2011年11月17日木曜日
サイ・マー 動画まとめ
光と豊穣の聖者 サイマー
録画日時 : 2011/02/22 13:02 JST
http://www.ustream.tv/recorded/12859819
礼子デューイさんのインタビュー
Sai Maa Lakshmi Devi 光の聖者サイマー
録画日時 : 2011/04/24 22:05 JST
http://www.ustream.tv/recorded/14247244
サイ・マーがライブ出演したときの録画
サイマー ディクシャ トレーニング
録画日時 : 2011/04/02 13:19 JST
http://www.ustream.tv/recorded/13716643
見るだけでディクシャを受け、伝授もされるビデオ
礼子デューイさんインタビュー【改訂版】
録画日時 : 2011/10/13 15:59 JST
http://www.ustream.tv/recorded/17845445
パワーアップしたサイマー・ディクシャ伝授あり
上の編集前のビデオ
録画日時 : 2011/10/11 20:27 JST
http://www.ustream.tv/recorded/17812944
この時点では自分自身にディクシャはできないので、他の人にディクシャを与えたら、その時自分自身を通してディクシャのエネルギーが流れるから、ディクシャが欲しいときにはほかの人にディクシャを与えましょうという話でした。
その後公式のホームページを見ると10月18日の記事で自分自身にディクシャできるようになったと告知されています。
その手順は1.光に感謝をささげる。 2.両手を合わせる。(合掌でなくて両手で水を掬うような感じでしょうか) 3.手のひらの中心を前頭葉(髪の生え際のところ)に置く。
http://www.humanityinunity.org/utility/showArticle/?objectID=10074
Give Sai Maa Diksha to Yourself!
Sai Maa has just announced that those trained in Sai Maa Diksha can now offer Diksha to themselves.
Traditionally, Sai Maa Diksha is a hands-on technique that is offered from one person to another. Now, those who are trained may place their hands on their own heads to offer themselves the blessing. When offering to ourselves, we follow all the same steps:
1. Offer our gratitude to the Light;
2. Bring the hands together;
3. Rest the center of the palms above the frontal lobe (at the hairline).
Sai Maa Diksha is a powerful technique to initiate and support the process of Enlightenment by pouring Light into the seeds of fear in the brain. The word Diksha means "initiation" and has existed for eons. Every Diksha is unique to the Master who offers it. Sai Maa Diksha carries the energy of Sai Maa's lineage and is a transmission of Light that we can all be trained to offer.
2011年11月15日火曜日
サンスクリット用のIME、フォント
サンスクリットの入力で自由にデーヴァナーガリー入力するための、サンスクリットIMEを紹介してみましょう。
最初に試したのはChandas IME。
しかしこれは64bitのOSに対応せず自分の環境では動かせませんでした。
次に試したのがVidyut。キー配列は、ほぼChandasと同じですが、Chandasで出来たZWNJやヴェーダ語のアクセント記号の入力ができません。
ヴェーダ語まで手を出す余裕はないのでアクセント記号の入力ができないのは構わないけれど、ZWNJの入力ができないのはちょっと困ります。
ドキュメントを読んでいると、必要ならMicrosoftのKeyboard Layout Creator 1.4でカスタマイズするように書いてあったので、ChandasIME風に改造しようかと思ったのですが、それよりもChandasIME自体をKeyboard Layout Creator で読み込んでSetup Packageを作成すれば手間が省けると気づきました。そこでVirtualPCのXPモードでChandasIMEをインストし、それをKeyboard Layout Creator で読み込んで64bit OS 用のセットアップ・プログラムを作成しました。
他にVaidikaというIMEもあります。
IAST、HK関連でこんなのもあります。
GGM XHK Keyboard
キーはHarvard-KyotoでIAST( International Alphabet of Sanskrit Transliteration)入力できるIME。
Veni XHK Sans Condensed
Veni XHK Serif Condensed
Harvard-KyotoのテキストをIAST表示にするFont。
最初に試したのはChandas IME。
しかしこれは64bitのOSに対応せず自分の環境では動かせませんでした。
次に試したのがVidyut。キー配列は、ほぼChandasと同じですが、Chandasで出来たZWNJやヴェーダ語のアクセント記号の入力ができません。
