブラフマであり、私である。

2010年10月29日金曜日

SRFのクリヤ・ヨガ・テクニック

ヨガナンダのクリヤ・ヨガの技法はラヒリ・マハサヤのオリジナルの技法と異なっている点が多々あるようですが、特に SRF のセカンド・クリヤは全くオリジナルと関係ないようです。このことは Ennio Nimis から学んだのですが、SRF の技法が分からないのでちょっと消化不良でした。

First Kriya までは SRF のレッスンがネット上に PDF で転がっていました。さらに探索を続けていると、kriyayogaboard.yuku.com に SFR の技法が UP されていました。読んでみて SRF のセカンド・クリヤが本当に独自のものだと分かりました。

http://kriyayogaboard.yuku.com/topic/14/t/kriya.html

ここにはまだいろいろ情報がありそうですが、Ennio Nimis の PDF にある質問するとすぐ怒り出すグルらしき人の醜聞もありました。でもまさかラヒリ・マハサヤの直系の人が新興宗教に良くありがちなスキャンダルを引き起こしていたとは驚きです。もともとこの人はクリヤ・ヨガを教える資格が無かったようですが。

ここにもクリヤ・ヨガ、ヨガナンダの情報があります。
Paramahansa Yogananda: Life and Teachings

どれも読み応えのある記事満載ですが、驚いたのは Autobiography of a Yogi Online にあるヨガナンダがシュリ・ユクテスワからパラマハンサの称号を得たときのエピソードです。このオンライン版の Autobiography ですが初版に基づいていて(版を重ねるごとにいろいろ改変されているため)、他の資料からたくさん注釈が加えられています。そのなかにパラマハンサの称号を得たときのエピソードが他の資料ではどういうことになっているのか注記されている部分があるわけですが、どうもこれは冗談であったようです。ヨガナンダが尿意を催して排水溝で用を足したとき、シュリ・ユクテスワが言ったのが、「ヨガナンダがパラマハンサ[白鳥・偉大な魂]になった」という言葉だったというw
原文をおいておきますので自分の目で確かめてください。自伝はやはり注意して読まないといけませんね。

Here is an eyewitness story of "Yogananda getting the Paramhansa title":

[One] day, Ananda-da -- Ananda Mohan Lahiri -- was with us. It was almost nightfall. Maharaj ji [Yogananda's guru Yukteswar] was standing on the upstairs veranda and someone was standing next to him. Ananda-da and the writer [Dasgupta] were downstairs. Before going upstairs, Yoganandaji went to a drainage spot, a bit apart from the area, and began to urinate into the drainage passage. This caught Gurudev's [Yukteswar's] attention and he cryptically joked, "Yogananda has become a 'paramhansa' [great swan, or great soul]!" After urinating, Yoganandaji saw Ananda-da standing at the front door and quietly said, "Ananda-da! Did you hear? Swamiji [Sriyukteshvarji] called me a 'paramhansa!'" Later, Ananda-da laughed and said to the writer, "You'll see. Yogananda will one day use this title!" (Dasgupta, Sailendra. Paramhansa Swami Yogananda: Life-portrait and Reminiscences. Portland: Yoga Niketan. 2006. Online pdf. www.yoganiketan.net)

2010年10月27日水曜日

マハー・アヴァター・ババジ召喚のCD

Yogi Hari の マントラ集のCDが気に入ったので、Om Namo Bhagavate Vasudevaya と Om Sri Ram Jai Ram Jai Jai Ram のCDをmp3ダウンロードで購入しようとしたが、なぜかリンクがNGでダウンロードできず、何度かメールでの交渉の結果、ダウンロード購入はキャンセルして、CD 本体の購入に切り替えた。

その交渉の間、少し神経質になって、ほかにも何かいいマントラのCDが無いか、Amazon.com で検索をかけていて、異常に高い評価のCDを見つけた。“Cave of the Siddhars”である。サンプルを聴いてみると声が楽器の音に埋もれて、マントラは聞きとりにくい。少し迷ったが、高い評価を読むうちに購入することにした。Amazon.co.jp で検索すると在庫1となっていたのでそちらで注文する。南インドの行者の詠唱で楽器もいろいろあって楽しそうだ。

日本のAmazonのページではCDの表の写真しか載っていないが、アメリカのAmazonでは裏の写真も掲載されていて、そこにババジの絵が入っている。CDのジャケットにババジの姿を見つけたのは三度目で、一度目はビートルズのサージェント・ペパーズ、二度目はジョージ・ハリスンの“Dark Horse”だった。(ジョージ・ハリスンのCDはジャケットを知らずに中古を注文して、それが届いたのがヨガナンダの創立したSRFから日本語のパンフレットが届いたのと同じ日で驚いた思い出がある) どういうことか調べてみると、最後の第4トラックの説明に「このトラックは成就者の洞窟に私たちを導き、マハー・アヴァター・ババジやその他のシッダ達を召喚する」とある。なんとババジ召喚のCDである。

本家Amazonの評価で気になったのは、David R. Hawkins のキネシオロジー・テスト(意識レベルを1から1000のスケールで測定するもの)でこのCDが1000と測定されていることで、これも調べてみると本やCD、DVDの通販をしているサイトで商品に意識レベルを併記しているところがあり、そこでの測定結果に基づくようだ。だれが測定したのか分からないが、かなり期待できるのではないかと楽しみにしている。

2010年10月21日木曜日

マントラについて

Ennio Nimis の Kriya Yoga - synthesis of a personal experience を読んでいたら、マントラを唱えることが瞑想状態を深めるのに非常に役立つことが書いてあった。

クリヤ・ヨガでプラーナーヤマにおいて用いられるのは主にヴァースデーヴァ・マントラ(Om Namo Bhagavate Vasudevaya)だが、そのほかにも自分に合ったマントラを詠唱することが瞑想の深まりを加速するらしい。

自分に合ったマントラは自分の感覚で探すしかないが、Ennio Nimis のお気に入りはヴァースデーヴァ・マントラのほかにラムダスの用いた8音節のマントラ(Sri Ram Jay Ram Jay Jay Ram Om)だという。

詠唱するリズムとメロディーが分からないので YouTube を見るといろいろある。素人目にはいい感じなのだが、コメントに「ひどいアメリカなまり」とか書き込まれているので、インド人の詠唱を探すことにする。女性だと Anuradha Paudwal が好みなのだが、なかなか見つからない。それで最終的に Yogi Hari の A Garland of Moksha Mantras をダウンロードで購入した。

その中にヴァースデーヴァ・マントラも入っていて、今まで聴いていたのと違って音の長短に狂いが無くて良かった。どういうことかというと、ヴァースデーヴァはクリシュナを指すけれど、その意味はヴァスデーヴァの子。つまりヴァースデーヴァとヴァスデーヴァでは最初の音の長短でクリシュナとクリシュナの父が区別されるわけです。今まで聞いていたカナダ生まれのヨガの師のテープだとお父さんをたたえる詠唱になっていて、これでもいいのかなと思っていたけれど、やはりヴァースデーヴァが本当のようだ。

2010年10月18日月曜日

ナヴィ・クリヤの謎

私が師から授かったナヴィ・クリヤ(Navi Kriya)は両手で拳骨を作って、左右の拳骨の指の凸凹を組み合わせてぐりぐりとマッサージするようなもの。エネルギー(プラーナ)の無駄な消耗を防ぐというような説明だったような気がする。

さてある日、ヨガナンダを批判している伝統派のスワミの本を読んでいると、ババジとの対話が出ていて、そこで彼はババジにナヴィ・クリヤの回数について質問していた。ババジの答えは「前で100回、後ろで25回」。何のことかさっぱり分からなかった。

またある日ネット上でクリヤ・ヨガの技法を示しているページを見つけた。ナヴィ・クリヤも図入りで説明されていた。前というのはへそのあたり、ナヴィ・チャクラでオームを念想すること、後ろというのは背中側、マニプラ・チャクラでオームを念想することと分かった。

けれども、どうしてこの二つの技法が同じ名前で呼ばれているのか長い間分からなかった。

それが、Ennio Nimis: synthesis of a personal experience とナヴィ・クリヤを説明する動画を見て、長年の疑問が氷解することになった。

オームの念想とともに、組み合わせた両手の親指を合わせて、念想を入れている場所を軽く刺激するのが、ナヴィ・クリヤだったのだ。ネット上の技法からは手の運動が抜け落ち、私の師の技法からはオームの念想が脱落し、プラーナの流れを阻害する結節を破壊するというその目的もほとんど失われてしまっていたのだ。

伝統派のスワミによると、スリ・ユクテスワはナヴィ・クリヤをラヒリ・マハサヤから受けておらず、ヨガナンダもそれを知らなかったとのことだ。

2010年10月15日金曜日

Ennio Nimis の Kriya Yoga

Ennio Nimis: synthesis of a personal experience は彼のホームページから最新版がダウンロードできますが旧版がまだネット上に残っているようです。

