2009年5月29日金曜日

ヘレンのACIM解釈について 4/14

前置きが終わってここからロバート・ペリーの記事の本論に入ります。

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イエスが働きかけてコースを書いたのか?

コースがヘレンを通してどのようにして現れたのかということについての彼女の見解について議論する中で、ケンはこう言っている。「ヘレン自身の叙述では A Course in Miracles の書き取りはイエスが彼女の『教育上の背景、興味、経験』をイエスが用いたものである。」3 ヘレンの見解が表しているのは活動的なイエスであって、彼がコースの言い回しと表現を、彼女自身の教養や興味と交えて作り上げた。例えば、ヘレンがシェークスピアを好んでいるので、イエスはコースの多くをシェークスピア風の無韻詩の形式で書いたのである。ヘレンはそれを自分に対する特別な贈り物と受け取っていた。

ケンはしかしながら本当はイエスがヘレンのバックグラウンド、興味、経験を用いたのではなく、その影響は別の側面から来たと説明している。ヘレンにおけるこれらの要素が実はイエスの形のない、非活動的愛をコースという形に作り上げたのだと。ガラスのコップが自らの内に水を形作るように。 この見解が意味するところは明らかである。コースを造り出す過程においてイエスは完全に非活動的であった。 彼が本当に一語でも書き上げたわけではない。彼は活動的には何も著さなかった。むしろ、「ヘレンの方にコースの具体的な形態の責任がある。」4 これはイエスに責任があるという彼女の叙述と明らかに異なっている。この点に関して、ヘレンの見解とケンのそれは全く異なっている。

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3. The Message of 'A Course in Miracles,' Volume One: Few Choose to Listen, p. 148.

4. Few Choose to Listen, p. 150.

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