2009年5月29日金曜日

ヘレンのACIM解釈について 6/14

ヘレンの What It Is

先の二つの件にで、ヘレンの見解についてケンの報告に拠らねばならなかった。わたしはこれらの報告が信頼に値すると考えている。確かにケンの関心は彼とヘレンとの違いを作り上げること、あるいは誇張することにはなかった。だから彼がそのような報告をするとき、私たちは信じるべきであると思う。 この問題について、また私たちはコースに関するヘレン自身の言葉を持っている。

FIP版 A Course in Miracles の序文はこのように始まっている。

ACIMへの短い序論を求める多くの人々に応えて、この序文は1977年に書かれた。最初の二つの部分 —How It Came; What It Is— はヘレン・シャクマン自身が書いた。

この序文は、したがって、きわめて重要な文書である。ヘレン自身が最初の二つの部分を学習者に、コースがいかにして現れたのか、 コースは何なのかを伝えるために書いたのである。それはA Course in Miracles についての彼女の公式声明である。 それはコース学習者に物事がどのように理解されるべきと思っていたかを表している。私は特に第2の部分、What It Is に注目したい。ざっと流して見ても、この部分は著しくワプニク的ではないように見える。

第一に、ヘレンは明らかに理論や神学に強調を置いてはいない。

[コースは]理論よりも応用を、神学よりも経験を強調する。それは、「普遍的神学は不可能だが、普遍的経験は可能であるばかりでなく、必須でもある。」と述べている (Manual, p. 77).

理論や神学に重点を置かないので、彼女はコースと他の精神的な教えの違いを軽視している。このような帰結は当然である、というのもそれらの違いは、もちろん、主として理論と神学に基づく違いなのだから。

表現の上ではキリスト教的であるが、コースは普遍的な精神的テーマを扱っている。強調していることは、それが普遍的なカリキュラムの中の一つの表現[Version]であることだ。 他にもたくさんのカリキュラムがあるが、コースが他と異なるのは単に形の上でしかない。

したがって、ヘレンによれば、コースと他の精神的な道との違いは単に「形」の上の違いでしかない。コースが教える実際の「テーマ」こそが「普遍的」なのである。

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