ここにあります。
http://kriyababajinagaraj.com/KriyaYoga/16568238-Kriya.pdf

プロパティを見ると2007/10/15になっています。最新版と比べるといろいろ参考になる点が多いので、クリヤ・ヨガの探求者であれば保存しておくと役に立つと思います。

Ennio Nimis のおかげで、クリヤ・ヨガの技法について書かれている本を読んで理解不可能な部分や、意味不明の図版が分かるようになりました。

一例を挙げると私の受けたナヴィ・クリヤの技法とネット上で見る技法が全く違っていて、なぜそれが同じ名前で呼ばれているのか分からなかったのですが、その理由が分かりました。

結果だけいうと、私にその技法を伝授してくれた師は技法の一部分だけしか知らず、その意味も知らなかったと結論せざるを得ませんでした。

2010年10月13日水曜日

Talabya Kriya の概要

Ennio Nimis: A Personal Experience から Talabya Kriya の概要を紹介します。タラビヤは軟口蓋を意味します。ケーチャリ・ムドラを完成するための訓練方法です。著者は(たったの)3ヶ月でケーチャリ・ムドラができるようになったと書いてありました。

舌先は上顎の前歯の裏につけたまま、
できるだけ上顎の口蓋に舌全体を押し付けて、
下あごを下げると吸盤が吸い付いたような感じになる。
そのまま顎を下げることで舌小帯(舌の裏の真ん中のスジ)が引き伸ばされる。
そのまま顎を下げると舌は自然に離れてピチャッというような音がする。
元の位置に戻った舌を口から出して顎に向けてさし伸ばす。

最初は1日に10回まで。次第に50回まで増やす。
50回を約2分(110-120秒)でこなす。

舌先が軟口蓋の後ろに入るようになれば最初の段階のケーチャリ・ムドラの完成。 

多くの人々は Talabya Kriya を本能的に舌を後ろ向きに回して(垂直に保つ)間違って訓練するが、
これではまったく効果が無効になってしまう。極めて重要な点は、舌先を上の前歯の裏につけたまま舌を上口蓋に押し付けるすること。

一般的に知られている方法は舌を手で引っ張り出したり、舌小帯を剃刀で少しずつ切っていくもの、外科的な手術による場合あるようですが、ラヒリ・マハサヤは舌小帯を切ることには全く反対していたということです。

PDFの図版と紹介したホームページにある動画で、実際の舌の動きや音を確認してください。

2010年10月12日火曜日

Kriya Yoga の技法

私はある師からクリヤ・ヨガを学んだ後、それがラヒリ・マハサヤ直系の技法とかなり異なっていることを知って
ショックを受けたことがあります。またヨガナンダの技法にもいくつか改変されているところがあると知って、
困惑し、絶望してから何年たったことでしょう。

基本的な技法だけで成長する人もいるし、秘教的な技法を知っていてもなんら進歩しない人もいる。
結局、技法よりも、その人の持つ資質が問題なのだと思って、あきらめていたのですが…

そろそろ新しい情報が出ているかなと久しぶりにWebを探索していたら、決定的なものを見つけました。
クリヤ・ヨガの技法がすべて書かれているPDF(英文)です。
Ennio Nimis: A Personal Experience
http://www.kriyayogainfo.net/Eng_Downloads1.html

2007年にはすでにこれを公開している様だけど、日本語のページでひとつぐらいしか検索にかからないので情報を拡散させようと思い書き込んでいます。

Kechari Mudraを完成させるための Talabya Kriya のやり方も公開されています。
舌小帯をかみそりで少しずつ切っていかなくとも、ケーチャリ・ムドラを完成させる方法です。

とりあえず分からないところは飛ばしながらPart I を読み終えたました。
主にクリヤ・ヨガの技法を公開するにいたるまでの自伝的内容で、Part II から、彼が学び、検証した技法が詳細に書かれています。

2010年8月21日土曜日

ACIM Text の注解書の紹介

The Illuminated Text: Commentaries for Deepening Your Connection with a Course in Miracles

全7巻の予定で、現在3巻まで出ています。以前に奇跡の原理19が編集の過程でオリジナルの意義が壊されているのではないかと書きましたが、このコメンタリーにも同様の指摘がしてあったので、そう感じていたのは自分だけでなかったのだなとほっとしました。

アマゾンに書いた書評のコピーです。

A Course in Miracles の Text の注釈書で、現在第三巻まで発行されており、全7巻の予定。
これはその第一巻目でTextの第一章から四章まで扱われている。
FIP版のテキストに基づいているが、Urtextの情報をFIP版テキストに組み込んでいるのが特徴的である。
Urtextではキャピタリゼーション(単語を大文字表記で強調すること)が用いられているが、
HLC版、FIP版と編集の手が入る過程でかなりの部分が失われている。
そのUrtextの強調部分をFIP版テキストにアンダーラインを施すことで示しているので、
オリジナルのTextの意図を判別しやすくなっている。
なおUrtextの強調部分はヘレンの速記ノートの強調部分[アンダーラインで示されている]を
かなり忠実に再現しているので、編集者の意図がほとんど介入していないと考えられる。
FIPとUrtextで語句が変更されている場合はかぎ括弧にいれて原型を示している。
たとえばFIPでmindとある言葉がUrtextでもともとwillであったなどということがよく見られるが、
編集によって変えられた部分がUrtextを参照せずに一目で分かるので大変便利である。
またUrtextを参照していることによって、FIP版だけ見ていると気がつかない、
オリジナルの意味を理解することができるようにできている。
その一例を挙げると奇跡の原理Principals of Miracles の19がFIP版ではこうなっている。
Miracles make minds one in God.
They depend on cooperation because the Sonship is the sum of all that God created.
HLCもほぼ同じ。
Miracles make minds one in God.
They depend on cooperation, because the Sonship is the sum of all the Souls God created.
実はこの箇所はUrtextからHLCへの編集過程でオリジナルの意図がまったく改変されてしまったところで
FIPもHLCの過ちをそのまま受け継いでいるところである。それではUrtextを見るとこうである。
Miracles are an industrial necessity.
Industry depends on cooperation, and cooperation depends on miracles.
最初に与えられたのはこの形であった。Urtextの後の箇所でさらにこの文の前に
“Miracle makes minds one in God.”を付け加えるように指示されているのだが
よく見ると意味がまったく逆になっている箇所があることに気がつく。
[さらにUrtextではこのGodをChristに変えるように指示されているが、この注解書にも
そのことには触れられていない。]
FIP、HLCでは“They[Miracles] depend on cooperation.”だが、
Urtext では“…and cooperation depends on miracles.”
FIP版やHLCだけ見ていると、なるほどそういうものなのかとつい思ってしまうが、
Urtextの文章を見ると、愛[実在]の表現・現れである奇跡がすべての協力・協同の根拠であるのに、
FIPのようにその逆ではまったく意味を成さないことに気づくことができるだろう。
Urtextにはヘレンの書き取った文章を修正する指示も記されているが、
この箇所はその指示のない文章であって、明らかに編集者のミスだと思われる。
Urtextを参照することに意義あることを理解していただけると思う。

2010年7月25日日曜日

ACIM HLC Annotated Edition 正誤表追加

27G3
It tells you but the names you gave it to use,
It tells you but the names you gave to it to use,

27I12
Yet you need but learn you choose but NOT to listen, NOT to see.
Yet you need but learn you chose but NOT to listen, NOT to see.

HLC の E-TEXT 化の初期の段階で紛れ込んだらしく、Original Edition も Blue Sparkly もこのエラーを持っています。

2010年7月13日火曜日

ACIM Urtext-HLC Ch.11-20 Compare Report

残っていた校正読みがようやくChapter 20 まで済みました。ほとんどはコンマの脱落、キャピタリゼーション、文の区切りの修正です。ただしオリジナル・テキストの忠実なE-Text化を目指しているので、かえって読みにくくなっていることもあります。語句の脱落などの修正ははごく一部です。

Doug Thompson 校訂の Hugh Lynn Cayce Manuscript Annotated Edition の正誤表もPDFにしました。
Errata of ACIM HLC Manuscript (ISBN 978-0-9816984-1-0)

あとは21章から31章までの校正読みを入れて、コンマの処理などもう一度最初のほうの章を見直したいとおもいます。最初のほうはオリジナルと句読点が違っても、そのままにしてあるところがたくさん残っているはずなので。

2010年4月24日土曜日

a のゼロ乗が1なのは… 4

続けて「規則第15」を見てみましょう。

「それで特に注意しておかねばならない、根、平方、立方、等は、連比をなす量にほかならず、かつそれらには常に、すでに述べた、かの仮に定めた単位(unitas)が、前置されていると仮定されるのである。そしてこの単位に、比例の第一項は直接的にかつただ一つの関係によって、結ばれる。第二項は、第一項を介し、従って二つの関係によって。第三項は、第一項と第二項とを介し、三つの関係によって、等。それゆえ、代数において根といわれる量を、今後われわれは比例第一項(prima proportionalis)と呼ぶであろう。そして平方といわれる量を比例第二項(secunda proportionalis)と呼び、その他も同様に呼ぶであろう。」

