2009年5月27日水曜日

ヘレンのACIM解釈について 2/14

たぶんこう言うのが安全だろう。そのようなお話はどの精神的な伝統においても語られてきたことだ。 彼らはこういうことを必要としているのだ。すなわち、その伝統は元はといえば精神的実在と直接的な触れ合いから生まれたのであり、そしてその触れ合いから流れ出た権威は不壊の繋がりをもって引き継がれている。これはまさに現在手綱を握っている統率者の、権力が存在している場に生ずる物語ではないかね。 西洋ではその物語は典型的にはこんな風に続く。「神的な存在から地上の存在者へのメッセンジャーへと続く精神的な権威の純粋な流れがあり、それが今日生きているこの人まで繋がっているのです。」このお話は信じられないほどの心理学的な力を持っている。 さてこのカトリック版の話を見てみよう。「イエスは神の子でした。そして彼はペテロに教会を創立することを委任され、現在の教皇はペテロに直に繋がる後継者なのです。」 その意味するところは明らかだ。もし教皇に一致しないなら、聖ペテロに一致しないことになり、そしてイエスにも…。あなたはこの伝統から流れ出る神的な泉に逆らっているのだ。

それはもちろん私たちに与えられたジュディの物語と同じメッセージなのだ。もしケンに一致しないなら、あなたはヘレン・シャクマンに一致しないし、イエスにも…。 あなたは A Course in Miracles が生まれてきた神的な泉に逆らっている。そんな物語は彼女だけでなく多くの人によって何年もの間話し続けられ、カトリックの物語が全キリスト教徒の間に力を及ぼしたように、コース・コミュニティに同じような力を及ぼしている。コースを学ぶ何千もの人々が精神的にこの壁に閉じ込められて生きている。ケンに一致しないことが結局「権威問題 」になると感じ(人からもそう言われ)ながら。(「権威問題」とはコース用語で神の権威を拒絶することを意味する。)これらの壁の中に生活することを好む人々もいるが、私は他の人々がそれと何年も戦い続け、 定期的にケンの権威に反乱を起こし、そして再びそれを受け入れるのを見てきた。多くの人々が最後にはコースを捨てていった。

そんな話は検証するのがきわめて重要であって、額面通りに受け取るのではだめだ。もしそれが本当であるなら、その聖なる流れを持つ人に聴き従わねばならない。というのも彼は本当にその伝統のまさにその始まりからあふれる出る真理の純粋な流れを運んでいるのだから。だがもしその話が間違っているのなら、 現在聖なる流れを引き継ぐ人に一致しないということが起こりうるのである。その伝統のまさにその始まりから全く本当にその地位にあるとしてもである。こうするのを禁じる話の本質は何なのか今や明らかにされたのだから。それは福音的な真理ではなくむしろ単なる偽りにしか過ぎない。それは、意図的であれ、意図しないものであれ、マインドコントロールの働きを持っている。

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