2009年5月31日日曜日

ヘレンのACIM解釈について 7/14

ヘレンの What It Is (つづき)

彼女は理論の重要性を軽視したので、 理論が表明されている巻(Text)は、彼女の説明において、そんなに良くは取り扱われていない。彼女は「Textは主として理論的である」と言い、こう続けている。

ワークブックの提供する実践的応用無しには、Text は主として一連の抽象物として留まり、コースの目的とする思考の逆転をもたらすにはほとんど十分とはいえない。

これらの短い、ほとんど熱のこもっていない Text についての論評は、ヘレンの語るコースの物語の真のヒーロー、ワークブックに導く。次の段落で、ワークブック・レッスンのためのきわめて重要な指示が与えられる。 (一日に一つのレッスンを修了しなければならないことはない。一つのレッスンで一日以上取り組んでも良い。ただし一日に一つ以上するのはいけない。) 終わりに再びワークブックをコースの実践的な力を有するものとして位置づけている。 「ワークブックの実践的性質はそのレッスンへの導きによって強調されている。それは先の精神的目的に関わるよりも、応用を通しての経験を重要視している。」前に彼女が言ったこと、すなわちコースは「理論よりも応用、神学よりも経験を強調する」を思い起こせば、これが意味することは明らかになる。だから彼女は「 Text は主として理論的である」と言ったのだ。さて彼女は「応用を通しての経験を重要視している」と私たちに語る。これら全体が意味するところはほとんど見逃しようがない。コースの価値体系において、経験と応用が最も重要であって、理論の重要性はきわめて小さく、ワークブックは経験と応用を表しており、Text は理論を表している。

ワークブックが「応用を通しての経験」に関するものであると述べた後、ヘレンはワークブックの序論の二つの段落からの引用を一纏めにして入れているが、それは考え方[ワークブックの課題]を信じることよりも、実践的応用を高く上位に置いている。 「あなたはただその考え方を応用することを求められている。…それを信じる必要はないし、受け入れる必要もなく、それを喜んで迎える必要さえない。」(Workbook, p. 2). この文脈の中で、これは理論の面にさらなる平手打ちを与えたものと思われる。[段落5・6]

この長いワークブックからの引用の後に、Manual for Teachers についての短い段落[段落7]がつづき、そのあとでヘレンはまたワークブックに戻る。ワークブックのレッスンは「学習者の学びを完了させること」を意図しているのではないと述べて、そして彼女の記事をワークブックのエピローグからの重い引用[段落9]で締めくくっている。

全体で9の内5と半分の段落がワークブックに関するものであって、そのうちの3段落はワークブックからの直接的引用である。テキストからの引用は無い。ワークブックは明らかにここでのショーのスターである。

もしあなたがケン・ワプニクの著作に親しく接しているなら、直ちにこれらはケンの視点でないことが分かるだろう。確かに、どの点においても、彼の見解は反対側の領域にある。彼はコースの理論と神学を賛美し、レッスンの実践が重要であることは軽視して、コースと他の道との根本的違いを繰り返し強調し、Text をワークブックよりも高く評価している。したがって、ここでコースに関するヘレンの公的言明に、ケンとは驚くべきほど異質な視点が見出される。ヘレンの見解からケンのそれに至る仮想された直線的流れは、とても本当に真っ直ぐには見えない。

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