デカルトは等比数列の比例第一項には仮に定めた単位が前置されているとしています。比は関係ですから関係する相手がいなければ成り立ちません。それが単位であり1なのです。単位に対する比を持つ数で最初に現れるものを一般化して表記すれば a [根]になります。単位に一つの関係で結ばれている数です。指数関数では底と呼ばれるので、この関数における根源的な存在に見えますが、すでにここに最初の関係が潜んでいたのでした。単位を定めなければ2とか3とかいってもなんの二倍であったり、三倍であるのか意味が成立しないのです。デカルトでは根が平方や立方と切り離しても成立するのにも驚きました。私は根を平方や立方から遡って導き出される数という印象が強かったので、単位に対する関係において根が成立するということに気がつきませんでした。あなたも aが何に何を一回掛けているのか、もう明晰かつ判明に理解することができるはずです。

『数学ガール フェルマーの最終定理』で aはこう言われていました。

「もっとも、指数が1のときは実質的に掛け算していないけれど、まあ分かるよね」 p.269

初めてこれを見たときと今では印象が全く変わっていることでしょう。明晰かつ判明に、実質的に掛け算されていることが分かりますね。a=1×a なのです。

それでは aはどうなるでしょう。単位に対して一つも比を持った関係がないのですから、単位が残るだけです。こうして aは単位に a を一度も掛け算しないこと、ゼロ乗は単位のみを示すことになり、従っていかなる数でもゼロ乗は 1 となるのです。指数法則を成り立たせるために aを 1 にするしかないというよりも、直感的に理解できるはずです。

こう考えると理解不能の0も 1 にゼロを一回も掛け算しないと考えれば 1 になります。0を底とした指数関数でゼロのマイナス乗を考えると、どうしても0の除算が入り込むので、そちらの方に矛盾が生ずるように思います。まあ文系なので変なことを言っているかも知れませんが、大目に見て、笑っていただけるとうれしいです。

a のゼロ乗が1なのは… 3

さてオリジナルのデカルトまで戻ってみるとどんな光景が展開するでしょうか。まずは『精神指導の規則』(野田又夫訳)の「規則6」から見ていきましょう。

「例えば6という数が3の二倍であることを想い浮かべたとすれば、私は次に6の二倍すなわち12を求めるであろう。そしてまだ興味があればさらにこれの二倍すなわち12を、さらにその二倍すなわち48を、そして以下同様に、求めるであろう。そしてここから容易に、同じ比が3と6との間にも、6と12との間にも存すること、同じく12と24との間等々に存すること、従って数 3,6,12,24,48 等は連比をなすことを、演繹するであろう。実にこのことからして私は、たとえこれらすべてがきわめて明瞭でほとんど子供じみて見えるにもせよ、注意深い反省によって次のことを理解するのである、すなわち、事物の比例すなわち関係(proportio sive habitudo)について提起されうるあらゆる問題が、いかなる構造を内に蔵しているか,またいかなる順序に従ってこれらの問題は探求されるべきであるか、を。そしてこれだけのことの中に、純粋数学の核心全体が含まれているのである」

デカルトが純粋数学の核心全体が含まれているものとして注目したのが連比をなす数列で、等比数列です。ここに現れている数列は二倍々々になっていますから 3(2)で表すことができます。そしてこの比を関係とも呼んでいることに注目して下さい。次に2aのようなデカルト的表記法について述べているところを「規則16」で見てみましょう。

「それゆえ、困難の解決に当たって、一まとまりのことと見なすべき事柄はすべて、ただ一つの記号によって表示することにする。この記号は任意に作ってよい。けれども、分かり易いように、文字a,b,c 等を既知量を表すに用い、A,B,C 等を未知量を表すに用いよう。そしてしばしばそれらの量の数(multitudines)を示すために、1,2,3 等の数字を文字の前につけ、またそれらの量が含むと考うべき関係の数(numerus relationum)を示すためには、数字を文字の後へつけよう。そこで、例えば2aと書けば、これは、a なる文字によって示されかつ三つの関係を含むところの量の、二倍、というに同じである」

ここでも関係の数が出てきました。指数を関係の数ととらえるのは何を意味しているのでしょうか?

関係の数とは、連続的な順序において相継ぐ比と解すべきである。これらの比を、人々は、通常の代数においては、多くの次元と図形とによって表わそうと努め、その第一を根(radix)と呼び、第二を平方(quadratum)、第三を立方(cubus)、第四を二重平方[平方の二乗](biquadratum)などと呼ぶ。実をいうと私自身も、かかる名称に長い間欺かれていた。なぜなら、線と正方形とについでは、立方体やその他これらに似せて考え出された図形ほど明晰に、私の想像に示されうるものはない、と思われたし、また実際これらを用いて少なからざる困難を解決もしたからである。」

ここで第一、第二、第三…といわれているのが関係の数を示しているのですが、ここではそれが従来、根・平方・立方・二重平方などと幾何学的表象を伴った名で呼ばれていることに注意しましょう。アリストテレスの権威のもとでは同じ数学であっても、幾何学と代数は全く別の対象を扱うものと受け取られていましたが、根・平方・立方などと言って幾何学的な学問領域に属するように見えても、それは代数で扱われる抽象的な、連続的な順序において相継ぐ比の数として理解することができ両者を普遍数学(Mathesis universalis)に包括できるとデカルトは気づいたのです。そしてこれからは、根・平方・立方などという言葉にに欺かれぬよう、これらの言葉を捨て去ろうと呼びかけます。

a のゼロ乗が1なのは… 2

次に『数学ガール フェルマーの最終定理』結城浩著での扱いを見てみましょう。

「2(2の3乗)という数式を見たとき、僕たちは<指数>--つまり2の右肩に乗っている3のこと--は2を<掛ける個数>を表していると習う。」
=2×2×2
「え、それ、まちがいなの?」ユーリが言った。
「いや、まちがいじゃない。完全に正しい。もしも指数が1,2,3,4,...ならば、指数は<掛ける個数>を表しているといってもいい。もっとも、指数が1のときは実質的に掛け算していないけれど、まあ分かるよね」
p.269

至極まともなことを言っているように見えますが、デカルトに戻って考えてみると、「もっとも、指数が1のときは実質的に掛け算していないけれど、まあ分かるよね」、ここに疑問符が付くことになります。それは後のお楽しみにしてゼロ乗の説明を見てみましょう。

「では指数が0のときはどうだろう。2の値は?」と僕は言った。
「それは0でしょ」とユーリが言った。
「え、1ですよね」とテトラちゃんが言った。
「テトラちゃんが正解。2は1に等しいんだ」
=1
「え、なんで?掛ける個数が0個だよ。なのに0じゃないわけ?」
「……テトラちゃんはなぜ2=1になるか説明できる?」
「え、あたし、ですか。……うまく説明できません。すみません」
「こんなふうに考えると納得がいく。2,2,2,2,2のように指数を1づつ減らしていくとしよう。そうすると、計算結果はどのように変化するかな」
p.270

さて計算してみると答えは、16,8,4,2と指数が一つ減るごとに2分の1になっています。すると2は2=2の2分の1、すなわち1となります。

「2の半分だから……あ、1になるのか。へえ。2=1なんだ」
「そうだね。だから、2=1と定めることにする。」
「えー、でもー、なんだか納得いかにゃい」
p.270

とうとうネコ言葉になってしまいました。それでこんなことを言われることになります。

「ほらほら、発想が<掛ける個数>にまた戻っているよ。あのね、指数を<掛ける個数>だと考えている限り、納得することはないんだよ。納得したとしても、なんだか無理矢理こじつけたような気分になる。」 p.271

このあと<掛ける個数>、<2を何回掛けたか>という発想から離れて、指数法則自体から、指数法則を守るように指数を定義するという方向に導かれます。

「たとえば2の値を調べよう。指数は指数法則を満たす。
×2=2s+t
だから、指数法則にs=1,t=0 を代入した等式も成り立たなくちゃ困る」
×2=21+0
「へえ……それで?」
「右辺の指数1+0=1 を計算すると、次の等式が成り立つ。
×2=2
指数法則から2の値はわかる。2=2 だ。よって次の等式を得る。
2×2=2
両辺を2で割れば、2の値が1 に定まるね」
p.273

しかしこれこそ「なんだか無理矢理こじつけたような気分になる」 のではないでしょうか? 著者は早く何個掛ける発想から卒業しないといけないぞというのですが、文系の私はついネコ言葉を使いたくなってしまいます。