ヴェーダ語まで手を出す余裕はないのでアクセント記号の入力ができないのは構わないけれど、ZWNJの入力ができないのはちょっと困ります。
ドキュメントを読んでいると、必要ならMicrosoftのKeyboard Layout Creator 1.4でカスタマイズするように書いてあったので、ChandasIME風に改造しようかと思ったのですが、それよりもChandasIME自体をKeyboard Layout Creator で読み込んでSetup Packageを作成すれば手間が省けると気づきました。そこでVirtualPCのXPモードでChandasIMEをインストし、それをKeyboard Layout Creator で読み込んで64bit OS 用のセットアップ・プログラムを作成しました。
他にVaidikaというIMEもあります。
IAST、HK関連でこんなのもあります。
GGM XHK Keyboard
キーはHarvard-KyotoでIAST(
Veni XHK Sans Condensed
Veni XHK Serif Condensed
Harvard-KyotoのテキストをIAST表示にするFont。
2011年11月12日土曜日
Ashtavakra Gita のE-Text
ネット上にAshtavakra Gita のE-Text がいくつかありますが、比較してみると結構間違いがあるので、自分でE-Text を作ることにしました。
最初に下敷きにしたのはこれ。調べてみると結構間違いがたくさんあります。
Sanskrit text with English Transliteration & Translation by John Richards
http://www.scribd.com/doc/54192897/
次に上のに比べてかなりよく修正されているのがアーナンダ・ウッドのテキストで複合語も単語間をハイフォンで繋いで示しているので助かります。
Ashtavakra-samhita by Ananda Wood
http://sites.google.com/site/advaitaenquiry/Ashtavakra.pdf
これとほぼ同じテキストがここにあります。
http://gretil.sub.uni-goettingen.de/gret_utf.htm#Astavg
それで最終的に Nityaswarupananda のデーヴァナーガリーのテキストと比較して残された間違いを消していっているところです。1940年版と1953年版があります。下のリンクは1940年版です。
http://www.scribd.com/doc/2673274/AshTavakra-Geeta
ITRANS で転写して、ITRANSLATOR で変換してデーヴァナーガリーと IAST のテキストを作成するのですが、同じ単語でも表記の仕方がいくつかあるので、Nityaswarupananda のテキストに合わせて最後は手で編集することにしました。
デーヴァナーガリー文字の場合フォントによって、表現できる結合文字の数に違いがあるので、できるだけ多くの結合文字を使えるようにまずフォントを選ばないといけません。それでITRANSLATORのホームページからSanskrit2003.ttf と svayambhava.org から Chandas.ttf 等をダウンロードしてインストしました。
最初に下敷きにしたのはこれ。調べてみると結構間違いがたくさんあります。
Sanskrit text with English Transliteration & Translation by John Richards
http://www.scribd.com/doc/54192897/
次に上のに比べてかなりよく修正されているのがアーナンダ・ウッドのテキストで複合語も単語間をハイフォンで繋いで示しているので助かります。
Ashtavakra-samhita by Ananda Wood
http://sites.google.com/site/advaitaenquiry/Ashtavakra.pdf
これとほぼ同じテキストがここにあります。
http://gretil.sub.uni-goettingen.de/gret_utf.htm#Astavg
それで最終的に Nityaswarupananda のデーヴァナーガリーのテキストと比較して残された間違いを消していっているところです。1940年版と1953年版があります。下のリンクは1940年版です。
http://www.scribd.com/doc/2673274/AshTavakra-Geeta
ITRANS で転写して、ITRANSLATOR で変換してデーヴァナーガリーと IAST のテキストを作成するのですが、同じ単語でも表記の仕方がいくつかあるので、Nityaswarupananda のテキストに合わせて最後は手で編集することにしました。
デーヴァナーガリー文字の場合フォントによって、表現できる結合文字の数に違いがあるので、できるだけ多くの結合文字を使えるようにまずフォントを選ばないといけません。それでITRANSLATORのホームページからSanskrit2003.ttf と svayambhava.org から Chandas.ttf 等をダウンロードしてインストしました。
参考までにフォントによって結合文字の表現がどのように変わるかいくつか例を挙げてみました。
まずṅgaを見てみるとMangal では縦の結合文字が表示できません。
ddhaではどのフォントも結合文字が表示されますが、一字追加してddhraになるとMangalで結合文字が表示できずに、最初のdがヴィラーマでの子音表記になります。さらに一文字追加してddhryaになるとSanskrit2003でも結合文字が表示できずに最初のdがヴィラーマを用いた表記になります。ChandasとSiddhantaでは結合文字表記できますが、字の形が違いますね。
次のjjaの三つの表記方法は入力の仕方によって表現できるものです。
ज(ja)+ヴィラーマ+ज でjjaの結合文字が表記できます。(Mangalにはjjaの結合文字がないので表記できません。)Sanskrit2003では水平方向の結合になっているのに対し、残りの二つでは垂直方向の結合文字になります。
