2009年5月17日日曜日

マインドの意味と編集による改変 ACIM読み比べ 4

今回翻訳する部分で比較されているところをまず見ていただきましょう。上がHLC版、下がFIP版です。HLCで2文であるところをFIP版では1文に圧縮されていますね。さて上の文章を見て編集が必要であるように何か欠陥が見えるでしょうか?聖書の言葉の神がなにか犠牲を必要としているように見えるところでイエスによる?新しい解釈が示されています。

文章の構造を見ると「AはBを意味する。CはDを意味する」ですが、編集によって真ん中の部分がごっそり削除されて「AはDを意味する」になりました。確かにコンパクトになりましたが意味が通じるでしょうか?

‘Lead us not into temptation’ means ‘guide us out of our own errors.’ ‘Take up thy cross and follow me’ means ‘recognize your errors and choose to abandon them by following my guidance.’

‘Lead us not into temptation’ means ‘Recognize your errors and choose to abandon them by following my guidance’. (T-1.III.4:7)

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それではFIP第2版の次の一文を考察しよう。

“‘Lead us not into temptation’ means ‘Recognize your errors and choose to abandon them by following my guidance’.” (T-1.III.4:7)

「『私たちを試みにあわせないでください』は『あなたの過ちを認識し、私の導きに従ってそれらを放棄するよう決断しなさい』を意味する。」(T-1.III.4:7) これは疑いなくいささか意味不明の一文である。私たちは再解釈を求める一方で、またオリジナルの叙述とその再解釈された形とのつながりを描写しようと思う。「試みにあわさ[ない]こと」と「導きに従うこと」のつながりは十分明らかである。しかし「過ちの認識」はその全体像のなかで何処に入るのだろうか?

HLCではこれに代わって次のように述べられている。奇跡の原則36より、

“‘Lead us not into temptation’ means ‘guide us out of our own errors.’ ‘Take up thy cross and follow me’ means ‘recognize your errors and choose to abandon them by following my guidance.’”

「『私たちを試みにあわせないでください』は『私たち自身の間違いから導き出してください』を意味する。『汝の十字架を取って私に従え』は『あなたの間違いを認識し私の導きに従ってそれらを捨てなさい』を意味する。」

「試みにあわせないでください」と「私たちの自身の間違いから導き出してください」とのつながりは明白である。「汝の十字架を取って私に従え」は、私たちを贖罪の道へと誘う、たとえそれが困難な道であっても。「あなたの間違いを認識し私の導きに従ってそれらを捨てなさい」はそれと全く同じ事である。というのも間違いの認識とそれを捨てようと決意することは困難な事として経験されうるから。除去されているのは何かしら犠牲をほのめかしているものである。古く粗野な十字架にしがみつくのではなく、私たちは自分の過ちと自分の愚かな磔刑への旅を捨て去るようにと招かれたのである。ここでも、[編集によって]明晰さが混乱に置き換えられていたように思われる。

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