2010年4月23日金曜日

a のゼロ乗が1なのは… 1

デカルトの『精神指導の規則』(Regulae ad directionem ingenii)を読んでいて、なぜa0=1 になるのかスッキリと[デカルト的に言うと“明晰かつ判明に”]理解できましたので、ちょっと書いてみようと思います。もともと、既知数を a、b、c、未知数を x、y、z 等で表し、その量を表す数字をa、b、c 等の前に付け、累乗の数を後ろに付けるというのはデカルトの発案です。(ただし最初は未知数は大文字でA、B、C 等と書かれました。)

一般的に数学書を見ると、ゼロ乗と考えるから理解できなくなる、指数法則から理解するように書いてあります。でもそこで、何かごまかされたような気がしてしまうのですね。まず『関数の話 上巻』大村平著の説明を見てみましょう。

最初に指数法則が解説してあります。例と一緒に示すとこんな感じです。
an×am=an+m 
a2×a3=a×a×a×a×a=a5

(an)m=an×m
(a2)3=(a×a)3=(a×a)(a×a)(a×a)=a6

a-n=1/an
a-1=1/a  a-2=1/a2

am/an=am-n
a4/a2=a×a×a×a/a×a=a×a=a2

このあと分数乗の意味を解説し、最後にゼロ乗が何を意味するのか解説してあるのですが、それを見てみましょう。

「 すべての値はゼロ乗すると1になるというのですから、ずいぶん強引な約束ごとのように思えますが、つぎのように考えると、これも理にかなった約束であることがわかります。前節の知識を利用すると
a-n×an=a-n+n=a0
ですし、いっぽう
a-n×an=an/an=1
ですから、この両方を較べてみると、なるほど
a0=1
に違いありません。」

たしかにそうですけど、でもそれではゼロ乗ってなんなのと文系のわたしは思ってしまうわけです。 

2010年4月20日火曜日

ACIM Annotated HLC の注の注、etc.

Doug Thompson の Annotated HLC の注を読んでいると疑問に感じるところがいくつかあったので問題となる注に注釈を付けてみました。ネイティブでも間違うときは間違うものですね。もちろん私の勘違いと言うこともあるでしょうから検討してみて下さい。ついでにWeb 上の Scholar's Toolbox の Urtext、FIP Text にある誤植等を付記しました。HTML 版のテキストはPDFなどより格段に扱いやすい(ワードにコピーしても崩れが少ない)ので、修正してもらえるとうれしい。

12 B 7.
“Bring to light” simply means “reveal.” “Bright to the light” means bring to God ...
Bright は Bring の誤植でしょう。

15 D 11.
The host of God needs not seek to find anything.
host は集合名詞で、複数を表しているので、動詞は need でなければならないというのですが...
“host” はたくさんの人や物をを意味することがあります。その場合お客をもてなす人という意味はないようです。このままにするか、意味的に複数でなければならないなら、hosts ... need にするかの二者択一でしょう。
ちなみに ノートも Urtext も host ... need で問題を持っています。

21 E 2.
your eyes will light on sin
light は alight の縮約形と考えて、それを示すために、’light という表記が選択されています。ところが light を縮約形と考えなくても alight の意味を持つようです。但しコンコーダンスのために光を意味する light と区別するために表記を変えるのであれば意味はあります。語源的に言うと、光るの light と 軽いの light は別の系統の言葉。ここは荷物を降ろして軽くなるとかの軽いの系統の方で、鳥が枝に降りるとか目をとめるの意味を持つ light です。以下辞書からの引用です。

Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary
6light 6
1 : DISMOUNT
2 :
SETTLE, ALIGHT <a bird lit on the lawn>
3 : to fall unexpectedly ― usually used with on or upon
4 : to arrive by chance :
HAPPEN ― usually used with on or upon <lit upon a solution>

Random House Webster’s Unabridged Dictionary
light 3
/luyt/, v.i., lighted or lit, lighting.
1. to get down or descend, as from a horse or a vehicle.
2. to come to rest, as on a spot or thing; fall or settle upon; land: 
The bird lighted on the branch. My eye lighted on some friends in the crowd.
3. to come by chance; happen; hit (usually fol. by on or upon):
to light on a clue; to light on an ideal picnic spot.
...
[bef. 900; ME lihten, OE lihtan to make light, relieve of a weight; see LIGHT2]

26 F 8.
And how much can his own delusions about time and place affect a change in where he really is?
UHA:affect FC:effect
C では FIP と同じく effect に校訂していたのに、A で再び affect が正しいとされたところです。affect は影響を及ぼすで、effect は[変化を]もたらす、作り出すほうです。ここでは change を目的語としているので混同しやすいのですが、change に影響を与えるのではなく、change を生みだしているので、effect です。発音上は同じになるので聞き書きだと特に混同されやすい言葉です。語源から見ると affect はラテン語の ad-(=to)+ficio(する)で何かに働きかけること、effect はex-(=out)+ficioで外に働きかけること、作り出すことです。下は辞書に載っている一例ですが、他の辞書でも effect a change として挙げられています。

Longman Dictionary of Contemporary English
effect2 v [T]
formal to make something happen
Many parents lack confidence in their ability to effect change in their children's behaviour.
HINT sense 1
Do not confuse with the verb affect (=to have an effect on something).

31 E 6.
FIP は HLC の “sure and happy” を “thankful” に変えているというのですが、これは錯覚です。 センテンスの3と4を混同しています。ここには両者に違いはありません。
31.V.16.  3 ... but be you thankful that the learning of the world is loosening its grasp upon your mind.  4 And be you sure and happy in the confidence that it will go at last, ...

Scholar's Toolbox の Urtext にある脱落
10 B 12.
You cannot be happy unless you do what you will truly, and you CHANGE this, because it is immutable.
You cannot be happy unless you do what you will truly, and you cannot CHANGE this, because it is immutable.
UHF:cannot

Scholar's Toolbox の FIP Text にある誤植、脱落のリスト
3.IV.4. (HTML)
3 The term “rright-mindedness
3 The term “right-mindedness

3.V.7. (HTML)
5 Perception, on the other hand, is impossible without a belief in “more” and “rless.”
5 Perception, on the other hand, is impossible without a belief in “more” and “less.”

5.VI.10. (HTML)
8 His verdict will always be “thine is the Kingdom,because
8 His verdict will always be “thine is the Kingdom,because

6.I.6. (HTML and PDF)
4 Rather , teach your own perfect immunity, which is the truth in you, and realize that it cannot beassailed.
4 Rather , teach your own perfect immunity, which is the truth in you, and realize that it cannot be assailed.

21.I.6. (HTML and PDF)
2 hole song has stayed with you,
2 Not the whole song has stayed with you,

26.VIII.3. (HTML and PDF)
4 Salvation wouldwipe out the space you see between you still
4 Salvation would wipe out the space you see between you still

28.III.3 (HTML and PDF)
3 ot allow your brother to be sick, for if he is, have you abandoned him to his own dream by sharing it with him.
3 Do not allow your brother to be sick, for if he is, have you abandoned him to his own dream by sharing it with him.

ACIM Annotated HLC 正誤表

略号を用いて各テキスト間の異同を示しています。
N は速記ノート、U は Urtext、H は HLC、F は FIP、R は HLC Replica、C は Corrected HLC、A は Annotated HLC です。テキスト間の異同を示したのは、誤植と思われる箇所を訂正した場合に、他のテキストとの一致が見られれば、校訂によって変えられたのではなく、単なる不注意のためであると考える根拠になるからです。

4 B 5.
lead to the relinquishment, NOT destruction, of the ego
lead to the relinquishment (NOT destruction) of the ego
UH: (NOT destruction)
FCA: , NOT destruction,

6 A 1.
and that YOU are in no way responsible.
and that YOU are in no way responsible for it.
NUF:for it
HLC 以外のすべてのバージョンに存在するので、不注意の脱落と考え補完する

6 H 4.
Yet is still a lesson in thought reversal,
Yet it is still a lesson in thought reversal,
UH:Yet it is

7 F 13.
because I am with you, and I cannot forget Him.
because I am with you, and I cannot forget Him.
UH:I アンダーラインの脱落。

8 K 7.
You will beanswered as you hear the answer in EVERYONE.
You will be answered as you hear the answer in EVERYONE.

9 C 9.
YOU know it because I know it,
YOU know it because I know it,
UH:I アンダーラインの脱落。

10 D 3.
Out of your joy you will create beauty in His name,
Out of your joy you will create beauty in His Name,
N7HF:Name UCA:name

11H11
For we are there in the peace of the Father, who wills to project His peace through YOU.
For we are there in the peace of the Father, Who wills to project His peace through YOU.
UHF:Who CA:who

13 B 7.
and He has given you the power to create the witnesses to your fatherhood in Heaven. Deny a brother here, and you deny the witnesses to your fatherhood in Heaven.
and He has given you the power to create the witnesses to YOURS, which is as HIS. Deny a brother here, and you deny the witnesses to your fatherhood in Heaven.
脱落箇所の補完にミスがある。“to your fatherhood in Heaven” が重複し、補完すべき “to YOURS, which is as HIS.” が脱落している。