ज+ヴィラーマ+ZWJ+ज でjの半体を用いた表記になります。ZWJはゼロ幅接合子(Zero-width joiner U+ 200D)。
ज+ヴィラーマ+ZWNJ+ज で半体にならずヴィラーマ自体が表示される表記になります。ZWNJはゼロ幅非接合子(Zero-width non-joiner, U+200C)
Nityaswarupananda のテキストから実例を挙げてみます。アシュターヴァクラ・ギーターの2章7節ですが、上段にjjaの水平方向の結合文字、下段にjjの半体表記とヴィラーマによる表記があります。
ウパデーシャサーハスリー校訂本が届く
前田専學さんのウパデーシャサーハスリーの校訂本が届きました。
早速気になっていた韻文編の17章第24詩節を調べると、やはり意図的に削除されていました。
韻文編のテキストを見ると大きくA系とB系に分かれていて、次のような特徴があるそうです。
A系…韻文編が最初に来て、散文編がそれに続く。韻文編4章5’を欠いている。
B系…散文編が最初に来て、韻文編がそれに続く。韻文編4章5’を含む。
A系はさらに a、b、c に分かれ、B系は c、d に分かれます。
a … 韻文編18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
b … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。テキストは1本を除いてアーナンダジュニャーナの注解を伴っている。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
c … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。ボーダニッディの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
d … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
e … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。ラーマティールタの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
注解者の年代は、アーナンダジュニャーナは13世紀半ば、ラーマティールタは17世紀。
アーナンダジュニャーナの採用したテキストとボーダニッディの採用したテキストには大きな差異はなく、インドで繰り返し印刷されてきたのはB系のテキストだということでした。
早速気になっていた韻文編の17章第24詩節を調べると、やはり意図的に削除されていました。
韻文編のテキストを見ると大きくA系とB系に分かれていて、次のような特徴があるそうです。
A系…韻文編が最初に来て、散文編がそれに続く。韻文編4章5’を欠いている。
B系…散文編が最初に来て、韻文編がそれに続く。韻文編4章5’を含む。
A系はさらに a、b、c に分かれ、B系は c、d に分かれます。
a … 韻文編18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
b … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。テキストは1本を除いてアーナンダジュニャーナの注解を伴っている。マハーバーラタ12,242,4の引用を持たない。
c … 韻文編第18章227~230 の3詩節半が欠落している。ボーダニッディの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
d … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。テキストのみ。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
e … 韻文編第18章227~230 の3詩節半を含む。ラーマティールタの注解を伴う。マハーバーラタ12,242,4の引用を17章23詩節と24詩節の間に持つ。
注解者の年代は、アーナンダジュニャーナは13世紀半ば、ラーマティールタは17世紀。
アーナンダジュニャーナの採用したテキストとボーダニッディの採用したテキストには大きな差異はなく、インドで繰り返し印刷されてきたのはB系のテキストだということでした。
2011年10月8日土曜日
out of the blue
Headless Way のホームページに Harding's Moment of Discovery という記事があります。
“On Having No Head”からの引用で、頭を持たない事実を発見した瞬間の描写になっています。
It was eighteen years ago, when I was thirty-three, that I made the discovery. Though it certainly came out of the blue, it did so in response to an urgent enquiry; I had for several months been absorbed in the question: what am I? The fact that I happened to be walking in the Himalayas at the time probably had little to do with it; though in that country unusual states of mind are said to come more easily. However that may be, a very still clear day, and a view from the ridge where I stood, over misty blue valleys to the highest mountain range in the world, with Kangchenjunga and Everest unprominent among its snow-peaks, made a setting worthy of the grandest vision.
