2009年6月2日火曜日

ヘレンのACIM解釈について 13/14

結論

インタビューでジュディが伝える物語、また何年もの間様々な形で出回っている話は吟味されないままである。コースからヘレンを経てケンにいたる黄金の絆のような純粋な理解はなく、ここにあるのはその絆の大きな断絶であって、それはヘレンの死後わずかな年月の後に生じた。 ケンの教えがその真の根源的方向性をそらしたとき、それはヘレンとはまったく異なったものだった。

このことから私たちはジュディの記していることとは別の立場に立つ。彼女の話が明らかに意味しているのは、もしケンと一致しないなら、あなたはヘレンと、ACIMを世界にもたらした女性と一致しないことになるということである。しかし多くの重要なコースの問題点に関してさえ、これまで見てきたように、事実は、ケンに同意するなら、ヘレンと一致しないということである。

したがって、彼女の話の記事に束縛されると感じる必要はない。意図的であれ、意図しないものであれ、この物語は、極めて多くの伝統の起源神話が行うのと同じことをしている。それは信仰者の心をコントロールする。彼らの心をその物語が引いた鉄のレールに添ってのみ動くようにさせる。(このことは極端に聞こえるかもしれないが、本当にそのような状態に陥った人を知るまでは分からないものである。)しかしそんなレールは自由に飛び超えてもかまわない。というのは、そんな物語は持ちこたえることが出来ないからである。どんなに多くのそのような物語が実際にこんなことをしているのか?この物語はケン・ワプニクの自身の言明の証拠にも、ヘレン・シャクマン自身の著作の証拠にも持ちこたえることが出来ない。この物語は、コースの栄誉ある誕生へ、 ヘレンの栄誉あるコース理解へ、私たちを解放して立ち去る。私たちはケン・ワプニクの現在の教えを抱擁するよう強制されない。

このことは自動的にケンの教えを無効にするものではなく、おそらくヘレンとケンとの一致に遡るという理由で、如何なる特別な地位を誰も主張できないことをまさに意味している。その絆から切り離されることで、ケンの様々な教えもその中にある権威から切り離される。一人の人間の解釈として、それらは今や一人で旅に出る。したがって、それらは、他の解釈と同様に自分自身の真価に基づき立つか倒れるかである。

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