16 E 11.
Hear not the call of hate, and see no fantasies, for your completion lies
Hear not the call of hate, and see no fantasies. For your completion lies
そのままの方が読みやすいが、補完箇所を U と H に忠実に写すとこうなる。

18 J 9.
Let your Guide TEACH you their insubstantial  nature
Let your Guide TEACH you their unsubstantial  nature
U:UNsubstantial  HF:unsubstantial CA:insubstantial

19 L 8.
For he WILL receive of you what YOU received of him.
And he WILL receive of you what YOU received of him.
UF:And

19 L 14.
to see this purpose in your holy Friend, and recognize it is your own.
to see this purpose in your holy Friend, and recognize it as your own.
UHF:as

20 B 3.
Easter is not the celebration of the COST of sin, but of it’s END.
Easter is not the celebration of the COST of sin, but of its END.
UF:its

24 C 8.
His need to give it is a great as yours to have it.
His need to give it is as great as yours to have it.
UHF:as

24 C 12.
compromise that would establish sin love’s substitute,
compromise that would establish as sin as love’s substitute,
ノートにしたがって as を補完する。Doug の “Urtext Manuscripts Complete Seven Volume Combined Edition” に従ったもの。

24 D 3.
Illusions leave it perfectly unmoved and undisturbed.
Illusions leave it perfectly unmoved and undisturbed.
extra underline
補完箇所を示すアンダーラインが余分に付いている。

25 I 5.
a mind that can conceive of specialness at tall.
a mind that can conceive of specialness at all.
H:all

25 I 6.
And deep suspicion and the chill of fear comes over them 
NHF:comes  U:come
主語と動詞で数の一致が崩れているところ。この場合は少数派だが U が正しいと思われる。

25I8
What could He be to them except a devil dressed to deceive, within an angel’s cloak.
What could He be to them except a devil dressed to deceive, within an angel’s cloak?
UH:?   FRCA:.

26 E 3.
And here does every light of heaven  come,
And here does every light of Heaven  come,
UHF:Heaven

27 I 11.
I  have done this thing, and it is this I would undo.”
I  have done this thing, and it is this I would undo.”
NH:I アンダーラインあり U:I  F:I (Italic)

28 C 12.
because the mind acknowledges “this is not done to me, but I am doing this.”
because the mind acknowledges “this is not done to me, but I am doing this.”
UH:I  F:I (Italic)

28 D 5.
and as insubstantial as the empty place between the ripples that
and as unsubstantial as the empty place between the ripples that
U:Unsubstantial  HF:unsubstantial CA:insubstantial

 

コンマの脱落
1 B 52b
Since the miracle aims at RESTORING the awareness of reality it would
Since the miracle aims at RESTORING the awareness of reality[,] it would 
印字が消えているところ。Urtext と FIP にあるので、補完する。

1 B 52c.
The power and strength of man’s creative will must be understood before
The power and strength of man’s creative will must be understood[,] before
印字が消えているところ。Urtext にあるので、補完する。

1 B 53b.
Only God can establish this solution and THIS faith
Only God can establish this solution[,] and THIS faith
印字が消えているところ。Urtext と FIP にあるので、補完する。 

4 B 10.
ANY confusion on this point is a delusion and no form
ANY confusion on this point is a delusion, and no form
UHF:,  C と A で脱落。

6 C 9.
You perceive FROM your mind and extend your perceptions outward.
You perceive FROM your mind, and extend your perceptions outward.
UH:,  F: -   C と A で脱落。

6 C 10.
He tells you to return your whole mind to God BECAUSE IT HAS
He tells you to return your whole mind to God[,] BECAUSE IT HAS
印字が消えているところ。Urtext と FIP にあるので、補完する。

6 C 10.
The ego cannot prevail against this because it is
The ego cannot prevail against this[,] because it is
印字が消えているところ。Urtext にあるので、補完する。

7 J 2.
because it is part of Him and shares His Being with Him.
because it is part of Him, and shares His Being with Him.
UF: -  H:,  C と A で脱落。

7 J 3.
It does not wish to CONTAIN God but
It does not wish to CONTAIN God, but
UHF:,  C と A で脱落。

7 K 3.
ALWAYS sides with you and with your strength.
ALWAYS sides with you, and with your strength.
UF: -  H:,  C と A で脱落。

8 D 8.
your wrong decisions are undone COMPLETELY releasing you AND
your wrong decisions are undone COMPLETELY[,] releasing you AND
印字が消えているところ。Urtext と FIP にあるので、補完する。

8 F 5.
its value lies in God’s sharing Himself with it and ESTABLISHING
its value lies in God’s sharing Himself with it, and ESTABLISHING
UF:-  H:,  C と A で脱落。

8 G 14.
the body as a means of attack of any kind and to entertain
the body as a means of attack of any kind, and to entertain
UH:, C と A で脱落。

8 I 8.
If you are sick you are withdrawing from me.
If you are sick, you are withdrawing from me.
UH:, C と A で脱落。

8 J 4.
look into what YOU have hidden and perceive the Will
look into what YOU have hidden, and perceive the Will
UH:, C と A で脱落。

8 J 8.
that there IS no God or that GOD’S WILL IS FEARFUL.
that there IS no God, or that GOD’S WILL IS FEARFUL.
UH:,  C と A で脱落。

8 K 7.
Do not listen to anything else or you will not hear truth.
Do not listen to anything else, or you will not hear truth.
UH:,  C と A で脱落。

10 B 5.
Extension cannot be blocked  and it HAS no voids.
Extension cannot be blocked,  and it HAS no voids.
UHF:,  C と A で脱落。

10 D 5.
For your Father IS your Creator and you ARE like Him.
For your Father IS your Creator, and you ARE like Him.
UHF:,  C と A で脱落。

15 G 7.
For communication is remembered TOGETHER as is truth.
For communication is remembered TOGETHER, as is truth.
UHF:,  C と A で脱落。

16 E 6.
you perceive hatred within  and are AFRAID of it.
you perceive hatred within,  and are AFRAID of it.
UHF:,  C と A で脱落。

23 D 3.
It is denied where compromise has been accepted for compromise is
It is denied where compromise has been accepted, for compromise is
U:. For   HF:, for   C と A でコンマが脱落。

31 C 1.
Whatever form his sins appear to take it but obscures the fact
Whatever form his sins appear to take, it but obscures the fact
UHF:,  C と A で脱落。

校訂内容の脱落
And it is God Whom you must offer them, to recognize His gift to YOU.
And it is God to Whom you must offer them, to recognize His gift to YOU.
UHF:Whom C:to Whom
Corrected HLC で Whom を to Whom に校訂していたところが、書籍版の Annotated HLC(Corrected HLC の第二版に相当する)では脱落していた。HTML 版の HLC テキストでは既に修正されて、注も復活している。

2010年4月13日火曜日

ACIM における文語調の仮定法

ACIM を読み始めて、最初は何処がシェイクスピア風なのかさっぱり分かりませんでしたが、文法の古くさいところがようやく少し理解できるようになりました。

仮定法現在もちらほらでてきますが、これは現代英語の文法で理解できます。でも次の文章は今の英語からするとちょっと変です。HLC 25 I 1. を引用します。FIP 版(25.VIII.1.)とほとんど変わりません。

25 I 1.  The Holy Spirit can use all that you give to Him for your salvation. But He cannot use what you withhold, for He cannot take it from you without your willingness. For if He did, you would believe He wrested it from you against your will. And so you would not learn it IS your will to be without it. You need not give it to Him wholly willingly, for if you could, you had no need of Him. But this He needs; that you prefer He take it than that you keep it for yourself alone, and recognize that what brings loss to no-one you would not know. This much is necessary to add to the idea no-one can lose for you to gain. And nothing more.

Doug の注によると、下線を引いた had は would have に訂正しないといけないように見えるけれども、これは仮定法[subjunctive mood、他の言語では接続法と訳されますね]で、このままで正しいとあります。しかし仮定法過去とすると、would have でなければならないのに、had で問題ないとはどういうことでしょうか? かなり悩みましたが、実はこれがシェイクスピア風なんですね。シェイクスピアの例文を挙げるとこんな文章があります。『ジュリアス・シーザー』からです。

He were no lion, were not Romans hinds.

これを現代英語に書き換えると
He wouldn’t be a lion, if Romans weren’t hinds.