ここの out of the blue というのが理解できなかったのですね。the blue って憂鬱な気持ちのことなのかと想像していました。それで邦訳をみたら、これ「突然に」という熟語だったのでした。
辞書で確認してみると確かにそう書いてありますが、どうしてそういう意味になるのかまでは説明してありません。こんな簡単なことばでできているイディオムがわからなかったことにショックを受けて、子供向けの熟語集の“Sholastic Dictionary of Idioms”を購入しました。早速探してみると“Out of the clear blue sky”の項目の中にありました。blue は沈んだ気持ちでなくて青空だったのですね。同じようなイディオムに“Bolt from the blue”があって遅くとも1800年代初めには使われていたとあります。「青天の霹靂」そのままです。
なお「青天の霹靂」の故事を語源由来辞典で調べると
青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない澄んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ること。
青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、
「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。
「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、
筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い表した言葉であった。
発想がまったく同じで、使われだした時期が1800年代と遅いので、 ひょっとして中国起源かと想像してしまいます。
“On Having No Head”からの引用で、頭を持たない事実を発見した瞬間の描写になっています。
It was eighteen years ago, when I was thirty-three, that I made the discovery. Though it certainly came out of the blue, it did so in response to an urgent enquiry; I had for several months been absorbed in the question: what am I? The fact that I happened to be walking in the Himalayas at the time probably had little to do with it; though in that country unusual states of mind are said to come more easily. However that may be, a very still clear day, and a view from the ridge where I stood, over misty blue valleys to the highest mountain range in the world, with Kangchenjunga and Everest unprominent among its snow-peaks, made a setting worthy of the grandest vision.
ここの out of the blue というのが理解できなかったのですね。the blue って憂鬱な気持ちのことなのかと想像していました。それで邦訳をみたら、これ「突然に」という熟語だったのでした。
辞書で確認してみると確かにそう書いてありますが、どうしてそういう意味になるのかまでは説明してありません。こんな簡単なことばでできているイディオムがわからなかったことにショックを受けて、子供向けの熟語集の“Sholastic Dictionary of Idioms”を購入しました。早速探してみると“Out of the clear blue sky”の項目の中にありました。blue は沈んだ気持ちでなくて青空だったのですね。同じようなイディオムに“Bolt from the blue”があって遅くとも1800年代初めには使われていたとあります。「青天の霹靂」そのままです。
なお「青天の霹靂」の故事を語源由来辞典で調べると
青天の霹靂の「青天」は雲ひとつない澄んだ青空、「霹靂」は突然雷が鳴ること。
青天の霹靂の由来は、中国南宋の詩人「陸游(りくゆう)」が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、
「青天、霹靂を飛ばす」と表現したことによる。
「青天、霹靂を飛ばす」は、病床に伏していた陸游が突然起き上がり、
筆を走らせた勢いを雷に喩えたもので、本来は筆の勢い表した言葉であった。
発想がまったく同じで、使われだした時期が1800年代と遅いので、 ひょっとして中国起源かと想像してしまいます。
2011年10月6日木曜日
五月際の救難信号
ダグラス・E・ハーディングの『今ここに、死と不死を見る』高木訳を読んでいて、意味の分からない一文に出会いました。
「S・O・S……S・O・S……これは私の五月際の叫びである……私はこの荒れる海で溺れてさ迷っている……!」
「五月際の叫び」???意味不明です。スペイン語訳を見ると
Ésta es mi Llamada de Socorro 「これは私の救難信号です」
普通の素直な文章です。
原文の英語が未見なので推測すると、Llamada [appeal, signal] で「叫び」に対応しているのでしょう。ではSocorro [succor, relief, aid, help; rescue] に対応する「五月際」とはなんでしょう?
