2011年11月21日月曜日

パーニニの天才性

平岡昇修著『初心者のためのサンスクリット文法I』を手に入れて、正誤表を見ながら本に書き込んでいたら意味不明のところがありました。どういう意味か調べているうちにそれがパーニニの用語であることがわかり、彼の驚くべき天才性を目の当たりにしました。といっても私が理解したのは記述のスタイルだけなのですが、それだけでパーニニの巨大さの片鱗をうかがうことができました。

その正誤表の分からなかったところというのは、名詞の造語法・接尾辞に関するものでした。
動作主名詞をつくる接尾辞に -aka がありますが、正誤表に णक 【(ṇ)aka】 と記されているところを、ण्वुल् 【ṇvul】 に修正するように指示されています。 -aka は動詞語根に直接付く第一次接尾辞で-aka の前についている (ṇ) は指示文字と呼ばれ、この場合動詞語根の母音変化の振る舞いを指示する記号です。それでは何故 णक 【(ṇ)aka】 を ण्वुल् 【ṇvul】 に修正しなければならないのか分かりませんでした。 णक 【(ṇ)aka】 の方はちゃんと接尾辞の-aka が見えますが、ण्वुल् 【ṇvul】の方にはさっぱり接尾辞らしいものが見当たりません。

ṇvul を辞書で引いてみると、なんと辞書に載っていません。仕方ないのでネットで検索すると、どうやらパーニニに関連するらしいことがわかりかけてきました。Aṣṭādhyāyī(パーニニ文典)に書いてあるらしいですw もともと指示文字(ṇ)とか考えたのがパーニニで、ṇvul もパーニニの用語なのでした。そうすると最初の ṇ が怪しいですね。これも指示文字なのでしょう。調べているうちに最後の l も指示文字らしいようです。分かりやすく指示文字は大文字で表記する流儀があるようなので、それに従うとṄvuLと表記できます。(指示文字Lの意味は分かりませんでした。)それで vu=aka になるらしいのですが、どこに説明したあるのか分からずお手上げです。 ṇvul を辞書で引いても出てこないのは、もともとそれは単語ではなくて、パーニニの考案した記号だからでした。

第一、ṇ で始まる単語自体、モニエルに4単語しかなく、そのうち2単語は単なる音としての子音に関するものです。このあたりに普段めったに語頭に現れない音を記号に採用して、記号と単語の混同が起きないようにしたパーニニの工夫がすでに表れていたのでした。

それでとりあえず ण्वुल् 【ṇvul】の追及はあきらめて、Aṣṭādhyāyī の始まりのところを見てみることにしました。(思えばこの時何も理解していませんでした。)Google books で次の2冊を参考にしました。

Pāṇini's Grammatik, Otto von Böhtlingk
Aṣṭādhyāyī of Pāṇini,
Sumitra Mangesh Katre


初めにシヴァ・スートラという音の分類表のようなものがあります。パーニニ自身その分類表の見かたとか何も書いていません。(後で訳者の解説を読んでどうにか理解しました。)音を分類してあること以外意味不明なのでスルーしました。それで最初のスートラがこれです。
वृद्धिरादैच्  vṛddhirādaic
独訳を見るとこれで「ā、ai、au をヴリッディという」となっています。
vṛddhirādaic は vṛddhir ādaic に分けられますから、前半にヴリッディは判別することができます。語末の r は-i ā- ⇒ -irā- の外連声です。
 それではどうして ādaic が ā、ai、au になるのでしょうか? 例によって辞書を調べても出てきません。第一サンスクリットでは語末に現れる子音は限られていて(絶対語末)、c は語末に存在することができないのです。Sumitra Mangesh Katre の英訳を見ると、āT=aiC と分解されています。ādaic の d は外連声で t  が有声化したものだと分かります。T も C も指示文字(IT marker)です。āT の T の意味合いはまだよく理解できないので、とりあえず āT で意味されているのは ā としておきます。
(Wikipediaによると「Tの文字もあらわれるがこれもITマーカーと呼ばれ、1.1.70で定義されている。このTはそれに先立つ音素が音素リストにあらわれず、アクセントと鼻音化をしめすメタ文節的特徴を含む単一の音素である。例えばāTとaTはそれぞれ{ā}、{a}をあらわしている。」)
次に aiC ですが、どうしてこれでヴリッディの
ai、au を示すことができるのかというと、これは先にスルーしたシヴァ・スートラの音の一覧表を用いた表記方法になっているのです。シヴァ・スートラの4行目を見ると ai au C となっています。aiC で ai で始まり C で終わるまでの音を示しています。最後の C は IT marker なので、実質示されているのは、ai au の二つになります。

次のスートラを見ると…
अदेङ् गुणः adeṅ gu
aḥ
グナは一目でわかるので、残りの adeṅ ですが Sumitra Mangesh Katre に従って分解し、連声前の形に戻して IT marker を大文字にして分かりやすくすると、aT eṄ になります。aT は短母音の a を示し、 eṄ は先ほどのシヴァ・スートラの3行目を見ると e o Ṅ になっているので e で始まり Ṅ で終わる e o を示しています。したがって「グナは a、e、o である」となります。


ここまで来て最初からこの調子で、最後まで変わらず方程式のような記述が続いているのではと気がつきました。心の叫びとしては「最初からこれかよ!」です。古典語は格変化があるのでbe動詞がなくても文が成立するのですが、パーニニのスートラはbe動詞だけでなくほとんど動詞自体がないスタイルでコンパクトに記述しているようです。しかしこれが紀元前4世紀の人間の考えることでしょうか?!

 

3 件のコメント:

Medha Michika さんのコメント...

ण्वुल्の件について

3.1.133 ण्वुल्-तृचौ। ~ धातोः प्रत्ययः
のスートラで、धातुの動作のagentを示す名詞の原形が作られます。

ण्वुल्のण्は、
1.3.7 चुटू। ~ प्रत्ययस्य आदिः इत्
ल् は、
1.3.3 हलन्त्यम्। ~ इत्
により、इत् (indicatory letter)です。
のこりのवुは、
7.1.1 युवोरनाकौ।
というスートラで、अकに置き換えられます。

遅ればせながら自己紹介ですが、
みちかと申しまして、インドのアシュラム在住で、ヴェーダーンタとパーニニの勉強をしながら、主にインド人のブランマナ達にサンスクリット文法を教えています。
昨年、勉強の為に使い易いअष्टाध्यायीसूत्रपाठःやधातुकोशःを編集し発行しました。インドとアメリカで入手可能です。

bkshanti さんのコメント...

コメント頂いた時、専門的な内容に尻込みしてお返事できず、申し訳ありませんでした。
当時ご紹介頂いた本を探してみたのですが入手出来そうにありませんでしたが、最近kindle版電子書籍で購入出来ることに気づき無事入手出来ました。
日本語のサンスクリット関連の本も大変素晴らしく、分かりやすく親切な内容のものと拝察いたします。
ありがとうございました。

dodam さんのコメント...

감사합니다