シェイクスピアの文章に戻ると、条件節の if が省略されて主語と動詞の倒置が起こっているので、were not Romans hinds が 条件(if)節です。帰結節では would be ではなく were が使われていますが、シェークスピアの頃の英語では would(should) be や would(should) have の代わりに、それぞれ were や had を用いていたということです。そういうわけでyou had no need of Him も仮定法過去の帰結節として問題なく読むことができることになります。(『歴史的にさぐる現代の英文法』大修館、p.144を参考にしました。)

2010年3月22日月曜日

ACIM FIP 版における will と mind

FIP 版では、Urtext や HLC で will となっている言葉を様々に書き換える傾向があります。Will は現象の世界を越えた真実のあり方においてのみ用いるのがふさわしいと考えているようです。意図は分かるのですが、言葉を書き換えれば済むのでしょうか?

HLC と FIP を比較してみましょう。HLC 8E12 と、それに対応する FIP 8.V.1.5 - 2.3 です。

HLC 8E12.  Help them by offering them YOUR unified will on their behalf, as I am offering you mine on YOURS. Alone we can do nothing, but TOGETHER, our wills fuse into something whose power is far beyond the power of its separate parts. By NOT BEING SEPARATE, the Will of God is established IN ours and AS ours. This will is invincible BECAUSE it is undivided. The undivided will of the Sonship is the perfect creator, being wholly in the likeness of God, Whose Will it IS. YOU cannot be exempt from it, if you are to understand what IT is and what YOU are. By separating your will FROM mine, you are exempting yourself from the Will of God Which IS yourself.

FIP 8.V.1.5-8  Help them by offering them your unified mind on their behalf, as I am offering you mine on behalf of yours. Alone we can do nothing, but together our minds fuse into something whose power is far beyond the power of its separate parts. By not being separate, the Mind of God is established in ours and as ours. This Mind is invincible because it is undivided.
8.V.2.1-3  The undivided will of the Sonship is the perfect creator, being wholly in the likeness of God, Whose Will it is. You cannot be exempt from it if you are to understand what it is and what you are. By the belief that your will is separate from mine, you are exempting yourself from the Will of God which is yourself.

ピンクは変更されているところ、青は HLC と FIP で書き換えられていない will です。分離した意志と統合された意志について述べられています。FIP はもともと一つであった段落の途中で段落を分けて、前半では will を mind に書き換え、後半ではそのままにしています。

前半[8.V.1]の中だけでも分離した意志と統合された意志が出てきます。分離した意志だけ mind に変えて統合された意志をそのままにすると、読んで意味不明な文章になるので、統合された意志の方は 大文字の Mind にされています。

後半[8.V.2]になると分離していない will と見て、mind に変えないでそのままにしています。“By separating your will” を “By the belief that your will is separate” と変えているのは、分離しているように見えるのは錯覚で実は分離していないのだから、「分離することによって」というのは表現上に問題があると考えたものでしょう。それで「分離していると信じることによって」として、その分離が錯覚に過ぎないことに矛盾しない表現になっています。

ここでも分離している[と錯覚している]意志ですから、FIP の編集方針に従えば will を mind に書き換えるべきかもしれませんが、そうすると分離した意志と統合された意志、神の意志とのつながりが見えにくくなります。錯覚の世界と真実のあり方との二つのレベルを明確にするために用いる言葉を使い分けようとしても、どうしても統一できないのは、編集方針に無理があるからでしょう。

will を will と mind に書き分けずとも、「分離した」、「統合された」、「分割していない」という言葉によってたやすく読み取ることができるので、無理に手を加える必要があったのか疑問です。“Absence from Felicity” にヘレンが原稿を良くしようとして手を加えると結局矛盾が生じて、なるべく手を加えない方が良いというビルの方針に従わざるを得なくなる話がありますが、それは FIP 版にも当てはまるように思います。

2010年3月18日木曜日

スピノザとゆるし

上野修『スピノザの世界』にスピノザとゆるしについて書いてありました。『エチカ』第2部の末尾に、自由意志があると思っているのは錯覚で存在しないということを理解すると、「実生活のためにいかに有用であるか」ということが述べてありますが、これがゆるしに繋がるというのです。実際に「ゆるし」ということばがスピノザの原典にあるのか確認してみるとありませんでした。「ゆるし」として理解したのは著者の解釈であることが分かりましたが、ACIM に興味を持つものとして面白いので、以下に引用してみましょう。括弧内が上野氏の解釈になります。

1. この説は、安らぎと最高の幸福を教え、正しい生き方がおのずとできるようになる効果をもたらす。(自分をゆるしてやること)

2. この説は、運命に振り回されない力を与えてくれる。(神と世界をゆるしてやること)

3. この説は、人々との社会生活に寄与する。(人間をゆるしてやること)

4. この説は、共同社会のために寄与する。(社会をゆるしてやること)

スピノザ自身の翻訳はこちらにあります。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#notee2

2010年3月15日月曜日

Long s の話

前からスピノザが気になって岩波文庫の翻訳はすべてそろえてみました。けれどもあのスタイルなのでなかなか読めません。

そのうちスピノザを理解するにはデカルトを勉強しないといけないということに気づき、原典をhttp://www.archive.org/で探してダウンロードしました。

シャルル・アダンとポール・タンヌリの全集(全12巻)の古い方(1897-1910)が版権が切れていて手に入ります。早速見てみるとラテン語が何故か読めません!

訳語の原語をチェックしたいだけなのですが困りました。しばらく眺めている内に、どうも f に見える活字が s なら意味が通じそうです。それでE-Text 化されている epub の方を見てみましたが綴りは同じです。OCR で認識させただけのようで、m が rn になっていたり、安心して使えるものではなさそうです。

確か細長い s の活字があったような気がして調べると、Long s というものでした。s のくせに f に似て左側の出っ張りまで付いていることがあります。ユニコードのU+017F です。 ſ これです。フォントによっては左側の出っ張りが見えないと思います。esse が eſſe になります。語尾には使われないようです。

参考になったサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/Long_s
http://en.wikipedia.org/wiki/Long_s
http://www16.ocn.ne.jp/~kageyama/Chapter5_ReadingCaxton.html

ACIM Compare Report アップしました

HLC - FIP Compare Report の残りの部分をアップロードしました。細かく見ていけばいろいろ修正点があると思いますが、とりあえず区切りを付けて UP しました。HLC - FIP Compare Report

HLC の Doug Thompson が校訂したテキストを元に、明らかなスペリングミス以外はできるだけオリジナルのテキストに戻しています。オリジナルを見ると違いが無いのに校訂後のテキストを見ると違いがあるように見えることがあるので、それを避けるためです。

HLC のテキストを見直したついでに Urtext と HLC のCompare Report も見直し、修正して UP しました。
Urtext - HLC Compare Report

当初は自分で比較しながら、自分の判断を加味して正しいと思うテキストを本文にするつもりでしたが、HTML にいろいろ情報を埋め込むことができるようになったので、各版の異同をポップアップで表示し、各人がそれを参考にして判断できるように方針を変えました。まだインフォメーションの入力が十分でないので、その点は Doug Thompson のテキストに付された脚注を参考にして下さい。

これを作成するときに、サイズの大きいPDF を同時にたくさん開いて作業したため、たびたび Acrobat がクラッシュして閉口しました。PDF を開かなくても、これだけで判断できるくらい情報を充実できればいいのですが、少しずつ修正を入れていきたいと思います。

FIP版命の人も、何か疑問が生じたら、Urtext や HLC との異同を確認してもらえると、ヒントがあるかも知れません。

2010年3月6日土曜日

ACIM, 30.IV.2. Woolly Bear って何?



電子辞書を使うと普段見逃してしまいそうな熟語など自動的に表示してくれるので助かります。やさしい言葉に深い意味があったりするんですね。では FIP で 30.IV.2.2 を引用してみます。

A child is frightened when a wooden head springs up as a closed box is opened suddenly, or when a soft and silent woolly bear begins to squeak as he takes hold of it.

それで今回は Woolly Bear です。毛がふさふさしたテディ・ベアーみたいですね。どうしてこのことばに引っかかったかというと FIP で woolly になっているところが HLC で wooly と綴られていてこれがミススペリングか英国式の綴りか確かめようとしたのです。そうすると意外にもアメリカ英語の綴りでした。それだけだったら何でもないのですが、woolly bear で辞書に見出しがあるのです。

なんと毛虫です。とくにタイガー・モスの幼虫を指します。インターネットで調べてみると頭とお尻が黒で中間が黄色のタイガーっぽい毛虫が出てきました。それでは上の文章を訳してみましょう。

子供は、閉じられた[びっくり]箱が開いたとたん木でできた頭が飛び出たり、柔らかくてものを言わない woolly bear をつかんだとたんにキューキュー 鳴き出すと、こわがる。

これはどうも毛虫のような気がするのですが、果たしてそんなおもちゃがあちらにあるのでしょうか? それでまたgoogle に相談すると、Woolly Bear で結構ふさふさのテディ・ベアーがヒットします。やはりお腹を押さえるとキューキュー鳴くテディ・ベアーなのでしょうか?