救難とMay でググると……ありましたw
「S・O・S……S・O・S……これは私の五月際の叫びである……私はこの荒れる海で溺れてさ迷っている……!」
「五月際の叫び」???意味不明です。スペイン語訳を見ると
Ésta es mi Llamada de Socorro 「これは私の救難信号です」
普通の素直な文章です。
原文の英語が未見なので推測すると、Llamada [appeal, signal] で「叫び」に対応しているのでしょう。ではSocorro [succor, relief, aid, help; rescue] に対応する「五月際」とはなんでしょう?
救難とMay でググると……ありましたw
メーデー (遭難信号)
メーデー(Mayday)は、音声無線で遭難信号を発信する時に国際的に使われる緊急用符号語。フランス語の「ヴネ・メデ (venez m'aider)」、すなわち「助けに来て」に由来する。一般に人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせるのに使われ、警察、航空機の操縦士、消防士、各種交通機関などが使う。3回繰り返すのが一般的(メーデー、メーデー、メーデー)で、雑音が強い状況で似たような言葉と取り違えられることを防ぎ、同時に「メーデー呼び出し」に関する通信と実際の「メーデー呼び出し」を区別する。2011年10月5日水曜日
前田専学のシャンカラに関する著作について
今日、前田専学の “A THOUSAND TEACHING: The Upadeśasāhasrī of Sankara” が届きました。実はサンスクリット原典の校訂本 “Sankara's Upadeśasāhasrī” と間違えて注文したもの。現在校訂本を注文中です。こちらの方は校訂テキストと英訳の二巻セットです。AbeBooksで検索すると一番安くてインドからの送料込みで2650円ぐらい。(ちなみに英訳本は古書で1000円未満で購入)。
購入のきっかけはアシュターヴァクラ・ギーターに付託[錯覚、superimposition]の例として第2章9節に真珠母と銀、縄と蛇、太陽光と[蜃気楼の]水が挙げられていますが、トーマス・バイロンの訳註に世界の幻影的性質を示す不二一元論の定番のたとえであると書かれていました。岩波文庫本『ウパデーシャ・サーハスリー』で確認すると、三つとも見つけることができましたが、どういう言葉使いをしているのか原典で確認したくてネット上のサンスクリットテキストで確認していたら、多くの誤植・脱落を発見して正確なテキストが欲しくなったためです。
最初に前田専学校訂のサンスクリット原典をitransで転写したものと、それから生成されたデーヴァナーガリー文字のPDFで見ていたのですが、散文編の第2章に脱落があるのを見つけました。これは散文編だけのPDFがあったので補うことができました。次に、itrans で~Ngがすべて~ng になっているのを検索して一つ一つつぶしていきました。
そうこうしているうちに韻文編の第17章のナンバリングがずれているのに気づきました。どこかで番号をつけ間違えたのだと思い、インドで出版されたシャンカラの全集や英訳と比較していたら、本来89詩節なければならないのに、88しかありません。原典の17章の第24詩節が欠落していたのでした。
この24詩節目がどこかに転写されていないか探したのですが見つからないので、シャンカラの全集と英訳本のPDFのデーヴァナーガリー文字を解読していくことにしました。サンスクリット文法は独学しようとして何度も挫折し、結局、涌井和著『般若心経を梵語原典で読んでみる』しかやり遂げることができなかったぐらいの学力ですので複合文字にてこずりましたが、次のようになりました。
manasashcendriyANAM ca hyaikAgryaM paramaM tapaH |
tajjyAyaH sarvadharmebhyaH sa dharmaH para ucyate ||
(itransですがchをcで転写しています。 )
これをソフト的にデーヴァナーガリー文字に変換するとこうなります。
Unicode iast で転写するとこう。
これ実はマハーバーラタの第12巻 242,4 の引用です。
英訳
The attainment of the one-pointedness of the mind and the senses is the best of austerities[tapas].