しばらく探してみるとやっぱりありました。本物そっくりの色をした毛虫のおもちゃです。これがACIM が書き留められた1960年代からあるのかどうか分かりませんが、私の中では毛虫のおもちゃで決着しそうになりました。

けれどもこの後の文章で woolly bear を単に bear と表記しているのでやはり テディ・ベアーなんでしょうね。残念。

2010年3月5日金曜日

ACIM の句読点

ヘレンの句読点が過剰でワプニク博士がかなり整理したというのは有名な話ですが、FIP 版でもヘレンの句読点の癖を知らないと読めない場合があります。

ノートを見るとピリオドの代わりに // が使われています。但しピリオドに厳密に一致しているのではなく、句などの区切りでも用いられています。想像するにイエスのディクテーションの区切りでこのマークが入っているように思います。FIP でこの過剰な句読点がそのまま残っているところを見つけたので検討してみましょう。

25.VIII.7.1-2  So do they think the loss of sin a curse. And flee the Holy Spirit as if He were a messenger from hell, sent from above, in treachery and guile, to work God’s vengeance on them in the guise of a deliverer and friend.

二つ目の文章ですが flee は他動詞で“聖霊から逃げる”を意味しています。自動詞であれば flee from となるところです。ACIM ではしばしば倒置が用いられているので聖霊が主語の可能性を考えても、“聖霊が逃げる”[自動詞]ではおかしいですね。

この文章には主語がないので命令文に見えます。けれども「聖霊から逃げよ」ではおかしいですね。ここは And のまえのピリオドをコンマに読み替えて flee の主語として前の文章の they を受けていると理解しなければ読めません。そうして訳してみると…

「それで彼らは罪を失うことを災いとみなして、聖霊から逃げる。あたかも彼が地獄からの使者、裏切りと策略のうちに、救助者や友のふりをして、神の復讐をなすために、天から送られてきた者であるかのように思って。」

コンマやピリオドを単なる区切りとして適当に読み替えないと普通の文章にならないことがあると頭の中に入れておきましょう。

ACIM の誤植

各バージョンを比較していると、普段気がつかない誤植に気づきます。それをちまちまとチェックしていると、なんだか中世の写字生になったような気分です。

日本語の本を読んでいても誤植のない本に会うことは滅多にありませんし、誤植があるのは当然のことです。しかし英語となると誤植だと分からずにかなり悩んだりもするので、解釈以前の問題として、できるだけ誤植のないテキストが欲しいものです。

ACIM の場合は最初に作られた E-TEXT に含まれていた間違いがそのまま見過ごされている場合が多いですね。Urtext はその誕生は HLC に先立ちますが、E-TEXT は HLC の後になりますから、HLC の E-TEXT の誤植や句読点をそのまま引き継いでいる場合がかなりあります。次の例は FIP 版にある誤植をそのまま HLC のE-TEXTが引き継いでいるところです。 25.VIII.7.3をみると…

What could He be to them except a devil dressed to deceive, within an angel’s cloak.

最後がクエスチョンマークになってませんね。(第三版では直されているでしょうか?)これが HLC を誤植まで忠実に写そうとした HLC Replica に入り込みます。HLC のタイプ原稿にはクエスチョンマークがあるのですが、延々と校訂版の Annotated HLC まで引き継がれています。これなど見れば誰でも分かるのでたいした問題ではないけれど、やはりちゃんとしたテキストが欲しいなぁと思いましてこつこつやっています。

次は 25.VIII.6.4  別におかしくなさそうですが、どうでしょう?

Nor can they trust Him[Holy Spirit] not to strike them dead with lightning bolts torn from the “fires” of Heaven by God’s Own angry Hand.
神御自身の怒れる手によって天の炎から引きちぎられた lightning bolts で、聖霊が彼らを打ちのめして殺さないということを、彼らは信用できない。

HLC では lightning が lightening になっています。lightning だと名詞で「稲妻・電光」、bolt も稲妻・電光ですから lightning bolts だと同じ意味の名詞が二つ並んでおかしいですね。しかしそういう言い回しがあるのかと思い、 Urtext を見ると lightning 、ノートでは lightening でバージョンごとに揺れ動いています。結局正解は lightening で現在分詞が形容詞として bolts に繋がっていると考え、「閃く稲妻」で帰着しました。

また逆に FIP のおかげで E-TEXT の誤植に気づくこともあります。
HLC T 19 L 14. の最後の文章、FIP でいうと19.IV.D.21. 第19章の最後です。

Yet it is given you to see this purpose in your holy Friend, and recognize it is your own.

文法的におかしなところはありませんが、FIP と比較すると is your own の is が as になっていました。HLC のタイプ原稿を見ても as なので E-TEXT 化するときに紛れ込んだ間違いです。全部調べられるだけ調べてみると Jesus’ Course in Miracles(2000)、 Blue Sparkly(2002)、Corrected HLC(2006)、CIMS Original Edition(2007)、Annotated HLC(2009) 全部 is のままです。最初に紛れ込んだ E-TEXT の過ちを誰も気がつかずに出版してしまったようです。

2010年2月27日土曜日

ACIM HLC - FIP Compare Report Ch.01-02

第一章と第二章だけですがアップしました。
http://island.geocities.jp/srchfrtrth/acim/hfip.html

HLC と FIP を並べてFIP に無い部分だけ読もうと比べてみて衝撃を受けた私ですが、これを見てもらえるとその衝撃を理解してもらえるのではないでしょうか。

聖書学者がイエスの「ことば」を再現しようとして2000年たっても未だに研究しているのに対して、この態度はちょっと無神経ではないかと感じたものです。そのときワプニク博士自身に対する疑問も生じたのですね。

もともとACIM はヘレンとビルを対象にして語りかけているので each other とあればそれはヘレンとビルを指しています。それを一般向けに公開するために your brother に書き換えることや文法的な誤りを修正しているなど理解できる部分もあるのですが…

また明らかに写し間違いだと思われるけれども、それでも意味が通じる文章になっていて妙に感心したりもしました。例えば as が is になってたりすることもありますが、A as B なら A is B でもあるので、意味が通る文章になるんですね。

no-one を he で受けているところを you に書き換えているところなど、なるべく性の区別のあることばを無い言葉に置き換えようとする当時の聖書の英訳に現れた風潮に迎合する意図が見えます。

佐藤優と映像記憶 『国家の罠』

最近ネットの動画を見て興味がわいたので佐藤優の『国家の罠』を読んでみた。鈴木宗男さんの関連で国策捜査でやられたあの佐藤さんです。

この本を読むまでこの人のやっていた仕事について全く知らなかったのですが日ロ平和条約締結にむけてのインテリジェンス、政治の世界で言う諜報活動ですね。神学部をでて外務省の官僚になったというだけでも異色の人物ですが、この本を読んでいろいろ勉強になりました。

全く予期していなかったことですが、この本に映像記憶の情報があったのは貴重でした。佐藤優さんは映画やビデオを見るように記憶を再生する映像記憶の持ち主なんですね。

以前NHKの相撲番組をしていた元アナウンサーのかたの映像記憶の証明をTVの番組で見たことがあります。ある相撲の取組みを頭の中で再現して同時に実況するものでした。それを当時のビデオと一緒に見ると単に実況が正しいだけでなく、実際の取組みと時間的にも完全に一致しているので唸りました。

すべてが映像で記憶されるとなると、その膨大な記憶の情報量に頭がパンクしてしまうんではないかと不思議に思っていましたが、佐藤さんの本を読んで少し疑問が解消されました。映像記憶に関する記述はごくわずかなので、メモ代わりにここに載せておきます。

『情報屋の基礎体力とは、まずは記憶力だ。私の場合、記憶力は映像方式で、なにかきっかけになる映像が出てくると、そこの登場人物が話し出す。書籍にしてもページがそのまま浮き出してくる。しかし、きっかけがないと記憶が出てこない。
私にはペンも紙もない。頼れるのは裸の記憶力だけだ。独房に戻ってから、毎日、取り調べの状況を再現する努力をした。私の体調がよくないので、取調室には化学樹脂の使い捨てコップに水が入れられていた。私はときどきコップを口にする。その水の量と検察官のやりとり、また、西村検事は腕時計をはめず(腕時計をしているならば、時間とあわせて記憶を定着させることはそれほど難しくない)、ときどき懐中時計を見る癖があるので、その情景にあわせて記憶を定着させた。いまでも取り調べの状況を比較的詳細に再現することが出来る。』 P.217-218

『前に申し上げたように、私の記憶術は映像方式である。手帳のちょっとしたシミ、インクの色を変えること、文字の位置を変化させることで、記憶を再現する手がかりが得られる。独房にノートがあるので、そのノートに別の手掛かりになる記述をすれば、過去の記憶をもう一度正確に整理することができる。……手帳を見て、特に鈴木宗男氏に関する記憶を再整理しておくことが重要だった。この時、記憶を整理する作業をしたからこそ、現在も手帳は東京地方検察庁に押収されたままであるが、私はこの回想録を書くことができるのである。』 P.274

自動的に記憶されるのではなく、記憶する手続きが必要なんですね。「手帳のちょっとしたシミ、インクの色を変えること、文字の位置を変化させること」というのはちょっと理解しづらいですが、記憶する対象の部分をを少し意識の中で変えることによって、記憶を再生する手掛かり・インデックスにするということでしょうか?

彼の弁護団に外交や特殊情報[諜報活動]を理解するために薦めた本として『われらの北方領土』(外務省国内広報課)、和田春樹『北方領土問題』(朝日新聞社)、ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』(ハヤカワ文庫)、鈴木宗男氏を理解するために検察官に薦めた本として、内藤国夫『悶死ー中川一郎怪死事件』(草思社)があげられています。

2010年2月25日木曜日

ACIM 読み比べ 命と光 Ur.1B24c., HLC 1B27a, FIP 1.III.2.

Text 1B24c に聖書の引用とその解説があります。そこをオリジナルのノートから読んでみましょう。

“Heaven and Earth shall pass away” means that they will not always exist as separate states. My Word, which is the Resurrection and the Life, shall not pass away, because Life is Eternal.
「天と地は滅びる」はそれが分離した状態のままで存在し続けることは無いだろうということを意味する。私のことばは、復活にして命であり、滅びることはない。命は永遠なのだから。

「天と地は滅びる」はマルコ13:31ですね。

これが Urtext になると二つ出てくる Life の最初の方が Light になりました。
「私のことばは、復活にして光であり、過ぎ去ることはない。命は永遠なのだから。」

さてこれはLife が正しいのかLight が正しいのか、どっちでも同じような気もします。さらに HLC を見るとついに両方とも Light になってしまいました。

ヨハネ福音書の冒頭に「始めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。すべてのものはこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものは無かった。このことばに命があった。そしてこの命は人の光であった。」とありますから、ことば=神=命=光ですね。それなら命でも光でもどちらでも良いような気がしてきます。

けれども「わたしのことばは、復活にして命である」も引用符はありませんが聖書を踏まえたことばです。
「私は復活であり命である。私を信じるものは死んでも生きる」ヨハネ11:25 はラザロの復活の前に彼の妹たちを安心させるためにイエスが言ったことばとして記録されています。とするとここは光ではなく命でなければならないのです。

さてそれではFIP版を見てみると、なんと、両方とも命に戻っていました。今回はFIP版に軍配を上げることとなりました。

2010年2月21日日曜日

HLC - FIP Cross Reference Chart of Ch. 1

作成中の HLC - FIP Compare Report を見ながら、HLC と FIP の相互参照表を Text の第一章だけですが、作ってみました。これを見るとFIP版の最初の部分がまるでモザイクのようだと言った意味が分かってもらえると思います。どうしてこうなっているかというと、Urtext や HLC では奇跡の原理の各項目に解説が付いていたのですが、この解説部分を奇跡の原理と切り離して2-6節を構成しているからなのです。

   HLC     -    FIP
T 1 A 1.   -    in.1
              .
              .
T 1 B22.   -   1.I.22.
The escape from darkness - 1.IV.1.
T 1 B 23a. -   1.I.23.
T 1 B 23b. -   1.IV.1.5
T 1 B 24.  -   1.I.24.
T 1 B 25a. -   1.I.25.
T 1 B 25b. -   1.III.1.1-4, 1.IV.2.7
T 1 B 26a. -   1.I.26.
T 1 B 26b. -   1.IV.3.6-7, 1.III.1.5-6
T 1 B 26c. -   1.III.1.7-10
T 1 B 27a. -   1.I.27.
T 1 B 27b. -   1.III.2.
T 1 B 28a. -
T 1 B 28b. -
T 1 B 28c. -   1.II.1.1-4
T 1 B 28d. -   1.II.1.5-9
T 1 B 29a. -   1.I.28.1
T 1 B 29b. -   1.I.28.2-3, 1.II.2.1-6
T 1 B 30.  -   1.I.29-30
T 1 B 31a. -   1.I.31.1-3
T 1 B 31b. -   1.I.31.3, 1.IV.2.1-5
T 1 B 32a. -   1.I.32.
T 1 B 32b. -   1.IV.2.6-7
T 1 B 33.  -   1.I.33., 1.IV.2.8-10
T 1 B 34a. -   1.I.34., 1.III.3.2
T 1 B 34b. -   1.III.3.1,3,4
T 1 B 35.  -   1.I.35., 1.III.4.1-4
T 1 B 36a. -   1.III.4.5-7
T 1 B 36b. -   1.III.5.
T 1 B 37.  -   1.I.36.
              .
              .
T 1 B 40a  -   1.I.39.
T 1 B 40b. -   1.IV.3.1-5
T 1 B 41a. -   1.I.40., 1.V.3.5-8, 1.V.4.1-2
T 1 B 41b. -   1.V.4.3-5
T 1 B 42a. -   1.I.41.
T 1 B 42b. -   1.III.6.1
T 1 B 42c. -   1.III.6.2-7
T 1 B 42d. -   1.IV.4.1-5
T 1 B 43a. -   1.I.42.
T 1 B 43b. -   1.V.4.6, 1.V.5.1-3
T 1 B 43c. -   1.V.5.4-7
T 1 B 43d. -   1.V.6.
T 1 B 44.  -   1.I.43., 1.III.7.1-3
T 1 B 45.  -   1.I.44., 1.III.7.4-6
T 1 B 46a. -   1.I.45., 1.III.8.1-2
T 1 B 46b. -   1.III.8.3-5
T 1 B 47.  -   1.I.43.
T 1 B 48a. -
T 1 B 48b. -   1.II.2.7, 1.II.3.1-3
T 1 B 48c. -   1.II.3.4-13
T 1 B 48d. -   1.II.4.1-4
T 1 B 48e. -   1.II.4.5-7, 1.II.5.1-2
T 1 B 49.  -   1.I.46., 1.II.5.3-5
T 1 B 50a. -   1.I.47.1, 1.II.6.1-4
T 1 B 50b. -   1.II.6.5-8
T 1 B 50c. -   1.II.6.9-10, 1.I.47.2-3
T 1 B 51a. -   1.I.48.
T 1 B 51b. -   1.V.1.1-7
T 1 B 51c. -   1.V.1.8, 1.V.2.1-4
T 1 B 51d. -   1.V.2.5-6, 1.V.3.
T 1 B 51e. -   1.VI.1.1-5
T 1 B 51f. -   1.VI.1.6-8
T 1 B 51g. -   1.VI.1.9, 1.VI.2.1-4
T 1 B 51h. -   1.VI.2.5, 1.VI.3.
T 1 B 51i. -   1.VI.4.
T 1 B 51j. -
T 1 B 52a. -   1.I.49.
T 1 B 52b. -   1.III.9.
T 1 B 52c. -
T 1 B 53a. -   1.I.50., 1.VI.5.1-2
T 1 B 53b. -   1.VI.5.3-9
T 1 C 1.   -   1.VII.1.1, 1.VII.3.3
T 1 C 2.   -
T 1 C 3.   -   1.VII.1.2-7
T 1 C 4.   -   1.VII.2.
T 1 C 5.   -   1.VII.3.2,1,4-5,12-14
T 1 C 6.   -   1.VII.3.6-11

2010年2月18日木曜日

HLC - FIP Compare Report

Urtext - HLC Compare Report の修正作業がつまらないので、寄り道して HLC - FIP Compare Report 作成中。

こちらの方が恣意的に編集の手が入っているので(ワプニクさんごめんなさい)、編集の意図や、編集前後で生じた意味のずれを考察すると面白い。

私の英語力をさらすと、Compare Report という言葉を見て、和製英語っぽいなぁと感じてしまうくらいのもの。
でもWinMergeの自動生成するHtmlレポートの名前がこれなので和製英語ではあり得ない。Comparison Report なら分かるんだけど、動詞+名詞でこんな言い方するんだろうかと思いながら気にしないことにしていた。けれどふとCompare Report っておかしいよねと言われたらどうしようかと気になりよく考えてみる。

Compare で名詞になっているのかと思い、電子辞書でざっと見て見あたらない。ではこのCompareはtoなし不定詞で実質名詞なんだろうかと考える。それとも動詞+名詞のこういう語法があるのだろうかとも…。
それでもう一度電子辞書で見てみると、最後の項目に名詞としてのcompareがあげられていた。文語でbeyond とか without につなげた成句で使われるらしい。一件落着かな?でもまだちょっとスッキリしない(苦笑)。

ジーニアス英和大辞典
━【名】【U】((文・まれ))比較(comparison)《◆次の成句で》.
▼beyònd [pàst, withòut] compáre
((文))比類なく, 比較にならないくらい(すばらしい).

twitter 登録するがひっそりやっているので誰もフォローしてくれない(涙)

まだ使い方もあまり理解してないけれど…

http://twitter.com/bkshanti