It is superior to all religious duties and all other austerities.
邦訳
「無価値な対象から心と五感を遠ざけることは、最高の苦行である。それはあらゆる務めの中で最高のものである。」山際素男訳『マハーバーラタ』第7巻91ページ
さて、これで欠文を補うことができたと、ほっと一息入れたとき、気になって岩波文庫本を見ると17章は88詩節しかありません。24詩節を見るとやはり欠落しています。ひょっとしてこれは校訂作業の中で、意図的に削除されたのでしょうか。今日届いた英訳本を見てみても何のコメントも見つけられませんでした。
購入のきっかけはアシュターヴァクラ・ギーターに付託[錯覚、superimposition]の例として第2章9節に真珠母と銀、縄と蛇、太陽光と[蜃気楼の]水が挙げられていますが、トーマス・バイロンの訳註に世界の幻影的性質を示す不二一元論の定番のたとえであると書かれていました。岩波文庫本『ウパデーシャ・サーハスリー』で確認すると、三つとも見つけることができましたが、どういう言葉使いをしているのか原典で確認したくてネット上のサンスクリットテキストで確認していたら、多くの誤植・脱落を発見して正確なテキストが欲しくなったためです。
最初に前田専学校訂のサンスクリット原典をitransで転写したものと、それから生成されたデーヴァナーガリー文字のPDFで見ていたのですが、散文編の第2章に脱落があるのを見つけました。これは散文編だけのPDFがあったので補うことができました。次に、itrans で~Ngがすべて~ng になっているのを検索して一つ一つつぶしていきました。
そうこうしているうちに韻文編の第17章のナンバリングがずれているのに気づきました。どこかで番号をつけ間違えたのだと思い、インドで出版されたシャンカラの全集や英訳と比較していたら、本来89詩節なければならないのに、88しかありません。原典の17章の第24詩節が欠落していたのでした。
この24詩節目がどこかに転写されていないか探したのですが見つからないので、シャンカラの全集と英訳本のPDFのデーヴァナーガリー文字を解読していくことにしました。サンスクリット文法は独学しようとして何度も挫折し、結局、涌井和著『般若心経を梵語原典で読んでみる』しかやり遂げることができなかったぐらいの学力ですので複合文字にてこずりましたが、次のようになりました。
manasashcendriyANAM ca hyaikAgryaM paramaM tapaH |
tajjyAyaH sarvadharmebhyaH sa dharmaH para ucyate ||
(itransですがchをcで転写しています。 )
これをソフト的にデーヴァナーガリー文字に変換するとこうなります。
मनसश्चेन्द्रियाणां च ह्यैकाग्र्यं परमं तपः।
तज्ज्यायः सर्वधर्मेभ्यः स धर्मः पर उच्यते॥
Unicode iast で転写するとこう。
manasaścendriyāṇāṃ ca hyaikāgryaṃ paramaṃ tapaḥ
|
tajjyāyaḥ sarvadharmebhyaḥ sa dharmaḥ para
ucyate ||
これ実はマハーバーラタの第12巻 242,4 の引用です。
英訳
The attainment of the one-pointedness of the mind and the senses is the best of austerities[tapas].
It is superior to all religious duties and all other austerities.
邦訳
「無価値な対象から心と五感を遠ざけることは、最高の苦行である。それはあらゆる務めの中で最高のものである。」山際素男訳『マハーバーラタ』第7巻91ページ
さて、これで欠文を補うことができたと、ほっと一息入れたとき、気になって岩波文庫本を見ると17章は88詩節しかありません。24詩節を見るとやはり欠落しています。ひょっとしてこれは校訂作業の中で、意図的に削除されたのでしょうか。今日届いた英訳本を見てみても何のコメントも見つけられませんでした。
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